【新潮社】
『ラッシュライフ』

伊坂幸太郎著 



 一見すると、いかにも荒唐無稽なこと、まるで魔法のように不思議なことのように思えることであっても、ほんの少し見る角度を変えることによって、すべてが理路整然としたもの――それこそ、あきれるほど単純なことだとわかってしまうことがある。

 マジックショーなどがいい例だろう。人体浮遊、人体切断、物体消失、瞬間移動など、マジシャンと呼ばれる人たちは大衆の目の前で、それこそ魔法か超能力のような不思議なことをやってのけるが、言うまでもなくすべてのマジックには必ずトリックがあり、そしてそのトリックはたいてい、気がついてしまえばなんということのない程度のことだったりする。だが、逆にトリックがわからないかぎり、人々はマジシャンの披露するマジックについて、それこそ見たままを信じるしかない、ということになってしまう。

 私たちがミステリーを読むときも、じつははじめてマジックをまのあたりにするときとよく似たものがある。ひとつ異なるのは、マジックがけっしてタネ明かしをしないこと――むしろ、客にトリックを見抜かれないようにするのが前提であるのに対し、ミステリーでは最後まで読めば必ず謎解きがなされること、それゆえに、はじめてミステリーを読むときと、二度三度とミステリーを読み返すときとで、その印象が大きく変わってくる可能性があるということである。それは、とくにミステリーにかぎったことではないのだが、ことミステリーに関しては、再読という行為によって、あらかじめその作品にしかけられたトリックをひととおり理解しているという立場、いわば神に等しい視点から、その作品内世界を眺めることができることと、けっして無関係ではない。

 今回紹介する本書『ラッシュライフ』もまた、一種のミステリーではあるが、およそ本書ほど一読と再読との差異がはっきりと表われてくる作品も珍しい。

 あらかじめ盗みに入る家の住人のことを調べあげ、まるでカウンセラーのごとくその人となりとを洞察してしまう泥棒、あらゆる事象を見通すことができるという能力ゆえに、まるで新興宗教の教祖のように多くの信奉者を集めてやまないカリスマの「解体」に加担しようとしている信者、プロサッカー選手との再婚のために、ふたりで彼の妻を殺害しようと計画している女、そして、以前勤めていた会社をリストラされ、何ヶ月も再就職できずに焦りをつのらせている中年男性――本書には複数の主人公がいて、あくまで彼らの世界での物語が同時並行するような形で展開していく。これら四つの、いっけんするとそれぞれが独立して発生し、進んでいくように思われる物語は、しかしこの手の群像劇風味の小説の常として、必ずどこかで物語の時間軸が交錯していくことを宿命づけられている。

 それゆえに本書の面白さは、これら複数の物語が、いったいどのような形でひとつの大きな流れとしてつながっていくのか、という点に集約されることになるのだが、それにも増して本書のなかで重要となってくるのは、これら四つの物語それぞれの時間軸、時間的なつながりをどこまで把握しているか、という点にこそある。というよりも、むしろそれぞれの物語の時間軸そのものが、本書にしかけられた最大の謎として機能しているのだ。

「昨日は私達が主役で、今日は私の妻が主役。その次は別の人が主役。そんなふうに繋がっていけば面白いと思わないか。リレーのように続いていけばいいと思わないか? 人生は一瞬だが、永遠に続く」

 最初に本書を読むとき、私たちは当然のことながら時間軸におけるトリックを知らない状態にある。そして、とくに特別な断りがないかぎり、私たちはそれぞれの物語が常に過去から未来へと流れていくものとして把握する。ある意味で、それが正しかったことが、本書の最後でわかるのだが、ある物語の中に別の物語の主役が登場するという、群像劇小説のテイストのひとつが、逆に私たちの小説内世界における時間の認識を狂わせることになる。また、本書の表現のなかにも、読者を意図的にミスリードさせるような部分があり、だからこそ本書はなかなかの曲者であるのだが、それゆえに、一度それぞれの物語の時間軸があきらかにされたあとに、あらためて本書を読み返してみることで、いっけんするとほとんど意味のなさそうに思える五つ目の物語の流れ――金で何でも買えると思い込んでいる画商と若い女性画家が主役の物語の存在が、にわかに深い意味をもつようになってくるのである。

 もし、本書にミステリーとしての価値以外のテーマを見出そうとするなら、それは上述の五つ目の物語のなかに集約されている。つまり、世の中には金で思いどおりにならないものがいくらでもある、という、ある意味ありがちなテーマであるが、もし五つ目の物語だけしかなかったとしたら、そのテーマはそれほど心に響くようなことはなかったに違いない。その前に四つの物語があり、それぞれの主役たちが意識するしないに関係なく、まさにリレーのように受け渡してきた奇跡のようなつながりを知ることができる私たちだからこそ、本書の最後に無職の中年男性が富豪の画商に向けて放つセリフの重みもまた実感できるのである。

 私たち人間は、自分という枠にとらわれて生きている。どのようなことであれ、私たちは主観で物事を判断するものであるし、また常識という名の思い込みに縛られてしまいがちでもある。ときに、たしかに自分の感覚であると思っていた五感さえ、自分を裏切って真実を遠ざけてしまうことがあることを考えたとき、私たちは本当は、物事の真実のほんの一部しか見えていないのではないか、と思ってしまうことがある。自分の頭で考え、自分の判断で選択し、そしてまぎれもない自分自身の人生を歩んでいる、と私たちは考える。だが、それは私たち自身の視線から見ているからこそそう思うのであって、もしより高い次元から眺めてみたとき、そこには私たちの安易な思考をはるかに超越する美しい法則なり規律なりがあって、私たちはただそれにしたがって、あらかじめ定められた道を盲目的に歩いているだけのように見えてしまうのかもしれない。そういう意味で、本書は読者に神の視点のほんの一端を覗かせてくれる作品だと言うこともできるだろう。(2006.04.02)

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