【東京創元社】
『名探偵の証明』

市川哲也著 

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 不可解な謎を秘めた事件に対して、その真相をあきらかにして犯人を暴き出す役目を負った者を、ミステリーの世界では「探偵」と呼ぶ。そしてこの「探偵」という言葉には、広義の意味と狭義の意味があり、さっきの説明はおもに広義の意味となる。つまり、謎を解く人物全般を指す意味での「探偵」であり、その人物はかならずしも探偵業を専門職としている必要はない。じっさいにミステリーにおいては、学生が探偵役を担うこともあれば、老人が探偵役となって推理を披露することもあるし、事実そんな作品は存在している。

 これに対して、狭義的意味を持つ「探偵」とは、探偵業を専門職としている人のことを指す。より厳密に言うなら、その人物が本来もっている職業や地位以上に、探偵としての役割のほうが社会的重要度が高いとみなされている人たちのことである。そして、こうした狭義の「探偵」にかんするネタのひとつとして昔から話題になっているのが、「探偵」と事件との因果関係である。

 ミステリーとは言うまでもなく、なんらかの事件が起こり、「探偵」がその謎を推理するという内容を楽しむものである。事件はたいてい、警察などでは解決できない難事件であることが多く、それゆえに「探偵」が活躍できる余地が出てくるわけだが、あるミステリーのシリーズが人気を博すると、同じ「探偵」が次々と難事件と遭遇したり、あるいは「探偵」のもとに事件解決の依頼が来たりといった現象が必然的に生じることになる。もちろんそれらの事件は、人の長い生涯における、ほんの短い時間の出来事にすぎないのだが、およそミステリーがそうした事件を中心に取り上げるものである以上、読者はいつしか「探偵」が事件に遭遇するのではなく、事件のほうが「探偵」の周囲で発生するという錯覚に陥ることになる。

 「探偵」がどこかに出かけると、かならずそこで殺人事件が起こる。殺人事件のあるところ、かならず「探偵」の姿がある――まるで「探偵」であることが一種の呪いであるかのような、ミステリーというジャンルのかかえるこの宿命的命題について、それも「探偵」であるためのひとつの「性質」として昇華させることに成功した作品がある。それが今回紹介する本書『名探偵の証明』である。

「屋敷さんは、五回旅行すれば一回は事件に遭う星のもとに生まれているんですよ。大事な予定の前に旅行するなんて、それでも名探偵ですか。わざわざ危険な選択しないでください。こっちは毎回心労で倒れそうになるんですからね、まったく」

 本書に登場する屋敷啓次郎は、狭義の意味での「探偵」である。どんな難事件も天啓的ひらめきによって、たちどころにその真相にたどりついてしまう、本物の「名探偵」――かつてはメディアでも大きく取り扱われ、また彼の書く小説が推理小説の一大ブームを引き起こすほどの著名人でもあったのだが、十年前のある殺人事件の調査のさいに、犯人の襲撃を受けて途中退場を余儀なくされてから、彼の凋落がはじまる。本書冒頭では、いきなり殺人事件の真相披露というクライマックスシーンではじまる屋敷啓次郎の輝きは、もうすぐ六十になろうとする今の彼には見当たらない。かつてのにぎわいを失った事務所になかばひきこもったまま、細々とした生活をつづけるという毎日だ。

 そこに、警察関係者ではめずらしく屋敷の協力者としてサポートしていた武富竜人がやってくる。屋敷がふたたび「名探偵」として復帰することを願う彼は、屋敷に発破をかけるためにある事件の真相を解けと迫るのだが、そこには今をときめく大学生探偵の蜜柑花子の名前があった……。

 本書を読んでいくとすぐにわかることであるが、屋敷にしろ蜜柑花子にしろ、社会的に「探偵」として認められている人たちは、かなりの高確率で事件と遭遇するという運命を背負っている。そして当人たちもまた、自分が探偵であり、事件の謎を解く者としての振る舞いを意識しているところがある。とくに屋敷の場合、関係者を集めての真相解明の舞台を「マジックショー」と称し、話し方から顔の表情、相棒たる武富との連携にいたるまで、ことごとく計算して実施していることが見て取れる。こうした狭義的意味での「探偵」というキャラクター性は、じつのところリアルな世界ではまずありえないものであるし、仮に存在したとしてもどこか胡散臭く見られるのが関の山だ。だが、本書の世界ではそうした「探偵」の存在が、公然のものとして受け入れられている。それどころか、メディアへの過剰な露出など、一部ではアイドル扱いすらされているのだ。

 こうした、ある種の「探偵」のステレオタイプを、あえて意識してミステリーに持ち込んでいるところが本書最大の特長となっているのだが、ともするとギャグ路線になってしまいがちなこの特長が、物語のなかではむしろシリアス展開の要素として使われているのは、本書における「探偵」の最大の特徴が、「殺人事件に異様なまでに付きまとわれる」という、けっして喜ぶべきことではない性質に重きを置いているからに他ならない。

 蜜柑花子を名指しで指名し、かつ予告どおりに密室殺人が発生するという展開となる本書であるが、重要なのはそのトリックの部分ではなく、むしろ屋敷啓次郎が自身になかば運命づけられている「探偵」という役柄にどのような思いをいだき、またどのような結論を出すのか、という点である。過去に彼の身に起きた襲撃事件は、名探偵がいては事件が解決してしまうと悟った犯人が、一か八かで引き起こした凶行だった。それだけ、本書の世界における「探偵」の影響力が大きいということを意味するのだが、それ以外にも探偵たちを憂鬱にさせる事柄は多い。たとえば警察からすれば、事件の真相を暴いてしまう探偵の存在は目の上のたんこぶであるばかりか、警察の無能ぶりをことのほか強調する存在として忌み嫌っているし、事件の被害者となった家族からも、ときに非難されることすらあるのだ。「探偵がそこにいなかったら、事件は起こらなかったかもしれないのに」と。

 そう、本書の世界において「探偵」でありつづけるというのは、当人にとってだけでなく、その協力者にとっても想像以上の負担を強いることなのである。しかも屋敷にとって「探偵」であることは、もはや彼に欠かすことのできない性質となっているところがある。だからこそ、自分のファンであることを公言する蜜柑花子に対して、あくまで「探偵」としての矜持を示そうと奮闘もするし、また事件のほうも彼を放っておいてはくれない。そしてそれ以上に、本書における謎解きのベクトルが独特である。殺人事件のトリックについては、もはや出尽くした感すらあるミステリーにおいて、じつに心憎い方向に謎解きの魅力を振り分けているのだ。こればかりは、じっさいに本書を読んで確かめてもらうしかないところである。

 かつて屋敷啓次郎は、名探偵に必要なのは推理力ではなく、「勘と運と想像力」だと語り、蜜柑花子もその言葉を自身の探偵としての糧としてきた。そしてその言葉が、ある意味で本書における「探偵」の立ち位置を象徴するものでもある。外に出れは否応なく事件と遭遇してしまう――そしてその事件の謎を解き明かすことを否応なく求められる「探偵」という呪いは、はたして彼らにどのような運命を突きつけることになるのだろうか。(2013.11.02)

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