【晶文社】
『探偵術教えます』

パーシヴァル・ワイルド著/巴妙子訳 



 子どもの頃に見ていたテレビ番組の「8時だョ! 全員集合」は、リアルタイムなお笑いコントとして文句なしに面白かった記憶がある。もっとも、私が知っているザ・ドリフターズはミュージシャンとしてではなく、志村けんがメンバーのひとりとして定着したコントグループとしての頃のものにかぎられるのだが、私のなかで「8時だョ! 全員集合」のお笑いが今もなお印象深いものとして記憶に残っているのは、志村けんがメンバーのなかでもっとも奇天烈な役まわりとして、グループ全体のオチを担うというお笑いの形が、それを見る子どもたちのなかに「自分より未熟な者」への共感、あるいは優越感をわかせるようなものがあったからだろう。だからこそ、ザ・ドリフターズの生のコントを見に行った会場の子どもたちは、たとえばすぐ背後に幽霊とかが迫ってきていてもいっこうに気がつかない志村けんに対して、必死になって「志村、後ろ後ろ!」と叫んだのである。

 もちろん、彼らのそうしたお笑いは100パーセント計算されたものであり、志村けんだって気がついていない演技をしているにすぎないわけであるが、今回紹介する本書『探偵術教えます』に登場するピーター・モーランは、「8時だョ! 全員集合」でいうところの志村の役を、演技ではなく素でいくようなキャラクターであり、読者は盛大な勘違いをしつづける彼に対して、どうしたってツッコミをいれずにはいられなくなるし、またかつて子どもだった私が「やっぱり気がつかない志村」を笑ったのと同じように、安心して笑うことができる。本書はそんな、大爆笑まちがいなしの連作短編集なのだ。

 マクレイ家のお抱え運転手であるピーター・モーガンは、現在通信教育で探偵講座を受講している青年であり、物語は全編、その探偵講座の担当講師である「主任警部」なる人物とピーターとの往復書簡のみによって構成されている。探偵になるための通信教育学校がある、ということ自体がひとつのギャグのようなものなのだが、このふたりの手紙や電報による言葉のやりとりが、まったくと言っていいほどかみ合っていない。それというのも、ピーターはこの探偵講座によって自分はもう一流の名探偵になったつもりになっており、「主任警部」の言葉ひとつひとつに対して、自分だけに通用する――ということは当然、彼以外の人間にはさっぱりわけのわからない――「推理」を展開していってしまうのである。

 たとえば、「主任警部」が例えや比喩でもちいている言葉を、ピーターはまさにその意味どおりにとらえてしまう才能をもっている。それゆえに、尾行術の例として「イタリア人の犯罪者の特徴を精通」するように手紙に書かれていると、彼は当人の了解もなく目についたイタリア人を尾行しはじめてしまうし、「相手の職業を推理してみよう」と書かれていると、彼はその返事として「ブリキ屋のトム・ソーンダースがブリキ屋であるとわかる」などと書いてよこし、さらには「自分が住んでいる田舎で彼以外のブリキ屋は見つけられない」と的外れなことを考えてしまう。過去の推理小説に登場した探偵たちが、どのようにしてトリックを見破ったかを示唆したはずなのに、そのやり方を忠実に再現しようとした結果、なんの考えもなしに依頼人の部屋にある高価な調度品を片っ端から叩き壊していくという暴挙に出たりするのだ。

 万事においてがこの調子で、「主任警部」がこのおそろしく頭の出来が悪い生徒を相手に困惑したり、怒ったり、呆れたり、我を失ったりする様子が、そのなかば漫才のようなやりとりからも見えてきて、それだけでも充分楽しめる内容なのだが、なんといっても注目すべきなのは、ピーターが覚えたばかりの探偵術を実地で用いようとするシーンだろう。はっきり言ってしまえば、彼が「論理」と間違って覚えているところの「推理」はことごとくが的外れで、まったくと言っていいほど物事の真実から遠く隔たっている。そして、ただそれだけならなんということもないのだが、彼の場合、その「推理」にしたがって余計なことをしでかしてしまう。その結果、ただでさえよくない状況がますます悪化していくことになるのだが、ここで重要なのは、ピーターの「迷」探偵としての行動が、味方ばかりでなく敵である犯罪者たちの秩序をもかき乱してしまう、という点である。

 つまり、もしピーターがいなければ完全犯罪となっていたにもかかわらず、彼の行動が、彼の意図とは関係なく犯罪者たちの綿密な犯罪計画を破綻させ、結果として犯罪を未然に防ぐことになってしまうのだ。

 まさに自身がその犯罪に巻き込まれ、犯罪者に銃を突きつけられているにもかかわらず、自分がどのような状況にいるのかを勘違いしまくっているピーターの突拍子もない言動は、見ていて危なっかしいことこのうえなく、まさに「志村、後ろ後ろ!」と叫びたくなること必至で、読者にはぜひとも難しいことを考えず、ただただ抱腹絶倒してほしいところなのだが、全部で七つの短編を収めた本書をつうじて、はたしてピーターは真の探偵としての腕をどこまで上達させることになったのか、という点について、ちょっと「論理」してみる。

 犯罪者たちにしてみれば、もしかしたら本物の名探偵なんかよりもはるかにタチの悪い疫病神のようなピーターの探偵としての能力は、まさにその運の強さこそがすべてといっていいような展開ばかりであるが、本書に収められた短編をよく読んでみると、前半こそその運の強さで事件を解決していくものの、後半になると、ピーター自身の推理よりも、むしろ彼の周囲にいる人物の推理力が、結果として彼の手助けをするという形で事件を解決していくパターンとなっていることに気がつくはずである。ただ、ピーターの代わりに推理を展開していく人物たちは、他ならぬ彼の「観察」を聞くことで、トリックを解く重大なヒントをつかむことになる、という点を考慮に入れると、少なくとも対象を正しく「観察」する技能についてだけは、多少の腕前はあがったと言ってもいいのだろう。

 だが、何よりも賞賛すべきなのは、周囲の人たちを否応なく巻き込んでいく天然のトラブルメーカーであるピーターが、結果として被害者となるはずだった人に幸福をもたらしていることであり、これは過去にどんな名探偵にもなし得なかった快挙である。そしてこんなことは、わざわざこの場で言わなくとも、本書を読んでいただければすぐにわかってしまうことであるのだが、ともかく私はこういう人間だから、そう言わずにはいられなかったのである。(2005.05.31)

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