【ヴィレッジブックス】
『エンゾ』
−レーサーになりたかった犬とある家族の物語−

ガース・スタイン著/山田久美子訳 



 ペットショップに行くと、じつにさまざまな動物たちが人間の愛玩用として売られているのを見ることができるが、そのなかでもとくに「人間と寄り添う」という点を重視したときに、私が一番に思いつく動物は犬である。もちろん、このあたりの見解については、人によって意見が分かれるものだろうことは承知してはいるが、かつて人が他の動物を狩って生きてきた時代から、そのサポートをする形で人間社会にとけこみ、現代においてもなお、警察犬や盲導犬といった形で人間に奉仕しているという点を考えたときに、人間と犬との関係の深さ、その歴史の長さは、たんに人間の役に立つからといった理由だけでは説明のつかないもののように思えてならない。

 科学技術が発達し、食糧確保のための狩猟がもはや過去のものとなりつつある現代において、人が犬を飼うことの実用的な理由はほとんどなくなったと言っていい。にもかかわらず、犬が愛玩用として今もなお人々に愛されている理由があるとすれば、犬がその歴史において「人間と寄り添う」という役割をうまく果たしてくれていたから、という点にどうしても目を向けなければならなくなる。たとえばある人にとって、配偶者やその子どもといった家族が特別な――その他大勢ではない特別な存在となるのと同じように、犬もまた人に飼われたとき、その人にとっての特別な、他の犬には変えられない存在として認識される。

 基本的に人間と犬との関係は、主従関係であり、服従関係でもある。だが、もし人間のほうがそれ以上の関係――たとえば人生のパートナーとしての役割を犬に求めたときに、「人間と寄り添う」存在としての犬もまた、それに応えようとするのではないか――今回紹介する本書『エンゾ』は、一匹の犬の立場から書かれた物語であるが、そこに一貫して感じられたのは、まさに「人間と寄り添う」立場としての、飼い主にとっての特別な一匹の「エンゾ」としての存在感である。

「時々、おまえにはぼくのいうことがほんとうに理解できるんじゃないかって気がする。まるでなかに人間がいるみたいな。なにもかもわかってるみたいだ」
 そうなんだ。わたしは心のなかでいった。わかるんだよ。

 ラブラドールと、本人が言うところのエアデールテリアとの混血犬が一人称の語り手となり、彼がその生涯をともにすごすことになるある家族のことを回想していくという本書であるが、プロのカーレースドライバーであるデニーに「エンゾ」と名づけられたこの犬、自分は来世では人間に生まれ変わることを信じている、非常に人間臭い思考をもつ犬として登場する。テレビ番組を見ることで人間社会の知識と教養を身につけ、ときには犬としての本能のおもむくままにやんちゃをしてしまうこともあるものの、大抵は飼い犬としての自分をわきまえ、思慮深い行動に努めているというエンゾの性質は、他ならぬ犬の一人称小説という形式を考えたときに、なかば必然のものとなってくるが、エンゾをエンゾたらしめているもっとも重要な要素として挙げられるのは、じつは「レースと車をこよなく愛している」という点である。

 本書の原題である「The Art Of Racing in the Rain」は、「訳者あとがき」では「雨のレースの技法」という直訳があてられている。エンゾの飼い主であるデニーは、とくに雨の日のレースに本領を発揮するタイプのドライバーであり、それはたんに彼のドライバーとしての技術の高さだけでなく、彼の人間性を定義するものともなっている。雨で路面が濡れている状態でのレースは、タイヤがスリップしやすく、それだけ運転する車が予想外の動きをしてしまうことが多い。レーサーにはより慎重で用心深い運転が必要とされるコンディションであるが、少しでも速く走ることを要求されるレースにおいて、その逸る気持ちを制御しつつ、なおかつ相手の車を抜く機会を待つだけの粘り強さと、けっして最後まで勝負をあきらめないという不屈さが要求される。エンゾのレース好き、車好きという性質は、間違いなくカードライバーであるデニーの影響を多大に受けてのことであるのだが、その根底にあるのが、雨の日のレースで勝つために必要な、そうした気質であることは、本書を読み進めていけば見えてくることでもある。

 デニーの独身時代からの飼い犬であるエンゾは、その後のイヴとの運命的な出会いから結婚、さらに娘のゾーイをふくめた、彼の家族が形成されていく過程を見つづけてきたが、エンゾにとっては闖入者に相当するイヴやゾーイに対しても、あくまで飼い犬としての領分をわきまえて接することができたのは、デニーのレーサーとしての気質を受け継いでのことである。エンゾにとって「人間になりたい」という思いは、じつは本書のサブタイトルにもある「レーサーになりたい」という思いと同義であり、さらにそのレーサーとは、デニー本人のことでもある。そういう意味で、本書におけるエンゾの立場は、ただの語り手というだけではなく、いわばデニーの分身とも言うべきものとなっている。

 それゆえに、デニーにとっては愛しのイヴの病気をひとつのきっかけに、彼の人生に次々と困難がふりかかってくるという事態に対して、エンゾはたんなる飼い犬としてではなく、彼の分身としての役割を負うことになる。それはたとえば、デニーの心が折れてしまうそうなときには、雨の日のレーサーとして必要な粘り強さと不屈の闘志を思い出させるような行動を起こし、デニーの心を喚起しようとするし、逆にデニーがあくまで感情を制し、理性的な態度をとりつづけるようなときは、彼に代わって彼の怒りや悲しみを代弁したりもする。それはまさに、必要なときに「人間に寄り添う」という、まさに犬と人間にとっての理想の関係の体現であり、もしエンゾがそばにいなければ、デニーの心はとっくに困難に屈していたに違いないと思わせるほどの献身ぶりである。

 レースはだれがより速くぶっ飛ばせるかではなく、修練と知性を競うものである。賢い運転をする者が、かならずや最後に勝利を手にするだろう。

 登場人物のデニーがレーサーであり、またエンゾがレース好きということもあり、本書にはしばしばカーレースの教訓めいたことが書かれた章が挟まっているが、なかでも印象深いのが、「車は目の向く方向へ進む」という表現だ。マシンがスピンしたとき、ウォールから目を離せないドライバーはウォールに激突する。コースの先を見据える者だけがマシンのコントロールをとり戻すというこの表現は、そのまま人生をより良く生きていくうえでの格言にもなっている。そしてそれは、自分が死んだら人間に生まれ変わると確信しているエンゾの人生にもあてはめることができる。慎み深く、思慮深く、人生のどんなときにも、雨の日のレースに赴くかのごとく生きようとした人間と犬の物語を、ぜひ堪能してもらいたい。(2015.02.24)

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