【光文社】
『水上のパッサカリア』

海野碧著 
第10回日本ミステリー文学大賞新人賞受賞作 



 生きた登場人物としては一度も物語のなかに出てこないにもかかわらず、下手な主役や語り手よりよほど存在感のあるキャラクターというのが、小説のなかにはときどき登場する。もっとも典型的な例が、物語がはじまった時点ですでに死亡しているキャラクターであり、それゆえに物語の展開のなかに直接絡んでくることはないのだが、にもかかわらず、たとえば登場人物の回想という形で何度も登場してくる場合が多い。こうした姿なき登場人物の存在は、彼らを思い出す登場人物にとって特別な意味をもつものであるばかりか、ともするとその登場人物の一部といっていいくらいの深いつながりを示唆するものでもあるが、本書『水上のパッサカリア』を語るにおいて、菜津という女性の存在はけっして避けることのできないものとして、物語のなかで大きな役割を請け負っている。

 語り手である大道寺勉の口から、まるでそこにいるのがあたり前であるかのように語られる菜津との生活のこと――物語全体の、じつに三分の一を占める菜津との過去の思い出が、語り手にとっていかに大切なものであるのか、想像するのはそれほど難しいものではないが、けっして叙情的な表現をもちいたり、菜津への感情を感傷的に語ったりすることのない語り手の、いかにも無骨な性格が垣間見える語り口ゆえに、菜津への思いの強さが逆に強調される結果となっている。本書を読み進めていくと自然にわかってくるのだが、本来語り手は、人と人との関係についてはことさらドライなところがあり、自分以外の誰がどうなろうと基本的に知ったことではない、というスタンスを貫くことのできる人物として描かれている。だからこそ、そんな彼の回想という形をとった菜津への思い入れの深さが、あえて言うならひとつの大きな謎として、物語全体を引き立てる役目を果たすことになる。

 Q県北西部の穂刈高原、翡翠湖のほとりにあった小さな別荘を格安で借りてはじまった菜津との生活は、三年ほど続いたのち、交通事故に巻き込まれて菜津が死亡するという形で唐突に断ち切られている。菜津との馴れ初めからこの町に越してきたときの彼女の様子、その後の生活がどんなふうだったのか――たとえば彼女がどのようにして飼い犬のケイトと出会い、家で飼うことになったのか、といったエピソードなど、語り手の視点はあくまで菜津のほうに向けられてはいるが、語り手自身の事情については、注意深く口をつぐんでいるところがある。むしろ、自分のことを話題にしないために、あえて菜津との思い出にひたっているようなところさえ見受けられるのだが、それはいっけん菜津との生活を満喫していながらも、どこか周囲の動静に必要以上の注意を払い、まるで侵入者が来ることを想定しているかのように柵や生け垣を取りつけたりしている語り手の、どこか一般人とは異なった雰囲気に拠るところが大きい。

 菜津と夫婦同然の生活をしていながら、入籍していないといった事実や、一級整備士の資格をもちながら、まるで都会を避けるかのように越してきたことなど、単純に菜津との生活の思い出を懐かしんでいるだけではない何かが、語り手にはある。そんな雰囲気を直接的な説明文ではなく、他ならぬ菜津との生活の回想のなかに組み込むことのできる文章力の高さは、間違いなく本書の強みだと言っていいものだ。そしてその文章力は、語り手がよろずトラブル解決請負業<始末屋>としての依頼を受けることになる本書のメイン部分においても遺憾なく発揮される。

「あれは事故だったんだ。地元の暴走族のメンバー三人が山道の、それもトンネル近くで無理やり追い越しをかけてきた、その結果だ」
「その連中が、服部の息がかかっている暴力団の、下部組織のチンピラだったと言ったら、おまえ、それでも気にならないか?」

 おもに裏の稼業におけるさまざまなトラブルを、非合法すれすれの方法で丸く収めるという<始末屋>――その最後の仕事で、闇の金融ネットワークのドンである服部威一郎を敵にまわすことになり、それを機に<始末屋>から抜けることにした大道寺勉が、かつてのメンバーに居場所をかぎつけられたとはいえ、結果としてふたたび<始末屋>としての仕事、それも、服部威一郎を標的とした大仕掛けを引き受けることにしたのは、はたして奈津の敵討ちのためなのか? 語り手は下手に自身の心情めいたことは口にしないし、また余計なことを口にするような性格でもない。その胸のうちにどのような思いを秘めているのか、私たち読者ははっきりと知るすべもないままに、彼の<始末屋>としての行動を追うことになるのだが、依頼主である岡野についての調査も抜かりなく進め、常に相手の弱みと自身の逃げ道を確保した上で行動に移るという用意周到さをまのあたりにするにつれて、私たちは語り手が、はじめからある確信をもったうえで今回の依頼を引き受けることになったのだ、という思いを強くしていくことになる。そして、その確信の中心にいるのは、やはり奈津である。

 語り手にとって親同然でありながら、同時に仇敵ともいうべき腐れ縁で、ギャンブルで身を持ち崩しつつある弁護士の斯波謙三、ある事件がきっかけで語り手を師のように敬っている走り屋のヒデ、斯波の秘書兼愛人で、何を考えているのか今ひとつつかめない上月冴子など、ひとクセもふたクセもある<始末屋>のメンバーであり、本来であれば物語を彩るに充分な個性の持ち主でもあるこれらの生きた登場人物であるが、依頼主である岡野もふくめ、彼らと大道寺勉とのあいだにある関係という点では、かつて築いた奈津との関係には遠くおよばないほどドライで、人を道具のようにしか思っていないものとして映る。本書冒頭で語られる奈津との生活の回想は、じつのところ語り手のそれまでの人間関係との対比という意味でも、物語のなかで重要な位置を占めている。だからこそ、私たちもまた語り手と奈津との関係が特別なものであるという印象を強くするのだが、それでもなお、その思いがどのようなものであるのか、その形が本書ラストで示されたとき、読者はきっと意外なミステリーの謎が明かされたときのような驚きを覚えることになる。

 クセがあるといえば、いかにもハードボイルドの主人公というべき性格の語り手、大道寺勉もまた特異なキャラクターである。そして、そんな彼の性格だからこそ奈津との、それこそ彼がこれまでの人生のなかで感じたもっとも人間らしい関係が成立したし、そこから今回の物語も生まれてきた。そういう意味で、本書は何より登場人物たちの魅力が生きている作品だと言うことができる。けっして平凡とは言えない語り手のそれまでの人生のなかに、ふとまぎれこむことになった奈津という女性――なるほど、ハードボイルドにおける恋愛というのは、あるいは本書のような形こそがふさわしいのかもしれない、と思わせられる作品である。(2008.08.04)

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