【早川書房】
『南極点のピアピア動画』

野尻抱介著 

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 たとえばこのサイトでは、さまざまな小説やノンフィクションを読み、その書かれた事柄に対して、基本「褒める」というスタンスで書評めいた文章を書き綴っている。それは当然のことながら、私という主体が思ったり考えたりしたことであって、別の人が読めばまた違った感想が生まれてくるかもしれないし、むしろそれが当然のことだとさえ言える。だが、それぞれがまったく同じ本を読んでいるにもかかわらず、そこからときに正反対の感想や批評が出てきたりするというのは、よくよく考えてみれば不思議なことではある。

 小説やノンフィクションというものには、かならずその作品を書いた作者が存在する。彼らは言ってみれば、その作品の創造主であり、そうであるからには、その作品のことについては一番よくわかっている立場にいると言うことができる。ならば、ある作品が何を表現しているのか、その作品をつうじて何を伝えたかったのかといった書評めいたことは、作者本人に解説してもらうのが一番良い、ということになるはずである。だが同時に、もし作者自身がそんなふうにして自身の作品を簡潔な言葉で要約できるのであれば、そもそも小説やノンフィクションなどといった表現形式を借りる必要はないはずだとも言える。自分がなぜその作品を書いたのか、書く必要があったのかは、おそらく作者自身も完全にはわかっていない。仮に作者自身が解説をしたとしても、それはあくまで「解説者」としての言葉であって、「作家」としての言葉とは乖離してしまう。

 作者が作品を通じて言いたかったことを、作者自身のあらゆる境遇から分析していくという近代的批評を否定した人物として、フランスの哲学者ロラン・バルトがいる。彼は書かれた作品をあえて「テクスト」と呼び、その主体を作者から読者へとシフトさせるという方法をとった。それはようするに、ある「テクスト」について、その起源たる作者を求めることに意味などなく、むしろそれを受け取った側が何を思い、どう考えるかという判断こそが主体にあるということだと私は勝手に解釈しているが、現在インターネット上に溢れる「テクスト」――それはたんに文字で書かれたものだけでなく、そこに公開されたあらゆるオープンソースを含むものだが――の性質は、このバルトの考え方に近いものがある。とくに、今回紹介する本書『南極点のピアピア動画』を読むと、よりいっそうその思いを強くする。

「レイを使えば、それまで聴いてもらえなかった曲が聴いてもらえる。見てもらえなかったイラストが見てもらえる。レイの人気をみんなが共有できるわけさ。自分がヒットを出せば、レイの人気にも貢献するから、みんな喜ぶ。僕らもそうなった。バーチャルアイドルを核にして、ひとつのユートピアができてるんだ」

(『歌う潜水艦とピアピア動画』より)

 上述に引用した会話文のなかに出てくる「レイ」とは、「小隅レイ」のこと。といっても人物の名前ではなく、音声を合成して歌を唄わせることができるボイス・シンセサイザーにつけられた女性キャラクターの名前であり、正式にはソフトウェアという分類になる。と、ここまで書いてピンとくる人はくるだろうが、この「小隅レイ」のもとになっているのは、クリプトン・フューチャー・メディアから発売された音声合成・デスクトップミュージック・ソフトウェアの「初音ミク」である。

 あくまで製品のイメージキャラクターとして誕生した初音ミクは、そこで作成された音声だけでなく、キャラクター画像についても、非営利であればほぼ自由な利用が公式に認められており、ユーザーの自由な創作活動によってそのキャラクター性が肉付けされていったという経緯をもつ。それゆえに、初音ミクはインターネットで生まれたヴァーチャルアイドルとしての側面ももっているわけであるが、その起爆剤となったのが、動画投稿サイトの「ニコニコ動画」である。じっさい、このサイトには初音ミクによって作曲された数々の歌が投稿されているし、そのキャラクターについても、3DCDモデルが有志によって公開されたり、そのキャラクターをムービーにして動かすためのソフトが無償で公開されたりと、当初からは想像もできなかった発展ぶりを見せている。

 さて、ずいぶんと前置きが長くなったが、表題作をふくめた四つの作品を収めた、連作短編集という形をとる本書を評するにあたって、今リアルの世界で起きている「初音ミク」と「ニコニコ動画」の流れとその関係性を押さえておくことは重要であるし、本書においても、そのあたりとの結びつきを意識しているのは、そのタイトルからして明らかだ。というのも、本書のテーマはそうした流れ――著作権といった、作り手こそがすべてであるという概念からフリーになった「テクスト」と、それらが容易に複製・拡散していくネットワークが生み出す新しい価値観であり、またそうした価値観が示す未来の姿であるからだ。そしてその姿は、上述の引用にもあるように、ある種の「ユートピア」としてとらえられている。

 本書に収められた短編のうち、二編については主要な登場人物たちが困った状況に置かれている。表題作の『南極点のピアピア動画』に登場する蓮見省一は、クロムウェル・サドラー彗星が月に衝突するという、まさに天体レベルの災害によって彼がかかわっていた月探査計画が無期限延期を余儀なくされているし、『歌う潜水艦とピアピア動画』の中野については、海洋研究開発機構に自信を持って提出したあるプロジェクトがあっけなく却下されてしまっている。いずれも非常に興味深いテーマでありながら、個人の力ではどうにもならない規模のものであり、基本的にはあきらめるという選択肢しかないわけであるが、本書の場合、そこに「小隅レイ」というヴァーチャルアイドルを置き、動画投稿サイトに集まる多くの技術者たちの支援をとりつけることで独自のプロジェクトが動き出し、最後には当初の目的を達成してしまうという展開になっている。

 たとえば、ある男の恋を実らせるために、「小隅レイ」の歌がふたりを宇宙へと運んでいく、あるいは潜水艦に「小隅レイ」を搭載し、鯨に対して歌を唄って対話をさせる――そこにあるのは、あくまで「面白そうだ」というモチベーションである。こうした流れは、たとえばある人がニコニコ動画に投稿した初音ミクの歌に、べつの誰かがアニメPVをつけ、さらにべつの誰かが曲にアレンジを加えたり、べつの動画のBGMにもちいたりして次々と付加価値があがっていくというサイクルを知っていればこそ、よりリアリティあるものとしてとらえることのできるものである。本書のなかで起こっているのは、その発展形だ。もちろん、著者のSF的専門知識の豊富さがあってこそのリアリティであることは間違いない事実だが、ある人が発端になってはじまったプロジェクトに、いろいろな人のアイディアや創意工夫がくわわって、より良いものが生み出され、その成果物が全世界の人々の共有され、享受されていくという流れは、まぎれもない現実のなかで起こっていることである。

 笹本祐一の『星のパイロット』では、民間会社が低価格のロケットを打ち上げる未来が描かれていた。小川一水の『第六大陸』では、人類の宇宙進出が「あとほんの少し」であることを示してみせた。そして本書の世界では、著作権による金銭的リターンよりも面白さや知的快楽に満足を覚える無名の技術者たちによって、ついに人工衛星キットがコンビニ価格で提供できるようになっていた。その「ユートピア」がどこまでもどこまでも広がっていく本書は、まさに「胸熱」という言葉こそがふさわしい。(2013.02.14)

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