【メディアワークス】
『ブギーポップは笑わない』

上遠野浩平著 
第4回電撃ゲーム小説大賞受賞作 



 世界の危機、という言葉を聞いて、あなたはいったい何を思い浮かべるだろうか。全面核戦争? 超大規模な天変地異? 怪獣の出現? あるいは異星人の侵略? なるほど、それも確かに世界の危機ではある。だが、人間だって馬鹿ではない。面と向かって「これから君を攻撃するぞ」と言われて身構えない人間がいないのと同じように、上述のような目に見える世界の危機が発生すれば、人間は遅かれ早かれなんらかの対策をこうじることになるだろうし、また、おそらくそのような事態になる前に、世界の危険を回避するような行動をできるかぎりとろうとするはずである。だが、「世界の危機」というのは、そんなに誰の目にもそれとわかるような姿をとって現われるものなのだろうか。目に見えるものであれば、たとえそれがどんなに強大であっても、じつはそれほど怖くはない。ほんとうに怖いのは、私たちの誰ひとりとして「世界の危機」であることを認識することもなく、静かに、しかし急激な勢いで進行していくタイプの危険である。たとえば、私たちはノストラダムスの世紀末予言が外れたことに安堵しているが、じつは目に見えない形の人類の滅亡が、今もなお進行中なのかもしれない、ということなのだ。

 目に見える危機に対しては、目に見える――あきらかにそれとわかるヒーローの存在が不可欠であるように、目に見えない危機に関しては、それにふさわしいヒーローが必要になる。そう、たとえば、女子高生の間で密かに広がってはあっという間に消えてしまう噂話のように、その存在すら曖昧で、ちょっと目を離したりしたら、それこそ泡のように消え失せてしまうような、そんな目に見えないヒーローの存在が。本書『ブギーポップは笑わない』をはじめとする一連のシリーズに登場するブギーポップとは、ようするにそのような存在なのだ。

 ブギーポップは、女子高生たちの間では「死神」と呼ばれている、噂の中でのみ生きている存在だ。黒い帽子、黒いマントを身に付けたそいつは、その人が最も美しいときに、それ以上醜くなる前に殺してくれる――少女特有の願望が生み出した噂は、しかし目に見えない「世界の危機」を敏感に察知し、それを排除するために宮下藤花のなかから「自動的」に立ちあがってくる、言わば彼女のもうひとつの人格でもある。だが、世界の危機を救うために戦う彼は、けっして物語の中心にいるわけではない。物語の中心を成しているのは、世界の危機に巻き込まれてしまった人たちの心であり、世界の危機を引き起こしてしまった人たちの心である。

 一連のシリーズの中で起こる「世界の危機」、それは、およそ人間であれば誰もが持っている心の弱さや不安定さ、葛藤、矛盾といった要素が常に引き金となってはじまり、静かな水面にしずくを落としてできる波紋のように広がっていく。たとえば『ブギーポップは笑わない』の中では、マンティコアという人の姿をした怪物が登場する。宮下藤花たちが通う県立深陽高校で起きた少女失踪事件の犯人――「人喰い」であったが、ブギーポップが「世界の敵」として認識したのはマンティコアではなく、その怪物と出会ってしまったことで、もともと自分の中に巣食っていた生に対する底知れぬ憎悪を暴走させ、マンティコアのために生徒を餌として提供していた早乙女正美の方であった。また「VSイマジネーター」編では、人の心の欠落を見ることができる飛鳥井仁という予備校教師が登場する。彼は、人が人である運命であるところの心の欠落を埋めるために、人々の心を次々とつくりかえ、その力で世界を変えようと計画したが、ブギーポップは、彼を利用して人の死を寄せ集め、今という瞬間を突破しようともくろんだイマジネーター ――かつて人の死を見る能力を持っていた水乃星透子の魂の存在を見抜いていた。

「世界の危機」を引き起こしてしまった者たちには、おそらく悪意といったようなものはない。異能な力と出会ってしまったがゆえに、そのような道をたどるよりほかに、どうすることもできなかった、と言うこともできる。ときにはただ単純に、人々を救ってあげたいとか、人々を楽しませたいとかいった気持ちでやっていることが、皮肉なことに世界をねじ曲げてしまう行為につながってしまうことさえあるのだ。そして、物語に登場する人たちの悩みは、そのまま私たち自身の悩みでもある。自分の夢は何なのか、自分には何が欠けているのか、これから先、自分にどんな運命が待っているのか、世界はなぜこんなにも歪んでいるのか、そして自分はなぜこの世に生きているのか、死とは何なのか――そう、誰もが一度は考えたことのある、それらのけっして答えを見出すことのできない問いかけが「世界の敵」となる可能性を秘めている、という事実ゆえに、この一連のシリーズで描かれるそれぞれの物語は、読む者の心に痛みを与える。

 そして、普通の人が「世界の敵」とならなければ存在することすらできず、世界を救うことが唯一の存在意義であるがゆえに戦うことしか許されないブギーポップの姿は、「世界の敵」以上に哀しく、そして痛々しくさえ映る。彼はたしかに世界を救うヒーローなのだろう。だが逆に言えば、世界を救うことはできても「世界の敵」となってしまった人たちの心を救うことはできないのだ。たとえば、「世界の敵」が「世界の敵」となる前になんとかしてやることができるかもしれない、という選択肢は、ブギーポップにはない。さらには、私たちがかかえている心の問題を解決する力も、彼にはない。彼は、そうなってしまった事実にしか反応しない機械仕掛けのようなものだ。ただ、彼はあるときは辛辣な言葉で、あるときはひどく真面目そうな言葉で、人々に一歩前に進むためのきっかけを与えるだけである。彼は知っているのだ、心の問題をどうにかすることができるのは、本人だけである、ということを。そして、安易な結論づけは、ときに人を「世界の敵」にしてしまうこともある、ということを。

 本シリーズの中には、さまざまな能力を持った者たち――それは人間のときもあるし、統和機構が造り出した人造人間であることもある――が登場する。(「エンブリオ」編においては、人の隠された能力を引き出してしまうゲーム機まで登場した)。人の精神に影響を与えるもの、直接的な攻撃を与えるものなど、その内容はじつに多彩にわたるのだが、それらの能力に対する著者の位置づけは、「この世に存在することを許されている以上、必要のないものなど存在しない」というところで一致している。そういう意味では、同じく特異な能力を持つ一族のことを描いた恩田陸の『光の帝国−常野物語−』と似たようなところがあると言える。いつか、この行き詰まった現代を、先の見えない人類の焦燥感を突破するために必要となるであろう力――その大きな可能性を、哀しいことにブギーポップは誰よりもよく理解してしまっている。

「結局、あなたも、"今"にとどまるだけの存在なのね……ほんとうに残念なことだわ――(中略)――しかし、あなたがいくら待ったところで、いっこうに何ひとつはじまることはないと思うわよ。そのうちにあなたは、その名前の通り世界にむなしく浮いては消えるだけの、ただの泡ということになるんだわ」(「VSイマジネーター」編より)

 そう、ブギーポップは、常に現在の地点にしか立つことができない存在なのだ。脆く、儚く、ちょっとしたことで容易に移ろいゆく、しかしそれゆえに大きな可能性を秘めている心を持った人間の未来に、おそらく彼の居場所はどこにもない。目に見えない「世界の危機」のために、誰にも注目されることなく孤独な戦いを続けなければならない――しかもその結果が彼自身には何ひとつ反映されることもないブギーポップに、もし救いがあるとするなら、それは彼のことを唯一友達だと呼んだ竹田啓司の存在であり、正義の味方としてみずから危険の中に飛び込むことを選んだ「炎の魔女」こと霧間凪の存在にある、ということになるだろうか。そしてもちろん、彼と出会ったことで一歩前を進むきっかけを与えられた者たちも。

 ひとつの物語の終わりが、別の物語の生まれるきっかけを引き起こし、それぞれの人間が、ひとつの事件に対してそれぞれの立場で向き合うことで多重性を成していく物語の連鎖の中で、ブギーポップの戦いはまだとうぶんのあいだは終わりそうもない。これから先、どのような可能性が生まれ、それがどのような「世界の危機」に変じてしまうかはわからないが、正統派ヒーローでもない、ダークヒーローでもないブギーポップの、そして彼を生み出した著者の今後の活躍に、大いに期待したい。(2000.03.06)

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