【講談社】
『OUT』

桐野夏生著 

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 桐野夏生という作家が描く世界は、いつも恐ろしいほど生々しく、世俗的で、どろどろとした人間関係に溢れ、読む人の心に重くのしかかってくるものがある。それはたとえるなら、「青い空、白い雲、眩しい太陽」という言葉に代表されるような、さわやかさを前面に押し出した夏ではなく、皮膚に絡みつくような、ねっとりとした都会の夏、自分の体から否応なく噴き出してくる汗にうっとうしさを感じてしまうような、ただ暑いだけの夏を描くようなものだ。
 どうしても思いどおりにならない人生、どうしても変えられない人間関係――著者の作品のなかにあるのは、生きることに対するどうしようもないような絶望感、あるいはうっとうしさとでも言うべきものである。世の中を生きていくのは、けっして簡単なことではない。そして、世の中をたったひとりで生きていけるほど、人間は強い生き物ではない。望む望まないにかかわらず、さまざまな関係、さまざまなしがらみ、さまざまな制約にからみ取られ、身動きひとつとれなくなってしまうのが人生であるとするなら、人の一生とはなんと不自由で、面倒なものであろうか。本書『OUT』は、そんな無限に続くかのような日常の繰り返し――洗濯物を入れないまま回りつづけている洗濯機のような日常から、そしてあらゆるものから自由になりたいと願った主婦が、ある一線を越えてしまう物語である。

 本書に登場する香取雅子の家族は、もはや家族と呼ぶのも難しいほど、それぞれが孤立したまま、自分の抱える現実と向かいあっていた。かつて二十年勤めていたT信用組合で、女であるがゆえに自分の経験も向上心もまったく評価されず、かえってさんざんいやがらせをされた末にリストラされてしまった経緯をもつ雅子が、あれだけ好きだった金融の仕事にすっかり絶望したあげくに選んだ再就職先が、弁当工場の夜勤パートだった。夜中に働き、昼間に寝るという、普通の生活サイクルから完全に外れてしまう今の仕事は、けっして楽な仕事ではなかったが、家族というしがらみから、ほんの一時でも離れてひとりになれる時間を持てる、という意味で、そこは雅子が欲していた場所だと言うことができた。

 そんなある日、夜勤パートで親しい仲間のひとりである山本弥生から電話が入る。その夜の仕事でいつもと違い、調子の悪そうだった弥生は最近、ギャンブルに五百万もの貯金を全部つぎこんでしまった夫健司から暴力を受けていたのだが、その電話の内容は、ついに我慢の限界を越えてしまった弥生が、とっさに夫を絞め殺してしまった、という、衝撃的なものだった。電話を受けた雅子は自分でも驚くほど淡々と、弥生に協力して健司を闇に葬る手伝いをする決意を固めていた……。

 ふだん、殺人とはまったく無縁の場所で生きてきた人間が、思いがけず引き起こしてしまった殺人――だが、自分の夫を殺してしまったことにまったく罪悪感を感じないどころか、「ざまあみろ」とさえ思ってしまう弥生にしろ、あくまで冷静に死体を運び、バラバラにしてゴミ捨て場に捨ててしまおうと計画を練る雅子にしろ、そこには一般の人間として、どこかの感覚が麻痺してしまった、あるいは無理やり麻痺させてしまった人達の、暗い情念がある。その情念は、あるいは良妻賢母を演じつづけてきた弥生の、自分を裏切った夫に対する深い憎しみであったり、あるいは雅子になかば騙されるようにして死体解体の作業をやることになった吾妻ヨシエや城之内邦子のように、苦しい生活のために必要な金に対する切実な渇望や、金目の物で自分の周囲を飾ることでしか自分を表現することのできない、自分の容姿に対する深いコンプレックスだったりするのだが、その生々しい情念と、死体を解体するときの、ある意味こっけいでさえあるリアリティとを結びつけることで、彼女たちが抱えている、ギリギリのところで正気を保っている感情――何重にも重なった借金苦や、半身不随になった老母の世話によるくたびれはてた生活のなかで削られていったものの大きさ、抱え込んでしまったものの異常さを、読者はあらためて思い知らされることになる。

 だが、そのなかでも特に、香取雅子の抱える深い闇は、明らかに他の人たちのそれとは一線を画していると言えるだろう。当初、お礼をするという弥生の申し出を断わりさえした雅子が、あまりにも危ない橋を自分から進んで渡ろうとしていることの理由がわからないだけに、その不気味さはいっそう際立ってさえいる。

 雅子はけっしてサイコパスと呼ばれるような異常者ではない。彼女には、人間の死体がかつて生きていたものであること認識するだけの想像力を持ち合わせているし、生々しいものに対する嫌悪感や、恐ろしいものに対する恐怖心も感じることができる。ただ、彼女が他の人と違うのは、一度それを仕事であると決めることで、自分のすべての感情を封じ込めて仕事に徹することができる、という点かもしれない。そういう意味で、雅子の意志はとても強い。だがその強さは、以前働いていた会社でも、家庭の中でも、すでに壊れてしまっているにもかかわらず自分の役割をこなしつづけてきた彼女の、けっして理解されないことへの諦めが生んだ、皮肉で悲しい強さでもある。そして、強さはときに、その力をぞんぶんに発揮できるだけの自由を渇望する。

 何に対してかはわからない。だが、あの時の自分は確実に怒っていた、と雅子は気づく。たった一人の自分。もう誰にも助けを求めない自分。そんな状況に追い込んだもう一人の自分に腹を立てていたのだろうか。しかし、怒りは自分を解き放つ。あの朝、自分は確実に変わったのだ。

 もう先の見えてしまった自分の人生を変えるために、これまでなら想像もできなかったことに手を染める――直木賞を受賞した『柔らかな頬』の森脇カスミは不倫をすることで、行き詰まった自分の現実を突破しようとした。香取雅子もまた、自分が荷担したことに対してある種の開放感に似たような思いを味わっていた。そういう意味で、彼女たちは女であるという、ただそれだけの理由で自分たちを縛りつけようとするすべてのものから自由になるために歩き始めた、勇気ある女性たちとさえ言えるのではないだろうか。たとえ、それが犯罪に手を染めるようなことになったとしても、である。

 はたして、弥生が引き起こし、雅子達が死体の処理をした殺人は完全犯罪として成立するのだろうか? それとも少しずつ破綻して、すべてが白日の下にさらされることになるのか? 本書のなかで雅子がたどる意外な運命、呼び寄せてしまったものに、いったい読者が何を感じるのか、非常に興味深いところである。(2000.08.06)

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