【岩波書店】
『点子ちゃんとアントン』

エーリヒ・ケストナー著/池田香代子訳 



 この書評をお読みの方で、今回紹介する本書『点子ちゃんとアントン』を、子どもの頃に読んだことがあるという人は、どれくらいいらっしゃるだろうか。私はもうすっかり大人になってからしか本書を読む機会を得られなかったのだが、もし子どもだった頃に本書を読んでいたとしたら、点子ちゃんとアントンというふたりの登場人物の関係について、もっと素直に受け入れたうえで物語を楽しむことができたのではないか、と思わずにはいられない。

 点子ちゃんの本名は「ルイーゼ」だが、もっぱら「点子ちゃん」というあだ名で誰からも呼ばれている女の子だ。父親のポッゲはステッキ工場の社長で、ようするにお金持ちであり、点子ちゃんは大きな屋敷のなかで何不自由のない生活を享受している。いっぽうのアントンの家庭は貧しいうえに、母親が大きな手術を終えたばかりの療養中の身であり、彼は料理や掃除といった家事はもちろん、家賃を払うために夜も街に出てはたらかなくてはならない状況にある。

 性別はもちろんのこと、その家庭環境も置かれた境遇もまるで正反対のふたり――仲のいい友だちとして何の屈託もなくつきあっているふたりのあいだに、いったいどんな劇的な出会いがあったのだろうかと私などは考えてしまうのだが、その部分にかんする本書の記述は、じつにシンプルなものだ。

「あ、それはね、ぼくたち道で知り合ったの。それで、すぐ気が合っちゃったんだ」

 上述のセリフは、点子ちゃんがアントンの住むアパートを訪れたさい、アントンの母親に「どこでお友だちになったの?」の訊かれたときのアントンの返事であるが、あらためてそのシーンを読み返してみると、じつはアントンはそのセリフを言う直前に、点子ちゃんの足のつま先をこっそり踏んでいるのだ。これは言うまでもなく、アントンの点子ちゃんへの合図――つまり、自分たちがどこで、どんなふうにして出会ったのかは黙っててほしいという合図であり、点子ちゃんもすぐにその意図を察して「そうそう、と言うようにうなず」いてみせる。

 ふたりの出会いの話題は、それ以降はっきりとした形で触れられることはない。だが、本書を読み進めていくと、アントンは夜に大通りを歩く人を相手に靴ひもを売ってお金を稼いでおり、点子ちゃんもまた養育係であるアンダハトとともに、大通りでマッチを売っているということ、そしてそのことは、どちらも家族には秘密にしていることがわかってくる。ははあ、と大人の私は考える。点子ちゃんとアントンが知り合った「道」は、きっとここに違いない。そして同時にふと思う。もし自分が子どもだったら、こうした微妙なニュアンスについて、はたしてどこまで読み解くことができただろうか、と。

 点子ちゃんとアントンという、あらゆる点で両極端なふたりが友だちになった大きな要因として、ふたりだけの秘密を共有しているという心理があったことは間違いない。もっとも、ふたりの秘密のお金稼ぎについては、その目的が大きく異なっているし、とくに裕福な家庭の子どもであるはずの点子ちゃんが、物乞いのような格好でマッチを売っているという要素は、その後の物語の展開において重要な役割をはたすことにもなるのだが、仮にそうしたニュアンスに気づかなかったとしても、物語を読むのに支障がないような構成になっている。いや、むしろそうした部分をすっとばして、ただたんに「ふたりは友だち」であることを無条件に受け入れられるのが、子どもとしての特権なのかもしれない。

 私も含めた大人たちは、何かというと理由づけをしたがるものだ。私がネット上にアップしている書評などは、その典型的な例だと言える。貧富の差が大きい家庭の子どもが友人であることに、なんらかの意味を求めて納得したがる――それは逆に言えば、そんな子ども同士がまともな友だちになれるのだろうか、という疑問が前提にあるからこそなのだが、子どもというのは本来、理屈でとらえることのできない存在である。「気が合う」からという理由で、お互いの置かれた環境の違いなど完全に無視して友だちになることができる――それはなんと素晴らしいことだろうと思うし、自分に子どもがいたとしたら、そんな友だちづくりをしてほしいとも思う。そういう意味において、本書はまさに子どもたちに読んでほしい児童書である。

 だが、そんな子どもの視線を意識した物語の流れとは別に、「立ち止まって考えたこと」という注釈めいた短い文章のことも忘れてはならない。点子ちゃんとアントンの物語が本書の本筋であるなら、「立ち止まって考えたこと」は、そんなふたりを見守る大人の視線である。そしてその視線は、点子ちゃんやアントンの個性を賞賛しながらも、その危うさや考えなしの行動を注意し、いさめる視線も含まれている。たとえば、アントンの無鉄砲なゲンゴツのこと、点子ちゃんが両親についている嘘のこと。悪いことと良いことの区別がまだ明確につけられない子どもたちに、諭すような口調で書かれている「立ち止まって考えたこと」は、じつはものすごく論理的である。そして、大人の私はまた思うのだ。本当の理屈というのは、子どもを納得させてこそのものではないのか、と。

 子どもの想像力、論理を無視したその言動は、ときに大人の思いもしない結びつきを生む。ちょうど、点子ちゃんとアントンが本書のなかで友だちになる、というふうに。だが、その理屈抜きの言動が悪い結果を生まないようにするためには、まぎれもない論理の力が必要でもある。何かをする前に、文字どおり「立ち止まって考え」ること――そうしたことをふまえたうえで、誰かの幸せを自分の幸せとして感じとることのできるふたりの物語は、そのまま著者の、すべての子どもたちへの願いでもある。児童書としての奥深さを、あらためて感じとってもらいたい。(2012.03.12)

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