【集英社】
『プラチナ・ビーズ』

五條瑛著 



 私は書評を書くとき、必ず一度はその対象となる本を再読するようにしている。再読といっても、最初に読んだときのようにじっくりと頭から読み進めていくわけではなく、あらかじめつけておいた付箋の箇所を中心に、ざっと全体に目を通すといった程度のことなのだが、たったそれだけのことであっても、一読したときには見えてこなかったさまざまな事柄が見えてきたり、いっけん無関係のように思われてきたいくつかの要素が、じつは意外なつながりをもっていることにはっきりと気づいたりすることができるのである。とくにミステリーの場合、そこに隠されていたトリックのタネを知ったうえでの再読となるため、思わぬ箇所でトリックの重要な伏線が張られているのを発見したりすることが多く、また違った意味での読書を楽しむことができるものだ。

 再読する、ただそれだけのことで、同じ人間が同じ本から得られるものが大きく変わってくる、というのは、よくよく考えると不思議なことではある。だが逆にいえば、同じ人間であってさえ、そのときの状況によって得られる情報の質が変わってくるのであれば、受け取る人間によってある情報の価値が大きく変化したとしても、それはさほど不思議なことではない、ということでもある。ある人にとってはまったく無価値な情報であっても、別の人にとっては非常に重要な――それこそ黄金に匹敵する価値をもつことだって、ありえなくはない。今回紹介する本書『プラチナ・ビーズ』という作品は、そんな目に見えない情報を扱う者たちの、言ってみればスパイ小説であるが、そうした情報を収集することによって最終的に見えてくる、とある大がかりな作戦の本質についてあらためて目を向けたとき、国家規模でおこなわれる諜報活動、いや、そもそも情報をとりあつかうということに対する、ある種の皮肉めいたものが見えてくる。情報はたしかに重要だし、ときに黄金の価値を放つこともあるが、情報そのものには何の力もなく、あくまでそれを握る人間によってその価値が大きく左右されるものでしかない、という皮肉である。

 本書に登場する葉山隆は、HUMINT(人的情報収集活動)というアメリカ国防省の情報組織――物語のなかでは単純に<会社>と呼ばれる組織に属し、上司であるエディのもと、アナリストとして主に極東の情報を収集分析する仕事を負っている。日本国籍をもち、日本で生まれ育った日本人でありながら、白人の血筋を濃く受け継いだがゆえにどう見ても白人にしか見えない容貌をもつ葉山は、自分が何者でもないというコンプレックス、さらには同じく<会社>のアナリストだった父がらみの事件の影響をなかなか克服できずに今にいたるが、北朝鮮の動向を探るという目的で、とある日本人議員による友好イベントのコンパニオンとして北朝鮮を訪れた女性を<対象者>として調査したところ、彼女の言葉のなかに、北朝鮮の人事の面で、何か新しい動きがおこっているのではないか思わせるかすかな兆候を感じとった。

 いっぽう、同じくエディの息のかかったNISC(海軍調査軍)の坂下は、横須賀米軍基地から脱走したアメリカ軍兵士のことで調査を開始していた。顔をつぶされ、手の指をすべて切り取られた姿で発見された米軍兵士の死体が、自分の追っていた脱走兵であることを確信した坂下は、なぜこの兵士が脱走しなければならなかったのか、そして誰が彼を殺したのか、その真相をつかむべく動きはじめる。

 はたして、葉山が接触した<対象者>工藤留実の証言は、金日成時代に失脚した金達玄の復帰を意味しているのか。それが本当であれば、その手土産として何を画策しているのか。思わぬ偶然から再度葉山と出会うことになり、その後行方がわからなくなってしまう工藤留実という女性は、本当にただの女優志望の日本人なのか。金沢で発見された米軍兵士の死体は、そのこととどのようなつながりをもっているのか? そして、これらの調査の過程において見え隠れする、どうやら北朝鮮の中央に深くもぐりこんで動いているらしい謎の外国人の正体は? 冷戦構造崩壊後の諜報活動を題材としたスパイ小説として、おもに北朝鮮を中心とする極東の軍事・政治情勢に関する豊富な知識に裏打ちされた、その徹底したリアリティー志向は、それだけでも充分な読み応えのある作品として完成されたものであるが、それ以上に本書を読み進めていくのに重要なのは、その冒頭において、いかにその物語世界に入り込んでいけるかどうか、ということである。

 以前に読んだ同著者の『断鎖−Escape−』もそうだったのだが、本書の冒頭、プロローグにおいて書かれている物語は、いっけんすると本編とはまったく関係のなさそうな出来事をつづったもののように思える。だが、そのワンシーンは非常に印象的で、かつスパイ小説としてはその場面だけが異色ともいうべき空気をもっている。それは、本編で展開される情報戦――いくつもの小さな情報をこつこつと集め、そこからたしかな価値をもつものをピックアップし、そのつながりを探っていくことで、ようやく北朝鮮の内部で極秘に進められている壮大な計画の全貌が明らかになっていく、という流れとは対極に位置する、言ってみればひとつの理想論だ。

 理想とは、ただ語るだけなら誰にだってできること、情報という意味では何の意味もない戯言である。だが、ほかならぬスパイ小説である本書の冒頭において、高尚な理想論めいたプロローグが置かれている以上、それが本編のどこかで絡んでくることであろうことは、読者にも容易に想像できることでもある。その理想、そして語るだけでは何の価値もない理想をあえて語ってみせるプロローグの人物に、どれだけ共感することができるか――その如何によって、本編のなかですべてがつながったときの、読者が得るであろう驚きの質が異なってくることになる。そしてそのとき、本書はたんなるスパイ小説から、鋼のような意志で自ら目指すもののために闘うことを選んだ者たちの、熱き魂の物語へと変貌をとげることになる。

 神はこの子を救えない。
 この子に奇蹟を見せるのは神ではない、わたしなのだ。

 旧約聖書によると、かつて、モーセに率いられてエジプトを脱出し、荒野を彷徨うことになったイスラエル人に対して、神はマナという食料を天から降らせ、彼らを飢えから救ったとされている。それがほんとうのことであれば、まさに「奇蹟の食べ物」と呼ぶにふさわしいものであるが、そのマナも、本当にその食料を必要としている人々の手に届くことがなければ、何の意味もないどころか、かえって邪魔なだけである。それは食料だけでなく、情報においても同様であるが、ひとつだけ異なるところがあるとすれば、それは情報が無形のものであるのに対し、食料はたしかに存在するものである、という点だ。そして、葉山や坂下が目に見えない情報を追い、情報を分析するということを目的として動いていった結果として、敵にも味方にも利用されてしまう形となったのに対して、プロローグの人物「サーシャ」は、まぎれもない事実――あまりにも不条理で、あまりにも理不尽な現実をしっかりと見据え、そのうえでなお絶望することなく行動する道を選んだ。

 メインとなる人物のほかにも、さまざまな登場人物が出てきて、それぞれがたしかな人間としてしっかりと息づいている本書であるが、そんななかで、ことさら「サーシャ」という人物が、本編ではわずかしか登場しないにもかかわらず、たしかな存在感を放っているのは、今の私たちがなかば忘れてしまった、人間の本質の部分にしっかりと根づいた生き方をしている人物であるからに他ならない。あなたははたして、「プラチナ・ビーズ」という言葉の正体について、どのような感想をいだくことになるだろうか。(2005.10.16)

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