【岩波書店】
『詩学』

アリストテレース著/松本仁助・岡道男訳 



 私たちが本、とくに物語をメインとする本を読むさいに期待するのは、何らかの形で私たちの心が揺さぶられることである。物語の登場人物がとった言動に、あるいは共感し、あるいは憤り、ときにはその筋書きに驚愕したり感動したりする――そうした感情の起伏は、私たちがまぎれもない人間であると再認識するという意味で、その人の人生を豊かなものにしてくれるものだと確信しているが、あくまでフィクションでしかないと分かっている虚構の物語が、なぜ読書の心にリアルであるかのように響くのかと考えるのは、なかなか興味深いものがある。

 小説が「世界の再構築」だという話を、過去の書評で何度か繰り返してきた。作者にとって受け入れがたい現実に対して、それを一度解体したうえで、自分の納得のいく形で、自身の救いのために世界を再構築した結果として、生まれたのが小説だという考えだが、そうであるなら、たとえどのような形の虚構であっても、どこかにリアルな現実とのつながりがあるはずであり、またそうでなければ読者の共感は得られるはずもない。言い換えれば、小説のなかに書かれた世界は、もしかしたら現実にありえたかもしれない未来のひとつだったかもしれず、その登場人物たちが多かれ少なかれ作者の分身であるとすれば、彼らの言動は、そのまま作者自身にもありえた選択肢のひとつ、ということにもなる。

 詩人(作者)の仕事は、すでに起こったことを語ることではなく、起こりえたことを、すなわち、ありそうな仕方で、あるいは必然的な仕方で起こる可能性のあることを、語ることである。――(中略)――したがって、詩作は歴史にくらべてより哲学的であり、より深い意義をもつものである。

 本書『詩学』によると、演劇や詩、あるいは音楽や絵画といった芸術作品を生み出す行為のことを、まとめて「再現」という言葉で表現している。古代ギリシャの悲劇の機能や構造分析について書かれた本書の本当の価値は、書かれた内容そのものよりも、むしろその内容を正しく理解するためにつけられた膨大な訳注にこそあると言えるのだが、この「再現」という言葉のなかには、芸術創作が過去の出来事を模倣することによって、現代という場によみがえらせるという意味が含まれている。そして、ここでいう「過去」とは、たんに人間たちの過去だけでなく、神々や英雄といった伝説上の存在も入っている。いや、むしろそうした神話や伝承などを、叙事詩や悲劇といった表現形式で創作することこそが、当時の芸術の主目的だったと言うこともできる。

 以前紹介したケネス・クラークの『ザ・ヌード』でも述べられているように、古代ギリシャは神話の神々や伝説の英雄といった存在が自分たちの生きる現在と密接に結びついていた時代であり、それゆえにその神々の現身である裸体像についても、神だからこそふさわしい完璧な美しさをもたせることに腐心していた。その精神は当然のことながら、ギリシャ悲劇においても反映されており、詩作という行為には、もともと神からの啓示によってなされるという意味合いが強く生きていたことが、本書の解説にも書かれている。

 だが同時に、古代ギリシャ人が非常にロジカルなものの考え方をもっていたことも事実であり、弁論術や黄金率の発見など、自然界の事物を数字や図形といった論理で推し量ることに長けていた。そして本書の著者アリストテレースもまた、悲劇を叙事詩の完成形ととらえ、その構造を分析することで、純粋に技術の力によって悲劇の本来の目的である感情の浄化(カタルシス)を導き出すことが可能だという考えで本書を書き進めているところがある。そしてだからこそ、本書は時代を超えて、広い文学理論としての価値をもつにいたった。

 たとえば、「逆転」と「認知」の原理というものがある。ある人物が、ある目的のために起こした言動が、その正反対の結果をもたらすことを示す「逆転」、そしてその「逆転」の鍵となる「認知」、すなわちそれまで知らなかった事柄が明らかにされるという転換は、ギリシャ悲劇を構成する重要な要素であると同時に、じつは漫画やライトノベルをはじめとするさまざまな物語のなかにも見受けられるものだ。本書のなかでは、『オイディプス王』の悲劇が例として挙げられることが多いが、この作品で起こる悲劇のそもそもの原因は、神託という予言――なんの因果関係も見出せない外部からの作用――に逆らったことに起因する。だが、ただその事実が述べられただけでは、悲劇として成立しないと著者は考える。相手が父親であることを知らずに殺害するという行為、そしてその事実を「認知」することで、それまでの幸福が不幸へと転換する「逆転」が、もっとも効果的に表現されるには、どのような物語構成が必要なのかを追求しているのが、本書の趣旨である。

 ゆえに、本書における「再現」とは、単純に人物を再現するのではなく、その人物の行為と人生を再現するものだと説く。このあたり、本書に併収されたホラーティウスの『詩論』とは異なる視点があってなかなか面白いのだが、人の幸不幸は人物そのものがもつ性格ではなくその行為によって引き起こされるという持論や、再現という行為が人間にそなわった自然な傾向であり、またそれを楽しむことが人間の本質であるという考えなど、詩作の技術を著した本であると同時に、その哲学を説いた本としても読みとることができる。

 ギリシャ神話の神々の存在は、人の力ではどうすることもできない運命としてしばしば人間たちを翻弄する。本書を読んでいると、ギリシャの演劇ではしばしば物語を無理やり突き動かす都合のいい装置として、そうしたものが利用されてきたのだろうと推測することができる。ある人物を襲った悲劇が、逃れられない運命だったのだ、というのは、たしかに現実にありえることかもしれない。だが、それでは創作物――芸術として「再現」することの意味すら失ってしまうことになる。そうした、当時の文化的要素を拝したうえで、人の心を揺さぶるためのテクニックについて追求した本書は、だからこそ今でも充分通用するものだと言うことができるのだ。(2011.04.22)

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