【早川書房】
『機龍警察』

月村了衛著 



 最近よく目にする新刊本のなかに、「〜才までに何かをすべき」というタイトルの本がある。私などはたいてい、そうして設定された年齢を超えていることが多く、それは存外に「お前はもう手遅れだ」と言われているみたいで気に入らないのだが、そうした主観はともかく、何らかの具体的な目標を立てて行動すること自体はけっして悪いことではない。なぜなら、どれだけ壮大な夢や理想を抱いていたとしても、ただそれだけでは夢や理想はけっして現実にはならないものであるからだ。逆に言えば、夢や理想がどれだけ曖昧模糊としたものであっても、具体的に何をすればいいのかが見えていれば、人はとりあえず行動に移ることができる。

 ここで賢明な方ならお気づきかもしれないが、そのさいに重要なのは、そうして設定された目標が、本当に目指すべき理想や夢を実現するためのステップとなっているのか、という点である。だが、そのあたりの見極めほど難しいものはない、という実感が私にはある。ともすれば人というのは、目の前の目標を達成することそのものが目的だと思い込んでしまう盲目的な生き物であるし、また目標に従って行動するというのはある意味楽でもある。夢や理想の実現のために、具体的な目標を立てるのは大切なことだが、その立てた目標は絶対ではなく、ときには修正や方向転換の必要があることが前提である。そして、そうしたズレを認識し、次の目標を判断するのは他ならぬ自分自身でしかない。

 夢や理想、あるいは個人の信念や矜持といったものがしっかりと確立されている人というのは、その言動にブレがなく、強さや頼もしさを感じるが、同時にその強さが脆さにつながりかねないというある種の不安定さ――今回紹介する本書『機龍警察』は、そのSF的設定やバトルの面白さはもちろんのことながら、登場人物たちの行動原理にかかわる人間ドラマこそが、本書の真骨頂であるという印象が強い。

「日本はどんどん薄気味の悪い国になっている。俺はな宮近、これからもっともっと異常なこと……そうだ、今までの常識では考えもつかないようなことが起きるような気がするんだ、この日本でな。」

 強力なだけで使おうにも使えない大量破壊兵器が衰退し、その代わりに市街地での近接戦闘を主眼とした軍用有人兵器群――機甲兵装と呼ばれる兵器が戦争の道具となりつつある近未来の日本。物語は、密造の機甲兵装三機による地下鉄駅の立て籠もりという最悪の事件発生によって幕を開ける。警察の通常装備やパトカーなどものともしない機甲兵装が、よりによって犯罪に使われるという状況の異常さを生々しく伝えるにはこのうえない出だしであるが、それ以上に尋常でないのは、むしろそうした犯罪に対応する警察側であったりする。そして、その中心にいるのが「警視庁特捜部」というセクションだ。

 機甲兵装による犯罪対応については、日本警察の特殊部隊であるSATに機甲兵装を配備するという形がとられていたが、それとは別に、そうした組織や刑事部といった部局のいずれにも属さない、警視庁直属という位置にある警視庁特捜部(SIPD)――通称「ポリス・ドラグーン」には、最高機密ともいうべき特殊強化兵装「龍機兵」が与えられている。独自の捜査員と「龍機兵」による突入部隊をもつ、まさに機甲兵装犯罪対応のために組織されたような警視庁特捜部であるが、警察内での評判はすこぶる悪い。げんに本書のなかでも、すでに民間に多大な被害を及ぼしている立て籠もり犯への怒りよりも、警視庁特捜部の介入そのもののほうを忌み嫌う態度を隠そうともしない警察の様子が描かれているのだが、その最大の理由のひとつとして、「龍機兵」操縦者が警察とは何ら関係のない、言ってみれば金で雇われた傭兵たちによって占められているという事情がある。

 当初は市民からの通報によって偶発的に発生したと思われていた立て籠もり事件が、じつはSAT殲滅のために周到に仕組まれた計画的犯行であること、そしてその思惑どおりに進んでいくなかで、唯一のイレギュラーを引き出した「龍機兵」という展開になるなか、物語はおもに警視庁特捜部がいかにして今回の犯罪の犯人を捕らえるか、そしてその背後にどんな組織が関与しているか、という点が軸となっていくところがあるが、全体としてとらえたときに見えてくるのは、本書における警視庁特捜部の立ち位置と、彼らの真の敵となる存在をはっきりさせるという、シリーズの導入部としての役割だ。そしてそれ以上に重要となってくるのは、警視庁特捜部のメンバーたちの、他の警察組織や犯罪者集団との違いがどこにあるのか、という点――言ってみれば彼らの個性や性格をより強く印象づけることにある。

「当然ですよ。兵士と殺し屋はどちらも同じ人殺しだ。この二つを区別するのは職業意識でしかない。プロフェッショナルとしてのね。それがなければ、二つの間の境界はあっと言う間に消えてしまう」

 龍機兵のひとつ「フィアボルグ」の使い手として警視庁特捜部に雇われている姿俊之の、かつて戦場で知り合いだった男で、今は今回の犯罪の実行犯となっている男との違いを聞かれたときのセリフは、本書における警視庁特捜部の微妙な立ち位置をよく象徴している。強固な縦割り社会である警察組織のしがらみにとらわれないこの組織は、もちろんその人員の大半が警察からの抜擢ではあるが、姿をふくむ三人の突入兵は警察ではなく契約によって動く傭兵、そしてそんな彼らを束ねる立場にある沖津旬一郎警視長にいたっては、もともとは外務省出身のキャリアである。いわば寄せ集めの組織という特徴を色濃く残す警視庁特捜部の存在は、既存の価値観に凝り固まっている者たちにとっては、その存在意義がはっきりとしない「不気味な」組織のように映る。

 むろん、表面上の存在意義ならある。だが、たとえば警察たちが求める存在意義とは、そうした建前としてのものではなく、不動の大地のごとく揺るがない、あたりまえすぎて疑問にすらあがらないような「存在感」だ。これはたとえるなら、私たちにとっての学校教育や選挙権のようなものだろう。いずれも私たちが生まれたときから与えられているもので、たとえばそうしたものが消滅してしまうかしれない、などとは想像することもできない。だが、本書における機甲兵装と、それらがもたらす犯罪は、それまでの価値観が通用しなくなりつつあることを饒舌なまでに物語る。

 未知の脅威に唯一対抗すべく、おもにひとりの男の鉄のような意思の力によって組織された警視庁特捜部――では、その「意思」とはどういうものなのかといえば、この書評の冒頭で語った「理想」や「夢」という言葉で表現されるもの、ということになる。警察という組織がそもそも何のために存在しているのか、というラディカルな命題に対して、その回答をしめすのが、警視庁特捜部という組織であるという立ち位置であり、それが本書のテーマにもなっている。

 元ロシア警察出身者や元テロリストといった、いわくありげな面々によって構成される特異な警察組織と、そんな彼らの力を十二分に引き出す驚異的な力である「龍機兵」――そんな彼らが立ち向かうことになる「今までの常識では考えもつかないような」敵の存在もふくめ、彼らの今後の活躍が楽しみになる作品である。(2031.06.06)

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