【講談社】
『ピピネラ』

松尾由美著 



「あなたに欲望はありますか」

 こんなことを面と向かって聞かれたとき、あなたはどう答えるだろう。人間として欲望があるのは当然のこととして、正直に「ある」と答えるのか、それとも照れ隠しに「そんなものはない」と答えるのか。だがもし、欲望らしい欲望はない、と答える人がいるとしたら、少し考えてほしい、自分にはほんとうに欲望がないのだろうか、と。欲望、という言葉が大袈裟に聞こえるなら、悩みとか、不満とかと言い換えてもいい。悩みがあることを知りながらそれを否定しているだけではないのか。あるいは、悩みの存在そのものに気づいていないだけではないか、ともう一度自分に問いかけてほしいのだ。

 本書『ピピネラ』に出てくる山脇加奈子は、出版社に勤める会社員と結婚し、専業主婦として日々を過ごす、ごく平凡な妻だったが、結婚して二年半ほど経ったある日、いきなり自分の体が一メートル弱くらいまで縮んでしまう、という病気(?)になってしまう。基本的に家の中にいると体が縮み、靴をはいて外に出ると元に戻る――このわけのわからない病気は原因も、治療法もわからないまま一年半経った今も続いている。
 夫のほうは、最初こそ驚いたものの、それ以降は小さくなる妻をありのままに受け入れて過ごしているように見えた。つまり、体が縮むという病気を除けば、ふたりはごく普通の夫婦生活を営んでいたと言える。だが、それから一年半経ったある日、夫は妻や会社に何も言わず失踪してしまう。

 いったい、なぜ夫は失踪したのか、そして彼の残したメモに書かれた謎のことば「ピピネラ」とは何なのか。加奈子は、高校時代の友人である小此木千紗の助けを借り、夫を探すための旅に出ることを決意するが――

 とこう説明すると、あるいは勘違いする人もいるかもしれないので一応ことわっておくが、本書は、たとえば夫が重大な事件に巻き込まれてしまう、といったようなサスペンス小説でも、また夫が妻以外の女と不倫している、といった不倫小説(そんなジャンルがあればの話だが)でもない。だが、夫の失踪によって、加奈子はあたらめて自分の夫のことを考えるようになったことは確かだ。世界でいちばんよく知っているはずの夫――しかし、自分はほんとうに夫のことをよく知っていると言えるのだろうか。加奈子の夫探しの旅は、同時に夫自身のことを知るための旅でもある。そして、旅をつづけていくうちに、ふたりは奇妙なオブジェをつくる陶芸家の土井夫妻と、彼らがつくったという、人間の意識に影響をあたえるというふたつのオブジェの存在を知ることになる。そして、どうやら加奈子の夫がそのオブジェを探しているらしい、ということも。

 ところで、「鳥籠」ということばに、あなたは何を想像するだろう。本書には、随所に「鳥籠」が登場する。物語の冒頭で、加奈子は鳥がいないにもかかわらず真鍮の鳥籠を買ってしまうし、彼女たちが旅の途中に寄った喫茶店は、その内装が鳥籠を模したものであった。そして土井夫妻は、かつて鳥籠のオブジェをつくり、若者たちの悩みを解決しようとしていた――そういった事柄を知るにつれ、家にはいると体が縮んでしまう加奈子の存在、そしてある男の妻であるという事実は、必然的に「籠の中の鳥」をイメージさせてしまう。

 加奈子と千紗は、かつての高校の担任教師だった富貴子先生の家も訪れるが、そこでこんなことを話している。

「わたしたちはいろんな檻の中で暮らしているのよ」
 富貴子先生はそう言った。
(中略)
「女もそうだし、男の人も。それがおかしいと言っているんじゃないの。誰しも一人で生き ているわけじゃないんだから、制約も束縛もあるでしょう。
 それは仕方がないんだけど、問題はその檻が、本当に中にいる人のためを思って作ら れているのかどうか。檻のための檻、いくつも組みあわせて巨大な空中楼閣をきずくた めの足がかり――そういう目的で作られてるんじゃないかと思うことは多いわ。
 都会という檻、地方という檻。会社や組織という檻、そして結婚生活という檻」

 ここでもう一度問う。「あなたに欲望はありますか」と聞かれて、あなたはどう答えるのだろうか。もし、欲望らしい欲望はない、と答えるのであれば、もしかしたらあなたは、自分の周りを何重にもおおっている「鳥籠」を見て見ぬふりをして生きているだけではないだろうか。本書『ピピネラ』は、物語に劇的な展開があるわけでもなく、あくまで淡々と語られていくたぐいの小説なのだが、おそらくそれゆえに、他の小説よりも何かを深く考えさせられてしまう――小説というより童話に近い小説だとも言える。(1999.03.28)

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