【白水社】
『柘榴のスープ』

マーシャ・メヘラーン著/渡辺佐智江訳 



 おいしい料理を味わうことが、その人を幸せな気分にしてくれるというのは、たとえ、その幸福感が一時的なものでしかないとしても、人生を生きるうえで重要なことのひとつではないだろうか、と思うことがある。

 食べるという行為は、誰もが行なっている基本的なことであるし、また生きていくために最低限満たされなければならないことでもある。むろん、ただものを食べて、とりあえず空腹が満たされればそれでいいというわけではないのだが、逆に、日々の食事にすら事欠く生活というのは、それだけでその人を不幸にするには充分な要因にもなる。それでなくとも、何かに幸福を感じることが難しい今の世のなかにおいて、おいしいものを食べる、それを味わうというのは、言い換えれば幸福を味わうための身近な方法のひとつでもある。それは、あるいはささやかなものでしかないのかもしれないが、そうした幸福の積み重ねが、あるいは文字どおり、私たちの日々を生きる糧となっているのだと考えるのであれば、けっして馬鹿にはできないことだ。

 自分もラヴァーシュみたいなものだろう、とマルジャーンは思った。時間と、暖かく居心地のいい環境があれば、どんなことでも可能になると。

 上記引用の「ラヴァーシュ」とは、ペルシア(イラン)料理のひとつで、薄焼きのナンのこと。本書『柘榴のスープ』には、この「ラヴァーシュ」をはじめ、数々のペルシア料理がレシピ付で登場するのだが、これらの料理と物語とのつながりの絶妙さこそが、この作品の大きな特色となっている。

 アイルランドにある小さな村、バリナクロウの一角に、中東風の料理店がオープンした。店の名前は「バビロン・カフェ」。以前は夫とともに同じ場所で別の料理店を営んでいたエステル・デルモニコは、夫の死後、その場所を姪の知り合いである若い三姉妹に貸し出すことにしたのだ。一見してアラブ系とわかる風貌の三姉妹――魔法のような料理の才能をもつマルジャーン、神経質で偏頭痛もちのバハール、魅力的な容貌で人の目を惹かずにはいられないレイラーと、そんな彼女たちのカフェの存在は、変化に乏しい片田舎に住む人々に、はたしてどのように受け止められることになるのか?

 見知らぬ異国の地に居場所を求めるかのようにやってきた異国人を主人公とする本書であるが、同時にそれは、異質なものを恐れ、貶めようとするその土地の住民たちの偏見との戦いという側面と常に対となって語られている。じっさい、バリナクロウにある酒場の大半を支配するトマス・マグワイアは、三姉妹の店をナイトクラブに改修したいという野望ゆえに、「バビロン・カフェ」に嫌悪感むき出しであるし、それに同調する人たちも、けっして少なくはない。

 もっとも、「戦い」などという言葉を使いはしたものの、マルジャーンたちにできるのは、ペルシア料理を用意し、店の運営に日々を費やしていくことだけであり、逆に言えば、それだけで精一杯という状態だ。だが、中東のスパイスの組み合わせと、それらが人々にもたらす効用を熟知するマルジャーンの料理は、異国情緒の雰囲気に興味をしめし、店を訪れる人たちの心を次第にとりこにしていくことになる。異なる人種、異なる文化、異なる宗教といった大きな壁をとりはらい、人と人とのつながりを築いていく架け橋として、数々のペルシア料理が機能しているのだが、それはまさに魅惑的とも言うべき本書の料理の描写力、そして何より著者自身がもっているであろう料理への愛情の賜物だ。

 料理をし、食事をとることの楽しみ――マルジャーンたちのお店はそうした楽しみをもたらす場所として物語を引っ張っていくが、そのこと自体が本書のテーマというわけではない。本書を読み進めていくとわかってくることであるが、彼女たちのこれまでの人生は、言ってみれば居場所を求めてさまざまな土地を流れていくことの繰り返しであり、けっしてひと所にとどまることがなかった。そしてその根底には、七年前にイランで起きた革命騒ぎがある。生まれ故郷の不安定な政情、現状を打破したいという若者たちの暴動――そこにあったのは暴力や怒り、そしてそこから生じる悲劇であり、彼女たちの過去は、そうした理不尽な状況下において、少なからず翻弄されてきたところがある。

 アイルランドの片田舎において、マルジャーンたちは異国民であり、言わば余所者ということであるが、同じ余所者として登場する現代のジプシーたちと根本的に異なっている点は、彼女たちがひとつの意思として定住しないのではなく、むしろ自分たちの居場所を強く求めているということだ。なかば亡命という形で故郷を出た三人は、何より平穏な日常を過ごすことを望んでいる。それは、政情不安定なイランでは、なかなか手に入らないものであるが、どこまで行っても余所者は余所者でしかなく、どこかの土地に落ち着くには、それなりに強い意思の力が必要となってくる。彼女たちにとっての料理――イランの郷土料理とは、本来であればあたり前のものとしてもたらされるはずの平穏な日常の象徴であり、また願いという側面もあるのだ。

 バナナの皮で転んだことがきっかけで聖職者への道に目覚めた陽気な神父をはじめ、個性的な村人との交流を描いた本書は、同時に過去に傷つき、人間不信に陥っていた三姉妹の日常性の回復の物語でもある。そして、そんな彼女たちを支えていたのが料理であり、おいしい食事である。いろいろな意味で、本書を味わってもらいたい。(2010.06.04)

ホームへ