【角川書店】
『ペイ・フォワード』

キャサリン・ライアン・ハイド著/法村里絵訳 

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「世界を変える方法を考え、それを実行しよう」

 もしこんな課題が与えられたら、あなたならどうするだろうか。おそらく、誰もが途方にくれてしまうに違いないだろうが、それでもなお、この課題について真剣に考えてみたとき、まず浮かんでくるのは「世界とは何なのか」ということだろうと思う。
「世界」という言葉が内包しているイメージについては、「すべて」という表現がふさわしい。たとえば、「世界規模の異常気象」と言えば、地球上のどの地域にも例外なく起こっている異常気象、という意味である。それは無限に広くて、大きく、そして底なしに深い、というイメージだが、しかし天候が従来どおりであるか、異常であるかを判断するのは、当然のことながらその地域で暮している人たちである。そのように考えたとき、「世界」とは、この地球上で生きている私たち人間すべてのことを指している、と言うべきだろう。もっとも、それがわかったところで、やはり途方にくれてしまうことに変わりはないのだが。

 世界を変えた偉大な発明は、人々の生活に大きな影響をおよぼした。世界を変えた偉大な思想や宗教は、人々の心に大きな変化をもたらした。だが、その偉大な発明や思想を生み出したのは、まぎれもなく私たちと同じ、ひとりの人間だったのだ。むろん、だからといって私が彼らと同じことができる、というわけではない。だが、もしひとつだけ言えることがあるとすれば、「世界を変える」ためには、まずその「世界」の構成要素である私たち人間ひとりひとりが変わっていかなければならない、ということであり、それが同時に「世界を変える」ことにつながっていく、ということである。

 本書『ペイ・フォワード』は、ある少年が思いついた「世界を変える」計画が、最後には本当に世界を変えてしまうという奇跡の物語だ。だが本書の中でより大切なのは、「世界を変える」奇跡そのものではなく、むしろ変わりたい、変わらなければと思いながら、けっきょくはまた同じ過ちを繰り返してしまう、弱くて傷つきやすい人たちが、それでもなお変わっていこうとする姿ではないだろうか。

 すべては、カリフォルニア州アタスカデロの中学校に赴任してきた社会科教師ルーベン・セントクレアが、生徒たちに与えた課題からはじまった。「世界を変える方法を考え、それを実行しよう」。その課題に対して、12歳の少年トレヴァー・マッキニーは、「ペイ・イット・フォワード」と名づけたある計画を、ひそかに実行していた。
 それはある意味、非常に単純な計画だ。まず、誰か3人を助ける。見返りは要求しない。その代わりに、別の3人を助けると約束してもらう。計算上では3人が9人、27人、81人……と加速度的に助けられる人間が増えていく、というものだ。

 ところでこのトレヴァー少年の家族は、けっして恵まれた環境にあったわけではない。ろくに働きもせずに浮気ばかりしている、ろくでなしの父親と、そのろくでなしに何度も騙されながらも、それでも別れることのできないでいる母親――アーリーンは、トレヴァーのもっとも近くにいる「助けを必要としている人」だった。だが、母子という関係ゆえに、また難しい心の問題であるがゆえに、まだ幼い息子のトレヴァーに、アーリーンを助けることはできない。「ペイ・イット・フォワード」計画の生まれた土壌は、こうした環境がはぐくんだものだと言っていいだろう。

 トレヴァーにとってその計画は、自分自身を結果的に幸せにする計画だった。「世界を変える」ことが「すべての人を変える」ということであるなら、トレヴァー自身もまた幸せにならなければならないからだ。だが、計画は当初、なかなかうまくいかない。人生の再出発のために、働いて貯めた金を援助した路上生活者のジェリーは、刑務所に送られて以来、彼の前に姿を現わさない。庭の手入れをしてあげたグリーンバーグ夫人は、病気で死んでしまう。そして、ベトナム戦争での負傷によって顔と体にひどい傷を負ったルーベンは、アーリーンに強く惹かれながらも、傷へのコンプレックスが生み出す心の壁を取り除けずにいる。

 だけど、そんなに簡単にはいかなさそうだった。だってさ、誰だってわかるよ。いい人間ばかりじゃないからね。ペイ・イット・フォワードを実行しないやつだって、出てくるにきまってる。ただ助けてもらって、それでおしまい。

 人間は身勝手で弱い生き物だ。法律を制定し、警察機関によって取締りを行なっていて、それでもなおさまざまな争いや不幸のとだえたことのない社会の中で生きている私たちは、そんな社会を、また醜い人間の本性を嘆きつつも、じつは無意識のうちに自分もまた、身勝手な生き方をしているのではないか、と思うときがある。「私は自分のことだけで手一杯だ。他人のことなんか気にしてなどいられない。そんなのは誰か、金や時間に余裕のある恵まれた人間がやればいいことだ」と。

 だが、それはやはり言い訳でしかないのだ。問題なのは、自分がやるかどうか、なのだから。

 みんながわかってないのは、そこなんだ。すごいことなんかしなくていいんだ。ぜんぜんね。相手にとって役に立つことだったら、それでいいんだ。必要なことは、それぞれちがうんだからね。

 本書を読んでいて感じたのは、トレヴァー少年の非人間性である。もちろん、自分の母親とルーベンを結びつけることで、自分も幸せになりたい、という打算もあるだろうが、あまりにも人間の抱える負の要素がなさすぎるように思えるのだ。むしろ、大きなコンプレックスを抱えて悩み苦しんでいるルーベンやアーリーンのような大人たちのほうが、まだしも人間味が溢れていると言えるだろう。そして本書が迎えることになるラストを考えたとき、トレヴァーは、あるいは「ペイ・イット・フォワード」計画を実現させるべく生まれてきた天使だったのではないか、とさえ考えてしまう。「世界を変える」大きな奇跡の、その最初の火をつけるための役割として、トレヴァーの非人間性が物語のリアリティーを支えているのであれば、それはある意味、悲しいことである。

 だが、おそらく著者は、天使がいなければ実現できない計画だとは考えていないだろう。なぜなら、私たちは少なくとも本書を読み、考えることができるからだ。トレヴァーの言うとおり、何も難しいことではないのだ。ものを考え、感情を持ち、想像力を武器に世界を変えていく力を秘めた人間として生まれてきたことへの自尊心――はたしてあなたは、他の誰でもない、自分自身の人間としての自尊心を信じることができるだろうか。(2002.09.14)

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