【双葉社】
『中等部超能力戦争』

藤野千夜著 



 日本のことわざに「あばたもえくぼ」という言葉がある。自分が惚れこんでいる異性であれば、あばたという、明らかに容姿を損なう出来物であってもえくぼのように可愛く見えるという意味である。逆に「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という言葉もある。憎たらしいという感情を一度もってしまうと、その人のあらゆるものが憎く感じられてしまうという意味であるが、こうしたことわざが生まれてくる背景には、物事の判断基準がいかに個人の感情によって左右されてしまいがちかという教訓がある。

 私たちが世の中の常識だと思い込んでいる物事が、じつは多分に個人的な感情や、あるいはその人の育ってきた環境に影響されているものであるという事例は、私たちが考える以上によくあることだったりする。とくに常識というものは、当人があまりにあたり前だと思い込んでいるがゆえに、それが偏見かもしれないという意識すら立ち上がってこないからやっかいだ。そういう意味で、今回紹介する『中等部超能力戦争』というタイトルは象徴的である。なぜならそこには、磯島はるかと小清水しずえのふたりが共通認識として共有できて、はじめて成立する要素が含まれているからである。そしてそれはもちろん、「超能力」という要素と、「戦争」という要素だ。

 小清水さんには、なにかおかしな力がある。
 初等部のころから、そんな噂は囁かれてきた。

 三人称とはいえ、おもに磯島はるかを主体として展開していく本書において、小清水しずえという同級生との関係を簡潔に語るのは難しい。周囲からは、仲の良いふたりのように見られているようであるが、少なくともはるかにとって、「大の親友」といった表現で片づけられるようなものでないことは、本書を少し読んでいけばすぐにわかってくることではある。そしてその微妙なふたりの関係性の、もっとも大きな要因となっているのが、小清水がもっているとされている「おかしな力」である。

 本書のタイトルにも出てくる「超能力」が、小清水の「おかしな力」のことを指しているのは間違いない。じっさい、初等部にいた頃に、小清水の「おかしな力」は、おもに彼女にちょっかいを出した人にちょっとした不幸が訪れる、という形で広まっていた。もっとも不幸とは言っても、せいぜい急に気分が悪くなったり、床下や窓が揺れたり、あるいは天井からチョークの粉のようなものが降ってきたり、といった微妙なものばかりなのだが、なかには上級生が事故で大怪我を負ったという重大事も混じってはいる。だが、小清水との直接的な因果関係が掴めない、という意味ではやはり微妙なものであることに変わりはない。

 いずれも偶然だと言ってしまえばそれまでのことでしかないのだが、何の因果か小清水になつかれているゆかりにとって、小清水の「超能力」は、たしかに存在するという認識に到っている。とはいうものの、別に彼女の「超能力」を怖れるがゆえに、いやいや友人となっているという感じでもなく、せいぜい家の蛍光灯の豆電球を割る程度の、ちょっと面倒くさい奴という捉え方なのだが、それでも力は力である。少なくとも、中等部になってそうしたオカルトじみたことよりも、ファッションやアイドル、好きな男の子のことといったものに誰もが自身の興味をシフトさせていくなか、はるかは小清水ともっとも親しい女子であるがゆえに、その「おかしな力」を一番身近に感じつづけてきたわけであり、彼女にとって小清水=「おかしな力」というのは、当たり前の常識であり、また小清水とともにいるかぎり続く日常でもあった。

 こうして小清水には、本当に嫌がらせをしてきた相手を不幸にするような力が備わっているのか、という問いが残されるのだが、正直なところ、本書においてその真相はさほど重要なことではない。重要なのは、ゆかりと小清水のあいだで微妙に食い違っている、お互いに対する認識のほうにこそある。あくまでゆかりの主観によって展開していく本書において、小清水という同級生はかなり面倒くさいというか、けっこう嫌な奴のように見える。言いたいことがあるにもかかわらず、それを直接口にはせず、相手が当然察すべきだという思いが見え隠れする。自分の嫌なことを相手に無理やりやらせようとするくせに、何か問題が発生したときには相手にいっさいの責任を押しつけようとする。そうした小清水の態度は、ゆかりにボーイフレンドができて、彼との時間を重要視するようになってからはますます増長し、それとともに彼女の「おかしな力」もエスカレートしていく。

 だがいっぽうで、小清水自身はその「超能力」をけっして認めようとはしない。どころか、国語の石高先生の車が炎上したさいには、ゆかりを犯人だと言いふらす始末。それも、「おかしな力」があるのはゆかりだと言わんばかりの態度をとったりするのだ。そしてそのとき、私たち読者は、小清水を嫌な女だと思ういっぽうで、その反応に一抹の真実が隠されているのではないか、と疑わざるを得なくなってくる。本当の「超能力」の持ち主とは誰なのか、本当の意味で被害者なのは、はたして誰なのか、と。

 日常のなかや人間関係におけるちょっとした違和感や不安といった要素は、著者の書く作品に共通するテーマのひとつであるが、本書に出てくる「おかしな力」や「超能力」といった言葉に象徴されているのは、科学などの因果関係では説明のつかない何かであり、それゆえに人を不安にさせるものでもある。だが不思議なことに、ふたりの関係を一方的に支配していると思われている「おかしな力」は、むしろふたりにとってはささいな事でしかなく、むしろ嘘をついたり誤魔化したりといった、きわめて人間的な感情によって大きく左右される。それはまるで、ごく普通の中学生や高校生の日常を見ているかのようであるのだ。そして、だからこそこの物語の違和感は、よりいっそう強固なものとなって読者の心を揺さぶることになる。

 本書のタイトルである「中等部超能力戦争」とは、本書のなかで小清水が書いた小説のタイトルでもある。そしてそのなかで、小清水らしき一人称の「私」と、ゆかりらしき「河童子」が文字どおり超能力戦争を繰り広げる。その小説を、ゆかりは自分への手の込んだ嫌がらせととらえたが、もしその内容が小清水にとっての真実であるとすれば、彼女はいったいどんなふうに世界を見ていたのだろうかと思わずにはいられない。はたして、私たちにとってあたり前のように映っていた世界は、本当はどんな姿をしているのだろうか。(2013.10.15)

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