【新潮社】
『楽園』

鈴木光司著 
第2回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞受賞作 



 今、私がいるこのアパートから一歩外に出て、もっとも目につくものといえば人間であろう。朝の通勤時間の駅構内や、休日の行楽地などはもちろんのこと、普段私たちがどこで何をするときにも、その周囲には必ずと言っていいほど誰かがいる。人間がまったくいない空間を探すことがあまりにも困難になっているほど、大勢の人々で溢れかえっている現代の、人間によって生み出されてきた社会――その光景は、私にとって窒息しそうなほどの閉塞感を与えるものであるが、さらにこの地球という環境には、現在五十億という膨大な数の人間が生息しているという。
 いったい、人間は何のために生きているのか、私たちはどこから来て、どこへ向かおうとしているのか――そんな疑問が知らないうちに脳裏をよぎるのは、自分がその五十億分の一でしかない、という圧倒的な事実、自分という個人の力があまりにも無力である、という事実を思い知らされるときである。文字を獲得し、自分たちの歴史を後世に伝えることができるようになる何万年も前からおそらく続いてきたであろう、生まれては死んでいく、という行為をただひたすら繰り返してきた私たち人間の、あるいはその祖先の歴史――このひとつの大きな流れの中の最先端にいる私たちは、この体以外の何を受け継いできたというのだろうか。そしてその果てしない連鎖に、いったいどんな意味があるというのだろうか。

 本書『楽園』に描かれているのは、一万年という、気の遠くなるような時間をかけて受け継がれてきた、ある意味で人類全体の意志とも言うべき精神の流転の物語である。本書において、その舞台となるのは地球全体であり、人類の歴史そのものが物語のなかで流れた時間でもある。この壮大なスケールの物語のはじまりに登場するのは、先史時代に砂漠を遊牧して生活していたある部族の若者だ。類いまれなる絵の才能に恵まれると同時に部族の勇敢な戦士でもあるボグドは、十三歳の通過儀礼である精霊を宿す旅において、その部族の伝説でもあった最強の獣、赤い鹿をしとめてその力を受け継ぎ、見事最愛の娘ファヤウを妻にめとることを許された。しかし、人間を描いてはいけない、という部族の掟を破ってファヤウの像を刻んだために、ボグドの部族は北の部族の襲撃という憂き目に遭い、ファヤウをその族長に奪われてしまう。お互いに深く惹かれあいながらも、はなればなれになってしまった、ふたつの魂――何百年に一度だけ姿を現わすと言われる、楽園へとつづく北の回廊を渡って海の向こうの土地へと行ってしまったファヤウを追って、ボグドは大海原に船を漕ぎ出す決意をする。つねに行動しつづけることによって、自分の人生を切り開くのだ、という強い信念とともに……。そして、ファヤウもまた、新しい大陸において、優れた音楽の才能を持つ娘とともに、自らの人生を切り開く決意をする。

 今から一万年前、アジア大陸からベーリング海峡にかかった氷の回廊を渡ってアメリカ大陸へと移り住んだと言われているインディアン、またアジア大陸の南半球から、太平洋に点在する島々に移り住んだとされるポリネシア人――著者はこの民族の生成流転に息づいている壮大なドラマを、一組の男女の愛という名の物語として封じ込めることに成功した。愛する妻を取り戻し、ふたりでもう一度、新しい第一歩を踏み出したい、という強い意思、そしてその目的のためなら、たとえ世界全体を敵に回してでも戦い、どんな困難でも必ず乗り越えてみせる、という決意――その強烈なイメージは、たとえその肉体が朽ち果て、魂が浄化され世界から消滅してしまったとしても、彼らの子孫の遺伝子のなかに脈々と受け継がれ、その個人の意志とは関係なく彼らを大きな運命の渦の中へと巻きこんでいってしまう。南の楽園タロファで争いもなく平和に暮らしていたポリネシア人たちの心に突如として沸き起こった、「東へ行け」という衝動、また航海士タイラーが常に心に抱いてきた「自分を取り巻くすべてと戦う」という戦士としての信念、そして優れた作曲家であるレスリー・マードフの交響曲に触発された、女性編集者フローラ・アイディーンの不思議なデジャヴ――はるかな昔に分かれてしまった男と女が、長い年月を経て転生し、現代において結ばれるというラブストーリー自体はそれほどめずらしいものではないが、本書が表現したかったのはたんなる恋愛物語ではなく、生まれては死んでいくという空しい反復を繰り返しながら、それでも人類という種の歴史を淡々と存続させている私たち人間の生に対する問いかけであり、けっして人間の手には届かない世界の仕組みを理解することに対する人類の絶え間ない好奇心が何を生み出すことになるのか、という問いかけでもある。本書の後半において、先史時代に愛し合った男女の名前は一度も登場しない。魂だけが存在している、という設定もない。そこにあるのは、もはやその理由さえ意味を成さなくなった、人間の遺伝子レベルに組み込まれた衝動だけなのである。それゆえに、本書の物語は恋愛としては悲しいものでありながら、どことなく感じられる救いの気配を、読者は感じ取るに違いない。

 人間は意図してこの世に生まれてくるわけではない。必ず、受動的に生まされる存在である。連綿と続く生命の環……、人間は、その環から自由になることはできない。本人が意識するしないに係わらず、超過去からの記憶をとどめた細胞は複雑に絡みあって主人の肉体を束縛する。

 それにしても、この物語はなんとダイナミックな雰囲気に満ち溢れていることか。そして、人間の意志の力は、なんととてつもない力を秘めていることか。このような、人間の意志に隠された力、そしてそこからすべての物語がはじまり、世界そのものを揺るがすほどの影響をおよぼす存在となる、という設定は、著者のその後の作品である『リング』『らせん』『ループ』の三部作の中にも脈々と受け継がれている。ある意味で、鈴木光司という作家ほど、虚構世界を現実のそれに近づけることのできた人はいないのかもしれない。

 私という人間が生まれたのは父親と母親がいたからだ。さらに父親と母親が生まれのはそれぞれの祖父と祖母が存在したからである。こんなふうにして、人類の歴史は地層のように積み重ねられていくものなのだろう。自分がその先祖から脈々と受け継いできたものは、いったい何なのだろう、そして、自分は今後、何を子孫に引き渡すことになるのだろう――本書は、そんな雄大な考えにしばし身をひたすことのできる、荒削りながらダイナミックな作品なのである。(2000.03.21)

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