【マガジンハウス】
『パンク侍、斬られて候』

町田康著 



 自分と世界以外に言葉というものがあって、それまで生きていた世界以外に言葉によってできたもうひとつの世界があることに気がついたのです。しかもそのふたつの世界はなにかによって串刺しになっている。その串は言葉を喋る人間が言葉を持ったことによって抱えこまざるを得なくなった思念であることにも気づいたよ。

 本書『パンク侍、斬られて候』という作品の性質について、おそらくもっとも適切な言葉があるとすれば、それは上述の引用であろう。この台詞は大臼延珍という、人間の言葉を解すばかりか喋ることさえできる大猿が、その理由を問われたときの返答の一部であるが、そもそも猿が人間の言葉を流暢に話す、ということ自体、現実の世界では絶対にありえない話だ。だが、本書をはじめとする物語世界のなかにおいては、猿だけでなく動物が普通に人間と話をすることがあるし、そればかりか現実にはありえない生物、ありえない世界観が普通に存在している。あくまで物語の世界、虚構だから、と言ってしまえばそれまでのことでしかないのかもしれないが、世の中の小説がすべて、言葉という表現形式のみによって築かれたものであり、ときにその世界観が現実以上のリアリティをともなってさえくること、そして私たちもまた言葉によってものを考え、言葉によって他人とコミュニケーションをとっていることを考えたとき、およそすべての人間が共通のものだと思い込んでいるこの世界もまた、それぞれの言葉というフィルターによってある程度歪められた、真の世界とは程遠い偽りの世界を映し出しているにすぎないと思い込んだとしても、それはあながち妄想とはいえないのかもしれない。

 そういう意味で、本書は「言葉によって築かれた偽りの世界」という要素を強く意識している。いや、この作品の中で展開していく物語は、その内容も世界観も非常に嘘っぽいものだとさえ言える。時代はいかにも江戸時代のような雰囲気をかもし出しているものの、登場人物たちの会話はともすると、すぐにカタカナ語の混じった今時の若者っぽい口調に変化してしまうし、その登場人物の名前も、掛十之進や長岡主馬はともかくとして、「オサム」や「江下レの魂次」とか「幕暮孫兵衛」といった、いかにもふざけてますといったものが多い。そもそも「腹ふり党」なる邪教にしてからが、ひたすらに腹をふって馬鹿なことをしつづけていれば真正世界へと到ることができるという、いかにもアホくさい教義を打ち立てたアホくさい宗教である。このいかにもな嘘っぽさ、時代小説にしてはあまりにも安っぽい設定、そして筋書きの無意味さは、当然のことながら意識されたものである。

 逆に言うなら、本書において物語の筋や時代考証といったものを読むこと自体が無意味である。だが、にもかかわらず読者が本書を飽くことなく読み続けてしまうのは、ひとえに登場人物たちの会話を中心とした言葉のリズムやテンポ、そして時代小説であることを前提としていながら、いかにも現代っぽい口調というギャップから生まれてくるおかしさに尽きる。もともと著者である町田康の作品は、登場人物の会話から展開する軽妙な世界観こそが真骨頂であるのだが、本書の場合、そこからさらに発展して、奇妙な会話が生みだす効果が、しだいに世界観そのものにまで影響を与えていく。その過程をこそ楽しむ作品であるのだ。

 本書における一応の主人公といえる「超人的剣客」掛十之進は、黒和藩でいきなり老人を斬り殺し、彼は「腹ふり党」の一味であり、そうである以上この藩は性急に腹ふり党の対策に乗り出さなければ滅んでしまう、などと藩士に訴えかける。もちろん、そんなのは嘘に決まっているのだが、そのひとりの人間がついた嘘の言葉が、物語が進むにつれて徐々に重みを増し、現実を侵しはじめ、ついには世界そのものがひっくり返るかのような加速度的大騒動にまで発展してしまうという過程――この一連の流れは、まさに言葉によって生まれ、言葉によって展開していく世界そのものを指し示している。そして、その最初の言葉が嘘であるがゆえに、そのつじつま合わせにさらなる嘘が生まれ、そのことによってますます抜き差しならない状況へと登場人物たちを追い込んでいく。そういう意味では、あるいはちょっとした教訓話のような感じでもあるが、重要なのは、嘘の言葉が嘘の世界をさらなる虚構の世界へと突き落としていく過程にこそある。

 違うんだよ。奴らはそれが合理的だから信じるんじゃないんだよ。奴らは自分が信じたいことを信じてるんだよ。おまえら全員アホだから死ぬまで無給で働け、と言ったら信じないよ。

 よくよく考えてみれば、なんとも馬鹿げた話ではあるのだが、ふと自分の周囲を見渡してみれば、そんな馬鹿げた話は、じつはそこらじゅうに転がっている。メディアの報道を鵜呑みにしてしまう大衆、ますます加速していく流行についていこうと必死な人たち、溢れかえる情報のなかで、何を信じたらいいのか呆然とせざるをえない状況、オレオレ詐欺などの、いかにも馬鹿げた、しかしその人の心理をつく巧妙な詐欺にひっかかる人――そのいずれも、言葉によって生まれた嘘の世界を盲目に信じた結果であるとすれば、本書の中の「腹ふり党」などという、いかにも馬鹿げた宗教を簡単に信じ込んで腹を振ってしまう人たちを、馬鹿だといって笑ってばかりもいられないし、それはある意味怖ろしいことでさえある。

 私たちが言葉という不完全なコミュニケーションの道具をもちつづけるかぎり、言葉が生み出す「もうひとつの世界」から脱却することはできない。では、言葉の外にあるはずの「真性世界」とは、いったいどういうものであるのか? そんなふうに考えたとき、本書の嘘くささが、はじめて私たちの生きるこの世界にもあてはまるものであることを知ることになるだろう。「ある意味怖ろしい」とは、そういうことなのだ。(2005.01.07)

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