【ソニー・マガジンズ】
『航路』

コニー・ウィリス著/大森望訳 



 人として生まれてきた以上、私たちはいつかは死を迎えることをひとつの定めとして受け入れなければならないのだが、人間にとっての死とは何なのか、そして人は死んだあとどこへ行くのか、という命題は、生きている人間にはけっして手の届かないものである以上、究極の謎と言っていいものである。そして、これは書評を通じて何度か指摘してきたことでもあるが、人間という生き物は基本的にわからないもの、理解できないものを、そのままにしておくことができない。なぜなら、自分たちに理解できないものは、恐怖の対象であるから。もしその未知のものが、私たちの日々の生活を脅かすものであるとすれば、何らかの対処をしなければならない。ゆえに、人間の歴史というのは、そのまま未知のものを理解し、自分たちの世界のなかに組み込んでいくということの歴史でもある。

 死という究極の「未知」に対して、人間ははたしてどこまで迫ることができるのか――今回紹介する本書『航路』は、臨死体験をひとつのテーマとして、人間の死と生の神秘を科学的アプローチによって解明していこうとするSF作品であるが、臨死体験という、ともするとオカルト扱いされそうなものがテーマであるがゆえに、物語の構成やその展開のしかたといった部分に、あくまでリアリティを維持するための細心の注意をはらい、慎重に物語を進めていっているところがある。

 本書のヒロインであるジョアンナ・ランダーは、デンヴァーのマーシー・ジェネラル病院に勤務する認知心理学者で、おもにERで蘇生した患者たちが臨死体験をしたか、そして臨死体験をしたのであればそれがどのようなものであったのかの聞き取り調査をおこなっている。それは、NDE(臨死体験)を科学的に解き明かしたいという彼女の研究テーマのひとつであるのだが、ある日彼女は、神経内科医であるリチャード・ライトからの接触を受ける。彼は、とある神経刺激薬をもちいてNDEを人為的に引き起こし、そのときの脳の状態を記録するという研究プロジェクトを立ち上げていたのだが、そのさいに被験者が本当にNDEを体験したのかどうかを判断するために、ジョアンナの力を必要としていた。

 結果として、ジョアンナはリチャードの研究を手助けすることになるのだが、肝心の実験のほうは、なかなかふたりの思うようにいかない。募集した被験者のうち、何人かはNDEに対して狂信的な信者であったり、何度予定を組んでも直前でいつも予定変更を余儀なくされたり、せっかく実験してもその結果をまとも話してくれなかったり、あるいは思ったようにNDE状態に入ってくれなかったりと、さまざまな問題が起こってしまう。プロジェクトの成果報告までに時間はなく、他の被験者を探すだけの時間的余裕もないことを知ったジョアンナは、自らが被験者として擬似NDEを体験することを申し出るが……。

 前述したように、本書は臨死体験の秘密に迫る作品であるが、物語そのものはなかなか思うように進んでいくことはない。まず、ヒロインであるジョアンナが自らNDEを体験するにいたるまでの道のりがあり、今度はその体験――なぜかタイタニックのリアルなビジョンを繰り返し見てしまうという自身のNDE体験が何を意味するのかを探るために、また長い道のりをかけて物語が展開していく。これまで何人もの体験者にNDEの聞き取り調査をし、そのたびにNDEがまぎれもない現実だと語るのを聞いてきたジョアンナであるが、まさにそれと同じ感覚を、彼女もまた受けることになる。暗い通路の先にあったのは、間違いなくタイタニック号の船内だった。だが、あれが本当のタイタニックであったはずがない。

 はたして、ジョアンナはなぜNDEでタイタニックを体験してしまうのか。そしてそのことに、どのような意味があるのか。その要因について、たしかにわかっている、その原因を知っているという感覚がありながら、しかしその決定的なところがわからない、という彼女のもどかしさは、本書において物語を進めていくための大きな原動力のひとつだ。もっとも、こんなふうに物語の概要をまとめて書いてしまうと、何かトンデモ科学をもちいた小説のような印象を本書に対してもたれるかもしれないが、本書を最初から読んでいけば、読書がそうした考えにとらわれないために、周到な用意をほどこしたうえで、少しずつ丁寧に物語を進めていっているのがわかるはずである。

 そのなかでももっとも大きな、そしてもっとも重要な要素は、人と人とのあいだの思いのやりとりの部分、とくに、本当に伝えたいことが相手になかなか伝わらない、理解してほしいと思う事柄が、相手に届かない、という点である。本書のなかでジョアンナやリチャード以上に存在感のあるキャラクターとして、モーリス・マンドレイクという人物がいる。彼は臨死体験を自分の都合のいいように解釈し、NDEがあの世からのメッセージである、というトンデモ科学を信奉するノンフィクション作家であるが、彼はことあるごとにジョアンナと接触を試み、自身の説を滔々と語って聞かせるだけでなく、臨死体験者に接触しては話を誘導し、相手に無自覚に作話させて、彼女の調査の邪魔をしてしまう。そういう意味で、彼はジョアンナにとって天敵とも言うべき人物なのだが、ふたりのあいだにあるのは、お互いの話にまったく耳を傾けようとしないというディスコミュニケーション状態であり、自分にとって都合のいいことしか信じようとしないという、なんとも困った性格ゆえに、ジョアンナはしばしば対処に苦労させられることになる。

 じっさいのところ、マンドレイクのような人物は本書のなかには何人も登場する。実験の被験者のひとりで、会うたびに戦争の話ばかり長々とつづけるウォジャコフスキー、娘メイジーはきっと良くなるというポジティヴ・シンキングの持ち主であるミセス・ネリス――そしてその誰もが、相手の都合を斟酌しようとせずに、自分の言いたいことを相手に押しつけていく。人と人との関係性は複雑で、けっして完全にわかりあえるわけではない、というスタンスは、研究のパートナーであるジョアンナとリチャードとのあいだにさえしばしば起こることであり、だからこそ本書における物語の進行は、なかなかその核心部分へと向かわないわけであるが、相手の話を聞こうとしないというのは、逆に言えば相手の話を聞くことによって、自分がそれまで信じてきたものが否定されることを恐れているということでもある。そして、この一種の恐怖が、NDEの真実へと迫るキーワードのひとつとして機能する。

 われわれ人間は、類似性や対比や関係を見出すことで、自分たちの周囲のものを、自分が経験したことを、自分自身を理解しようとする。われわれはそれをやめられない。たとえ精神がそれにしくじっても、精神は自分に起きていることをなんとか理解しようと努力しつづける。

 ある人には光や天使といった至福のイメージをあたえ、別の人には恐怖を連想させるイメージを引き起こす臨死体験――はたしてNDEとは、本当にあの世からのメッセージなのか、あるいは過去へのタイムトラベルなのか? 本書の舞台となるマーシー・ジェネラル病院は、しょっちゅうあちこちで改修工事が行なわれているがゆえにその内部は複雑に入り組んでいて、なかなか行きたい場所にたどり着けないなんとも困った構造をした建物であるが、本書も同じように、さまざまな紆余曲折を経ながら少しずつNDEへの真実へと迫っていく。そしてそこにかけられた多くの時間、多くの言葉は、私たち人間が時間をかけて少しずつ相手を理解していくように、本書の指し示すひとつの真実を受け入れるための準備を施していく。

 伝えたいことはなかなか人に伝わらない。行きたいと思う場所にはなかなかたどり着かない。人は主観の生き物であり、しょせんはひとりなのかもしれない。だが、同時に人は相手とつながっていくための努力をやめることはない。それが私たち人間にとっての生きることと同義であることを、本書は教えてくれる。生と死のはざまにある臨死体験――それが描く航路のはてに、はたしてどのような真理が待ちかまえているのか、ぜひともたしかめてもらいたい。(2008.07.19)

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