【早川書房】
『マーチ博士の四人の息子』

ブリジット・オベール著/堀茂樹・藤本優子訳 



 人間というのはなんとも身勝手な生き物で、自分の秘密を知られることは極端に嫌がるくせに、他人の秘密を知ることについては必要以上の情熱を燃やしたりするものである。たとえば、日記。基本的に自分が唯一の書き手であり、同時に唯一の読み手でもある日記のなかには、他人にはけっして見せることのない、その人だけの秘密がたくさん詰まっている。
 それは、なんと魅惑的な秘密の宝庫であろうか。はじめて好きな女の子の部屋に招待されたとき、もしその片隅に日記など発見しようものなら、「読んでみたい!」という衝動に駆られることのない男の子など、おそらく皆無といっていいだろう。それは、好きな女の子とふたりだけの秘密を共有できるアイテムである「交換日記」なるものを、やりとりしたいと思わない男の子が皆無であることと同じくらい、あきらかなことである。

 ちょっと話がズレてしまったが、もしこの書評をお読みになっている方で、他人の日記を見つけてしまった、という方がいるのであれば、そしてその日記を見てみたい、という欲求を持っている方がいるのであれば、本書『マーチ博士の四人の息子』を読んで、そして冷静になってもらいたい。なぜなら、あなたが手にとろうとしているその日記には、もしかしたらとんでもなく恐ろしいことが書かれているかもしれないからだ。

 本書の物語形式は、ふたつの日記を行き来する、という形をとっている。ひとつは、医者であるマーチ博士の家でメイドとして働いているジニー・モーガンの日記。そしてもうひとつが、そのジニーが心ならずも見つけてしまった「殺人者」の日記。彼はその日記の中で、自分が若い女性を殺すことでのみ性的な興奮を得ることができる異常快楽者で、過去に何人もの女性をその手にかけてきた事実を、つくり話にしてはあまりにもリアルに物語っている。

 そして――「殺人者」は、自分がマーチ博士の四人の息子のうちのひとりである、と告白しているのである。

 医学部の学生であるクラーク、音楽院に通っているジャック、弁護士事務所の研修生であるマーク、そして電子工学技師を目指すスターク――このいっけん、裕福で円満な家庭の、育ちもよく将来も有望な四つ子の兄弟のうちの、いったい誰が「殺人者」なのか? ジニーはなんとかこの「殺人者」の正体を暴くべく、彼の日記を盗み読みしながら、自身の考えをノートにまとめていくのだが、しだいに「殺人者」のほうも、自分に探りを入れているジニーの存在に気づき、まるで彼女を挑発するかのように、日記に次々と殺人をほのめかし、それを実行に移していく。はたしてジニーは、加速度的に殺人を繰り返す「殺人者」の正体を突き止めることができるのか……。

 こうして本書の構造を見ていくと、まるで探偵役の人間と犯人役の人間とがなにかのゲームをしているかのような気になってくるのだが、その感覚は、おそらく正しい。じっさい、本書の各章につけられた題は、たとえば「試合開始」や「ラリー」などといった表現が使われているし、きっと読者も、この「殺人者」がいったい何者なのか、どこかにそのヒントが隠されていないかと、いつのまにか注意しながら読み進めている自分に気がつくことになるだろう。ミステリーという小説のジャンルの原点が「謎解き」にあることを考えたとき、本書は読者をして「謎解き」をさせずにはいられない魅力と誘惑を兼ね備えたミステリーとして完成していると言えるのである。

 望まずして探偵役に仕立てられてしまったジニーが、ごく普通の――なかなかに勝気で度胸もあることはたしかだが、探偵役を張れるほど鋭い洞察力をもっているわけではない、ごく普通のメイドである、という点も、読者に謎解きをさせずにはいられないひとつの要因だろう。だが、謎解きを要求するミステリーである本書のもっともやっかいなところは、やはり「日記」という形で進められる一人称形式だろう。

 じっさい、京極夏彦の『姑獲鳥の夏』にしろ、筒井康隆の『ロートレック荘事件』にしろ、反則すれすれのトリックを用いるミステリーというのは一人称のものと相場は決まっているのだが、それは視点がある特定の人物に定められてしまうがゆえに、物事の真偽がかぎりなく曖昧になってしまう、ということに起因する。まして本書の場合、いっぽうは常識的な判断などまったく期待できない狂気の殺人者、そしてもういっぽうは、酒ぐせの悪い前科者のメイドである。極端なことを言ってしまえば、私たち読者は本書のタイトルである「マーチ博士の四人の息子」という言葉にさえ、疑いの目を向けざるを得なくなってしまうのだ。

 こうして、読者は「謎解き」を要求されながらも、確かなことが何ひとつわからないまま、困惑させられることになる。そしてそのふたつのベクトルが、読者をさらに物語のなかに引きずり込んでいく。まるで、アリ地獄のように読者をとらえて離そうとしないミステリー、それが本書なのである。

 はたしてジニーが「殺人者」の正体を暴くのが先か、あるいは「殺人者」がジニーを葬ってしまうのが先か? そして、このふたりの日記が進むにつれて増大していく狂気の度合いに、はたしてあなたの精神が耐えられるのかどうか? ごく何気ない日常に宿る純粋な狂気――あるいはジニーだけでなく、本書の読者であるあなたをも犯しかねないこの狂気こそが、本書最大のミステリーなのかもしれない。(2002.10.04)

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