【集英社】
『王妃の離婚』

佐藤賢一著 
第121回直木賞受賞作 



 天地開闢以来、この世界には男と女がいて、その二種類の生き物が好きになったり嫌いになったりしながら、その結果としてくっついたり離れたりする。そういったことの繰り返しによって、この世は成り立ってきた。その事実は、今も昔も、洋の東西を問わず変わることはない。そしてこれも自明のことながら、男と女を結びつけるのは、必ずしも恋愛小説の中にあるような純粋な愛ばかりではなく、そのために――いや、たとえかつては純愛によって結びついたふたりであったとしても――男女の関係というものには実にさまざまな問題をはらんでいるものである。いつの時代も、男と女の間柄というのは、人類に与えられた永遠のテーマのひとつなのだ。

 本書『王妃の離婚』の中心となるのは、ある離婚裁判である。しかし、このありふれた男女間のもつれが十五世紀末のフランスという舞台で、しかも原告がフランス国王ルイ十二世、そして被告がその王妃であるジャンヌ・ドゥ・フランスであるとするなら、事情はだいぶ異なってくる。基本的に、キリスト教徒であるかぎり離婚は認められない。だが、もし結婚した男女の間に肉体関係がもたれなかったとすれば、「結婚の無効取消」が認められ、事実上の離婚が成立する。そして、状況は絶対的権力を有する原告側が圧倒的に有利であり、ほとんど一方的な裁判が進められ、一方の被告側の弁護人は、国王の権力の前にすっかり萎縮してしまい、まともに弁護さえしようとしないありさま。そんな茶番に等しい裁判を、わざわざナントから傍聴するためにやってきた地方の弁護士であるフランソワ・ベトゥーラスは、かつてパリ大学のインテリとして将来を約束されていながら、その歯に衣を着せぬ辛辣な言動によって中途退学を余儀なくされた過去を持っていた。
 かつて、自分の輝かしい未来を打ち砕いた前国王ルイ十一世、その娘であるジャンヌ・ドゥ・フランスが屈辱にまみれる姿に卑しい快感を覚えながらも、フランソワは同じ弁護士として、被告側の弁護士の無能さに憤慨せざるを得ない。正義とはいったい何なのか――その真の意味に気がついたとき、権力に屈することなく逆らうことを信条としてきた、学生時代の自分を取り戻すため、そして裁判のなかで保証されるべき正義を守るため、フランソワは被告の弁護人として、国王と真正面から戦う決意をする。

 まさに「胸のすくような展開」という言葉がもっとも似合う作品である。これまで圧倒的に有利であった国王側の稚拙な論証を、傍聴席の人々を巧みに巻きこみながら、あくまで理路整然と、しかし辛辣さをまじえた言説で次々とひっくり返していくフランソワの見事な手並みは、読んでいて爽快ささえ感じる。一国の権力を持つ国王のさまざまな妨害を、フランソワ側がいかにして切り抜けるか、そして裁判を被告に有利な方向へもっていくためにどんな作戦を練るべきなのか――ときには生命の危機にさらされ、ときには破格の条件で懐柔されそうになりながらも、フランソワはあくまで自らの正義のために奔走し、そして、あくまで一弁護士として、被告のことを親身になって考えようとする。その姿は、もはや正義などどこにもありはしないと思わせる現代に生きる私たちに、正義は確かに存在するのだ、ということを大声で宣言しているようにさえ思える。

 本書は西洋を舞台とした歴史小説でありながら、それ以上に裁判小説(というものがあれば、の話だが)だと言うことができる。そして本書の面白いところは、言葉を万能の武器として戦う裁判のことを書きながら、本書がほんとうに言いたいのは、実は言葉の無力さである、という点である。

 フランソワの弁護士としての腕は一流のものだ。だが、その彼自身、言葉が持つ影響力を完全に把握しているわけではない。ゆえに、ときには相手を必要以上に追いつめてしまい、思いがけない窮地に陥ったり、失敗してしまったりすることがあるのだ。そしてなにより、男と女の関係という微妙な問題が、たとえ厳正な判決によって裁かれたとしても、以前のような関係を復活させることなど期待できない、という事実――弁護士として原告の訴えを退けて、すでに冷めてしまったルイ十二世の妻という立場に戻すことが、本当に王妃にとって幸せなことなのかと悩むフランソワに、いったい言葉は何をしてくれるというのだろう。そして、無力な言葉の代わりに、いったい何が残されているというのだろう。それぞれの想い、それぞれの思惑、そしてさまざまな事情が交錯し、いよいよ審議は最終段階にはいる。はたして、軍配のあがるのはどちらか。そして真の勝者は誰なのか?

 聖書によると、イヴは蛇にそそのかされて知恵の実を食べ、アダムにもそれを食べさせてしまったとある。その知恵の産物である言葉によって、人間は進化をとげ、そして今に到っている。だが、どんなに時代が進もうと、けっきょくのところ男と女が愛し合うのに言葉は不要――そんな、ある意味あたり前の真理をあらためて教えられたような気がする。(1999.09.03)

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