【角川書店】
『ファントム・ピークス』

北林一光著 



 国のありようとしてはさまざまな問題を抱えている日本ではあるが、それでもこの国が平和だという事実は、誰もが程度の差こそあれ認めることのできるものだ。ここでいう「平和」とは、人間が文字どおりの生存の危機――命がいつ奪われるかわからないという緊張感から無縁でいられる状況のことを指す。明日の食べ物を心配しなくていい、どこから跳んでくるかわからない銃弾に怯えながら暮らさなくていい、夜の街をのんきに歩いても暴漢に襲われることがない――とりあえず、どんなふうに生きてもあたり前のように毎日を暮らしていけるというのは、たとえばヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』における、ナチスドイツの収容所生活とは対極の状態ではあるが、それは逆に、人の危機感をこのうえなく鈍感にしていくことにもつながる。

 言うまでもないことだが、今日と同じような平和が明日も続く、などということは、まったく何の根拠もないことだ。だが、私たちはほぼ、そうした根拠を何の疑いもなく受け入れてしまうほどの「平和」のなかで生きることに慣れてしまっている。そしてそれゆえに、いったんそうした前提がくつがえされるような状況に置かれると、私たちはほぼ間違いなく恐慌をきたすことになる。それまでの常識が足元から崩れ去るような危機が目前に迫ったときに、平和な時間の常識にどっぷりと浸かっている私たちの頭は、そうした危機が何をもたらすことになるのかの想像力をうまくはたらかせ、その危機を回避するための思考をとっさにめぐらせることができないのだ。

 世にいうパニック小説とは、こうした私たちの常識の通用しない「非現実」と対峙させることで、人間が陥る恐慌状態を描く小説であるが、本書『ファントム・ピークス』は、とくに人間の動物としての生存能力――自然からあまりに離れすぎてしまったがゆえに失われた、危険に対する緊張感の欠如について、とくに深く考えさせられる作品である。

 誰でも、自分だけは事件やトラブルとは無縁だと思って暮らしている。いろいろな不幸が巷にあふれているけれど、まさか自分が当事者になることはないだろうと考えている。いざ事件やトラブルに巻き込まれても、最初のうちは頭のどこかでそれを否定してしまう。まさかそんなはずがないだろうってね。

 長野県安曇野――北アルプス常念岳の麓に位置する、豊かな自然に囲まれたこの地は、半年前に三井周平の妻が忽然と姿を消した場所でもあった。状況的に遭難の可能性が高いとして捜索隊が繰り出されたものの、まるで神隠しにでも遭ったかのように行方のわからなかったその失踪事件は、春の雪解けの時期に、妻の頭蓋骨だけが発見されるという最悪の結果を迎える。目の前にはっきりと示された妻の死に、三井周平はおおいにショックを受けるものの、そのいっぽうで、妻の失踪したとされる二ノ沢と、頭蓋骨の発見された本沢との不自然な距離に疑問をいだいてもいた。

 もともと体の強いほうではなく、それゆえにけっして無茶なことはしない用心深さをもっていた妻の身に、はたして何が起こったのか? いっけん不条理とも思える状況に対し、人間のもつ知識と経験をもとにその真相を暴いていくという本書序盤の流れは、ミステリーとしての印象を強く打ち出すものであるが、じつのところ、この一連の怪異については、物語の冒頭においてある程度の想像がつくような描写が成されているし、また物語が進むにつれて、その怪異の正体も次第に現実的な形をともなう驚異として、人々の前に立ちはだかることになる。

 言ってみれば、人々を襲う怪異の正体を明らかにすること自体が物語のメインというわけではない本書において、その読みどころがどこにあるのかについて考えたときに、ひとつ浮かび上がってくるのは、この物語における怪異の位置づけである。

 本書では舞台となる信州の自然の豊かさ、美しさをふと感じさせるような描写がときどき差し挟まれているいっぽうで、その自然を相手に生きる人間たちの、とかく安易に驚異となる害獣を駆逐しようとする姿勢や、自然の驚異に対する想像力の欠如から、自分勝手な行動をとる報道陣の姿などが書かれている。だが、自然のなかにおける「異物」としての人間という構図は、言ってみれば「よくあるテーマ」でしかない。そして報道陣や観光客はともかくとして、地元に足をつけて生きる人々は、少なくとも周囲の自然について熟知しているはずである。

 だが、そんな彼等にして、周平の妻を見つけ出すことができなかったばかりか、その後次々と起こる失踪事件において、常に後手にまわってばかりいる。信州大学農学部の仕事としてフィールドワークを担当し、信州の自然については専門的な知識と経験をもつ山口凜子にしても、逆にその知識と経験が、怪異の真相を突き止める妨げとなってしまっているところがある。

 そう、そこで起こっている怪異とは、間違いなく異常事態であり、それまで有効だった知識や経験がまったく役に立たない状況にある、ということである。そしてその怪異が異常事態であることをもっとも冷徹に悟っていたのが、妻の身に何があったのかという疑問をどうしても捨てきれずにいた周平であり、また物語のなかでその恋人が怪異に巻き込まれてしまった村越陽一ということになる。

 山のなかに潜み、あきらかに人間を害する行動をとる怪異の元と、人間との対決――だが、この物語のなかで見えてくるのは、これまでにない異常な出来事に対して、なかなか「異常なこと」としてとらえることのできない人間たちがさらけ出す、ある種の弱さであり、脆さである。そしてその弱さは、自身の周囲にたしかにあるはずの自然に対して、人間という存在があまりに乖離しているがゆえに起こってくる弱さでもある。だが、読み進めていくうちにその正体があきらかになる怪異のほうに感情移入したときに、彼はまさしく「生き延びる」という、私たちがなかば忘れてしまった衝動にしたがって、まさしく生き延びてきたのだということに気づく。はたして、私たち人間と「怪異」の、どちらがより自然だったのだろうか、ということを、本書を読むときにはぜひ考えてもらいたい。(2012.07.27)

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