【新潮社】
『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』

ジュノ・ディアス著/都甲幸・久保尚美訳 



 海外のオタクが登場する作品というと、ロンドンを舞台とした地下鉄オタクの無謀な挑戦を書いたキース・ロウの『トンネル・ヴィジョン』を個人的には思い出す。自分こそがロンドン地下鉄にもっとも詳しいというある種の矜持――それこそ、間近に迫った愛する女性との結婚そのものを賭けてまで挑戦しようとするその気質は、その手のことに興味のない一般人にとってはまったくもって理解しがたい情熱ではあるのだが、その馬鹿馬鹿しいまでの情熱がまさに「オタク」と呼ばれる人々の面白さを引き立てるものとして、うまく機能していたことをよく覚えている。

 今回紹介する本書『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』に登場するオスカーは、私たちが想像する典型的な「オタク」像を髣髴とさせる人物である。分厚い眼鏡に体重百キロ以上の肥満体、まったくイカさないアフロヘアと薄い髭、SFやファンタジーといったジャンルをこよなく愛し、テーブルトークRPGに狂い、「スターウォーズ」や「スタートレック」ばかりでなく、「AKIRA」や「宇宙戦艦ヤマト」といった日本製のアニメにも深い造詣をもつオタク――「指輪物語」に入れ込むあまり、そこで使われている架空の言語の読み書きができるほどの重度のオタクでありながら、かつそのオタクっぽさを隠すことがどうしてもできないというオスカーのオタクとしての要素は、しかし『トンネル・ヴィジョン』のように、主人公の強烈な個性として物語を加速させていくためのものではない。むしろ彼のオタク気質は、彼のドミニカ人としての血筋からいかにかけ離れた存在であるかを強調するためのものだと言うことができる。

 有色人の若者たちは彼のしゃべり方や体の動かし方を見て首を振った。君はドミニカ人とは言えないよ。そしてオスカーは何度も何度も言い返した。でもそうなんだ。ドミニカ人なんだ。ドミニカ人なんだよ。

 本書を読んでいくとまず気づかされるのが、いわゆるサブカルチャーに属する固有名詞を用いたネタの数々である。それはもちろん、オスカーのオタクぶりをいかんなく説明するためのものであるのだが、逆にいえば、物語の進展においてそれ以外の役割をもっていないということでもある。つまり、オスカーのおよそ「ドミニカ人」らしくない容貌もふくめ、彼がとにかく「女にもてない」理由づけとしてのみ機能しているところがあるのだ。

 もっとも、こうしたオタク的趣味に対する妙なよそよそしさは、もっぱら語り手の人格的な側面もおおいに影響している。そう、冒頭部分ではまるで三人称であるかのごとく目立たないようにしているが、じつは本書は一人称で語られる小説であり、しかもその語り手はオスカーではない。そしてその語り手は、オスカーのオタク的趣味にかんして多少なりとも知識はあるものの、その一方でそうした要素を自身の趣味とするまでには、関心をもっていない人物、という側面が見えてくる。

 では、語り手が何に関心をもっているのかといえば、それはオスカーのなかのドミニカ人としての部分に他ならない。だが、語り手が「普通」だと考えるドミニカ人としての気質――そのなかでも最重要項目として挙げられる「女たらし」という要素ほど、オスカーという人物にふさわしくないものはない。いったいこのオスカーというオタク――およそ攻撃的な部分が皆無で、デブの男色家オスカー・ワイルドみたいだという悪口に対して「オスカー・ワオって誰」と答えたがゆえに「オスカー・ワオ」と揶揄されるドミニカ人は、本当にドミニカ人なのか? こうした疑問が本書の物語を進展させる源であると気づいたとき、私たちははじめて本書のテーマについて触れることが可能となる。

 じっさいに本書はオスカーのことばかりでなく、彼の姉であるロラや母親のベリ、そして彼の祖父母がドミニカ共和国でたどることになる運命についても書かれており、そういう意味で本書はカブラル家一族の物語であり、同時にトルヒーヨが独裁制を敷いていたドミニカ共和国の物語ともつながっている。何かにつけて力でねじ伏せようとする母親に反抗心むき出しのロラ、禁断の恋に落ち、その相手に裏切られ、それゆえにアメリカに亡命せざるを得なくなったベリ、そしてトルヒーヨの支配する当時のドミニカ共和国の、およそ現実には信じがたい所業の数々と、その気まぐれに翻弄されることになるカブラル一族――かつては優秀で裕福な医者であったはずのカブラル家を襲った悲劇とその後の子孫たちの受難について、本書の語り手は「フク」という名のカリブ海独自の呪いと結びつけて考えていることは、本書の冒頭でまずこの「フク」について語っていることからも見てとれる。

 言ってみれば、オスカーのドミニカ人としての気質を支えているのは、先祖から受け継いできた「フク」の呪いのみだということでもある。何より幼少の頃のオスカーは愛らしい少年であると同時に、ごく普通のドミニカ人のように「女たらし」の兆候を見せていたのだ。そしてその兆候は、典型的なデフのオタクとなってからも、じつは変わっていない。オスカーはオタクではあるのだが、たとえばアニメのなかの女性にしか興味のないオタクではなく、まぎれもない現実の女性にじつに惚れっぽく、一度惚れてしまったからには、後先考えずにアタックをかけずにはいられない。

 ロラは何度も警告した。オスカー、変わらなきゃ童貞のまま死ぬことになるわよ。

 はたして、オスカーは変わることができるのか? そして無事に童貞を卒業できるのか? だが、彼の人生において先祖をことごとく不幸にしている「フク」の呪いが関係しているとすれば、本書はきわめてドミニカ的「フク」と、同じくドミニカ的なもうひとつの呪文――悪い呪いから家族を守る呪文である「サファ」との対決の物語であるとも言える。そしてこの構図は、非常にファンタジー的な要素、ラテンアメリカ文学的な言い方をすればマジックリアリズム的な要素をもちながら、じつのところ理不尽な運命に翻弄され、親族関係という自分ではどうすることもできない結びつきに一喜一憂しながらも、それでも懸命に生きていこうとする人間たちの物語へと繋がっていく。

 本書の冒頭で語り手が放つ「われらがヒーロー」は、しかしもっともヒーローからはかけ離れた、ドミニカ人的ではない、そしてSFやファンタジーという仮想現実物語へとひたすら傾倒するオタクだった。しかしその内面がドミニカ共和国の呪いという要素と結びついたときに、このような物語が創造されるのかという驚きが本書にはたしかにある。タイトルにもある「短く凄まじい人生」の、その全容をぜひたしかめてもらいたい。(2012.08.03)

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