【宝島社】
『屋上ミサイル』

山下貴光著 



 たとえば、地球温暖化。地球上の二酸化炭素の排出量の増加が、地球温暖化という、まさに世界規模の異常気象や海面上昇といった現象を引き起こしていると言われるようになって久しい。私たちの生活のなかにも「エコロジー」という言葉が頻繁に使われるようになり、たとえばスーパーやコンビニではレジ袋の削減といった形で浸透しつつあるのだが、はたしてクールビズやエアコンの温度設定といった活動が、地球温暖化という地球規模の現象に対してどれほど有効なものなのか、ということを考えたとき、私の頭のなかに浮かんでくるのは、「風が吹けば桶屋が儲かる」という言葉だったりする。そしてそこにあるのは、ほんとうにそんなちっぽけな活動で、地球のピンチが食い止められるのか、という疑問に他ならない。

 現在、世の中はグローバル化の方向に突き進んでいると言われている。たとえばある国の工場の大規模な火災が、日本のある会社の製品供給に深刻な影響をおよぼすといったことが、じっさいに起きているのだという。インターネットなどはグローバル化の最たる例だろう。遠く離れた国であっても、ほぼ一瞬でつながることができ、あるいは国境の壁を越えて仕事を依頼したり、逆に探したりできるというのは素晴らしいことではあるが、日々の生活の中で汲々としていることが圧倒的に多い私たちにとって、そんな大規模な視点のことを言われても、どれだけ実感のともなったものとして受け取ることができるのか、と考えてしまう。それこそ「風が吹けば桶屋が儲かる」的な発想の飛躍のように思えてしまうのは、はたして私の想像力が足りないからだろうか。

「世界なんてどうでもいいっつうの」国重が不満げな顔をする。「世界を救う気なんてさらさらねえ。俺たちが守るのは、屋上だって」

 本書『屋上ミサイル』のことを語るうえで、まず注目すべき点として、この物語のなかの世界が、ある種の緊張状態のただなかにある、というのが挙げられる。それは、世界で一番強い国、すなわちアメリカ合衆国の大統領がテロリスト集団に拉致され、あろうことかアメリカの軍事施設を占拠して立て籠もっているというもので、彼らはもしこちらの要求が受け入れられない場合、弾道ミサイルを世界各地に撃ち込むという声明を発表しているのだ。それはまさに未曾有とも言うべき世界的危機に他ならず、同盟国である日本にとってもけっして他人事ではない深刻な事態であることは間違いない。しかし、高校二年の辻尾アカネが語り手となって進んでいく本書のなかで、その未曾有の事件はけっして物語の中心として位置づけられているわけではない。一介の女子高生――美術デザイン科に通うごくふつうの高校生にとって、世界規模の事件もまた対岸の火事でしかなく、それよりも今度の課題をどうやって仕上げるべきなのか、ということのほうが、彼女にとっては重要な関心事であったりする。

 平穏を求めて屋上にたむろしているリーゼント頭の不良、国重嘉人を中心に、たまたま校舎の屋上に集まっていた四人をなかば強引に「屋上部」としてしまい、「屋上の平和を守る」などという、なんとも抽象的で漠然とした目的のもと、屋上に持ち込まれるさまざまな問題を解決していくという展開を見せる本書において、大統領の拉致監禁という要素は「屋上部」の活動と何らつながりをもたないものである。じっさい、彼らが遭遇することになる事件というのは、たとえば都市伝説である「罰神様」の真相を突き止めるというものであったり、陸上部のエースである宮瀬春美を付け狙うストーカーを退治することであったり、アカネの弟を怪我させた犯人を見つけることといった、あくまで身のまわりで起きる小さな事件ばかりである。もっとも、なかにはいるかどうかもわからない殺し屋を探すといったものや、たまたま拾ってきた拳銃の落とし主を見つけるといった、けっこう物騒な案件も含まれていたりするのだが、それらの要素も、大統領の拉致監禁という要素のまえには瑣末なこととして霞んでしまいそうなものでしかない。

 それまで直接的には何のつながりもない者たちが偶然に集まり、いっけんすると何のつながりもなさそうな雑多な事件やトラブルを解決していくという本書の展開は、それゆえに彼らが行動を起こす動機としては弱いものがあるのだが、それでもなお本書が物語としての原動力を有しているとすれば、それは「屋上部」の創設者というべき国重嘉人の個人的な力によるところが大きい。人の意見など歯牙にもかけず、なかば強引に周りの人間を巻き込んで突き進んでいく性格の国重は、ときには暴力で強行突破するような形で事件の真相へと踏み込んでいくことさえあるのだが、それは彼なりの曲げられない信念に基づいてのものであり、けっしてブレるようなことがない。もっとも、それゆえに国重という人物が、高校生というよりは、成熟した大人であるかのように見えることもあるのだが、こうしたキャラクターとしての魅力は、たとえば想い人への告白のための願掛けとして、自らの言葉を封印した沢木淳之介や、過去のある事件がきっかけで自殺願望をもつようになった平原啓太といった、「屋上部」のメンバーそれぞれが持ち合わせているものであり、こうしたクセのある登場人物たちの存在が、物語の魅力として生きてくることになる。

 小さないくつもの事件や個々の要素が、しだいにひとつの大きな事件の輪郭を浮かび上がらせていくという本書の構造は、細かい部分における伏線もふくめて非常によく練られたものがあって面白い。もっとも、その整合性を重視するあまり、きわめて都合のいい展開が繰り返されたりすることも多いのは確かだが、たとえばなぜ「屋上部」などというものができたのか、そもそもなぜこの四人のメンバーだったのか、といったことを突きつめていったときに、大統領の拉致監禁という、いっけんすると物語の大筋には絡んでこない要素――というよりも世界設定が、一種の免罪符のような役割をはたしているということに気づくことになる。

 本書を読み進めていくとわかってくることであるが、大統領の拉致監禁による世界的危機は、じつはこのうえなく大きな影響をおよぼしている。それは時間の経過とともに深刻なものとなり、アカネたちのいる町でも学校が休校扱いになったり、地方へ避難しようとする人たちが続々と出てきたりといったことが起こってくる。ごく常識的に考えれば、そうした危機のさなかにあって、わざわざ学校の屋上に足を向けるような者はいないし、またその余裕もないはずなのだ。ようするに、アカネたち四人の高校生が屋上という場に居合わせたのは、そこが本書の世界における唯一といっていい「平穏」が保たれていることに、気づくことができたからだと言うことができる。そしてそれは、メディアなどが安易に垂れ流している雑多な情報に振り回されることのない、たしかな何かを心のどこかにもっている者だからこそ、実現した出会いであり、「屋上部」の結成もそういう意味では必然性のともなうものなのだ。

 世界的危機だからこそ、世の中に悲観的になった者たちが自暴自棄になって犯罪に手を染め、それゆえに警察も人手不足で思うように動けない。そうした非日常的状況が、本来であれば警察に届けるべき拳銃などの物品を手元に置かせ、それだけでなくそこからその持ち主を探し出そうという彼らの好奇心を増幅させていく。そんな彼らを支えているのは、若さという名の奔放なエネルギーだ。それはともすると、間違った方向へと暴走することになりかねない力ではあるが、だからこそ、どんなにありえなさそうな奇跡だって起こせるのではないか、と思わせてしまうことも事実である。

 世界の危機において、「屋上の平和」などというものは、たしかに些細な事柄にすぎない。だが、そうした小さな平和やささやかな平穏を守ることができない者が、いくら「世界の平和」を訴えたところで何の説得力もないし、また滑稽でしかない。ちっぽけな私たちひとりひとりにとっての平和とは、あるいは目に見えるものに対して真摯に向き合っていくという、そんな小さな一歩から始まっていくことではないだろうか。そんなふうに思わされるものが、本書のなかにはたしかにある。(2009.11.10)

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