【新潮社】
『ポプラの秋』

湯本香樹実著 



 もし、「あの世にいる誰かに手紙を届けてあげよう」と言われたら、あなたは誰に手紙を届けてほしいと思うだろうか。そして、届けてもらう手紙に、どんなことを書くだろうか。

 人は人の死について何を考え、どう自分を納得させるのだろう、ということを、ふと考える。この世に生を受けてから、せいぜい二十数年しか生きていない若造の私が、人の死についてどれだけのことが言えるのか、はなはだ疑問ではあるが、それでも、少なくとも想像することはできるはずである。それまであたり前のように自分のそばにいた人が、ある日、突然この世から永遠にいなくなってしまう、ということ――:現実にぽっかりと穴が空いてしまったかのような、そんな喪失感について。

 人は死んだらどこへ行くのか、人はどうして死ぬのか、そして死とは何なのか――それが自分に親しい者であればあるほど、その喪失感は大きく、その死の意味について考えずにはいられない。あるいは、すべてを忘れて生きていけるのならそうしたい、と思う人もいるかもしれない。だが、本書『ポプラの秋』に登場する星野千秋は、その当時、まだ六歳だったにもかかわらず、けっして忘れたいと思うことはなかった。人の死によって引き起こされずに入られない、深い悲しみ――その心の傷とどう向き合っていくべきなのか、そのヒントがこの物語の中にはある。

 本書の冒頭にあるのは、おばあさんの死の報せである。おばあさん、と千秋は呼んでいるが、それは祖母のことではなく、今から十八年前に彼女とその母つかさが三年ほど住んでいたアパート「ポプラ荘」の大家さんのことである。当時、父親の俊三が交通事故で急死し、そのショックの影響か、つかさは千秋を連れて見知らぬ電車に乗りこみ、見知らぬ町をぐるぐると、何の目的もなく歩きまわるということを繰り返していたのだが、ある日、ポプラの木に招き寄せられるようにして辿りついたのが、その「ポプラ荘」であった。そして、そのめぐりあわせは、当時の千秋にとって、けっして忘れられない思い出のひとつとして刻み込まれることになる。

 衣裳会社に勤め、あまり細かいことを気にせず、二階の窓からのら猫に餌を投げ与えたりする佐々木さんや、タクシーの運転手で、少しどもる癖のあるバツイチの西岡さんといった、同じアパートの住人たちの存在もさることながら、なんといっても印象的なのは「ポプラ荘」の大家さん――当時八十歳だったおばあさんの存在であろう。最初「アパートに子供は駄目だ」と言っていたおばあさん――いかにも気難しそうで、いつも薄暗く、古い本や置物、掛け軸といったものでいっぱいの部屋で暮らす彼女の存在は、千秋にとって近寄りがたいものであったが、思いがけずおばあさんの部屋に通うようになった千秋は、おばあさんの「お役目」――あの世に行くときに、あの世にいる人に手紙を届ける、という話を聞くことになる。

「あの世にいる誰かとね、たとい心底繋がってると思ってたって、違うものだよ、手紙を届けてもらえばね」
「違うって」
「そりゃあ、それがほんとに着くからさ」

 たった六歳の少女だった千秋にとって、父の死はどういうものとして映っていたのだろうか。「まるで漫画のなかの絶望的に不注意な登場人物のように、蓋の開いているマンホールにうっかり落ちて、消え失せてしまったも同然」である父――いったい、どこへ行ってしまったのかわからなくなっていた父の存在を、おばあさんはその「お役目」の話をすることで、「あの世」という居場所に父親を落ちつかせるのと同時に、もしかしたら自分や母もまた、父のように突然消え失せてしまうのではないか、という不安から、神経症のようになっていた千秋の心を救うことにもなった。なぜなら、おばあさんは、千秋の書いた手紙を、けっきょくは「タダで」届けることを約束したからである。

 父に手紙を書くことで、父の死という事実を自分なりに受け止め、少しずつ立ち直っていく千秋の姿を描いた本書は、「ポプラ荘」の人なつっこい雰囲気――その象徴でもあるポプラの木の、一年を通しての移り変わりを中心にして繰り返される、どこにでもあり、しかしそれゆえに貴重な日常とうまくマッチして、ストーリーとしてはありきたりでありながら、読む人の心を素直に打つものがある。また、父の死に関して拒否するかのように口を閉ざしてしまう母親の態度の裏にあるものが何なのか、という、ちょっとしたミステリーの要素もあり、多くの人を満足させる作品として仕上がっていると言えるだろう。

 そして、物語は過去の思い出から、現代へと跳ぶ。夢でもあった看護婦の仕事に就きながら、流産という悲しい出来事にすっかり臆病になってしまった千秋は、まるで救いを求めるかのように、おばあさんの遺体の待つ「ポプラ荘」へと向かう。はたして、そこで彼女を待っているのは何なのか、そして、彼女はそこで何を知り、何を得ることになるのか……それは読者の目で、直接確かめてもらいたい。

「癒し」という言葉はあまり好きではないのだが、もし「癒し」というものを本にしたなら、それはきっと本書のような作品になるのではないだろうか、と思う。それは、人の死という悲しみを乗り越えて、一歩前に足を踏み出す勇気を与えてくれる作品に他ならない。そう、「ポプラ荘」のおばあさんが、あの世への郵便屋として、さまざまな想いのつまった手紙を持っていくことで、千秋たちに一歩前に進む勇気を与えてくれたように。(2000.09.16)

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