【PHP研究所】
『おりづるの旅』
−さだこの祈りをのせて−

うみのしほ著/狩野富貴子絵 



 人間がどんなに身勝手で愚かな生き物であるかを語るのはたやすいが、人間がどんなにすばらしい生き物であるかを語るのは、けっして容易なことではない。それは、物を破壊することよりも創造することのほうが、人を憎むよりも愛することのほうが難しいのと同じ理屈であるが、私たち人間が他ならぬ人間として生まれてきたことに、何の誇りも価値観も見出すことができないとすれば、それはあまりにも悲しいことだと言わなければならない。

 人間には想像力がある。それは他人を思いやることのできる力であり、他人の痛みを自分のことのように感じ取る力でもある。私は常々、書評の中で想像力について触れ、それが人間に授けられたおおいなる恩恵であると書いてきたが、人間が本当にすばらしいのは、自分の遺伝子以外の何かを、次の世代に伝えていける、ということも含まれているのではないか、と思うようになっている。

 何かを強く願う気持ちが、時間や空間、国や人種といった壁を越えて、大勢の人の心に作用していく――本書『おりづるの旅−さだこの祈りをのせて』は、広島の平和記念公園にある「原爆の子の像」にまつわる同著者のノンフィクション『折り鶴は世界にはばたいた』の内容を絵本にした作品であるが、そのことによってひとつ際立ったところがあるとすれば、それは人間のどうしようもない愚かさと、人間であるからこそのすばらしさというその二面性が、「戦争」と「平和」というふたつの対極の要素とうまく呼応して表現されている、という点であろう。

 本書の前半は、「原爆の子の像」のモデルとなった佐々木禎子の短い生涯について描かれている。1945年8月6日、原爆が広島に投下されたとき、禎子はわずか2歳だった。核分裂による熱線、爆風、そして放射線による直接的被害だけでなく、その後の残留放射能によって、いっけん健康そうに見える人々の体をもむしばんでいくおそるべき核兵器――その被爆から奇跡的に助かり、今まで何事もなく元気に成長してきた禎子もまた、その魔の手から逃れられなかった。戦争終結から10年も経ってから発病した原爆病で、禎子はわずか12年の生涯を終える。

 後半は、禎子の死を深く悲しんだ同級生たちが、二度と原爆が使われないようにという願いをこめて、慰霊碑「原爆の子の像」を建てたのをはじめとして、「平和への願い」の想いが世界じゅうに広がっていく様子を描いている。禎子が病床にありながらも折りつづけていた折り鶴――折り鶴を千羽折ると願いがかなう、という縁起に一縷の望みをたくし、ひたむきに折り鶴を折りつづけた禎子は本来、自分の病気が治ることを願っていたはずだった。だが、戦争と原子爆弾という、あくまで人間の手によってもたらされた不幸によって、理不尽にもその若い命を奪われなければならなかった禎子の悲しみ、無念の想いは、その事実を知った人々の心のなかで、いつしか「平和への願い」へと変容を遂げていく。そこには、ひとりの少女の死を、ただ単純な死としてとらえるのではなく、そこから何が原因でこの悲しみはもたらされたのか、この悲しみを繰り返さないようにするためにできることは何なのか、ということについて、想像力をはたらかせることのできる人間のすばらしい一面を垣間見ることができるのだ。

 本書でとくに詳しく取り上げられているのは、「原爆の子の像」と、アメリカ南部のニューメキシコ州の子どもたちによって建てられた「こども平和像」のふたつであるが、『折り鶴は世界にはばたいた』を読んでみると、その他にもいろいろな活動が世界じゅうで行なわれていることがわかる。いつしか平和のシンボルとして世界のあちこちへとはばたいていった折り鶴――本書がそうした数々のエピソードのなかから、とくにこのふたつの活動に焦点を絞ったのは、そのどちらもが、子どもたちによってなされた活動であることとけっして無関係ではない。

 私たち大人は、ともすると日常の忙しさや日々の煩雑な生活に追われて、本当に大切なものが何なのかを見失いがちである。戦争は悲惨だ、平和はかけがえのない大切なものだ――それは頭ではわかっていても、じっさいに世界のどこかで今も行なわれている紛争に関して、どこかあきらめの境地におちいってしまっているのも事実である。どれだけ努力したところで、しょせん人間は愚かなままだし、戦争だってけっきょくはなくなりはしない……。だが、より感受性の強い子どもたちは、飽きるのも早いが行動に移すのも早い。大人たちの打算からではない、純粋な平和への願いから生まれたそうした活動に心打たれた、というのもあるだろう。だがそれ以上に、本書が絵本であり、小さな子どもたちにも読まれるものであることを考えたとき、著者は誰よりも、小さな子どもたちにこそ戦争や原爆の悲劇を、そしてその事実を知ってなんらかの行動を起こした子どもたちがいたということを伝え、そこから何かを感じとってもらいたいと願っているのではないか、と思うのだ。

 おとなも こどもも、つるを おりながら 祈った。
 世界が 平和になるように。
 二度と 原爆がつかわれないように。
 さだこの悲しみが くりかえされないように。

 人間は今もなお戦争をやめようとせず、虐げられた人たちは暴力で報復し、そのたびに何の罪もない大勢の人々が不幸になっていく。そして戦後、奇跡的な回復をとげた日本は経済的にも豊かな国に成長したが、子どもたちの心には奇妙な閉塞感が巣くい、無力感や絶望が信じられないような犯罪を引き起こしている。本書の最後にも書かれているように、「平和への願い」を乗せたおりづるの旅は、まだ終わらない。そして私もまた、この絵本と誠実に向かい合い、「褒める書評」をサイトに載せることで、少しでもその願いが人々の心に届くことを願わずにはいられない。(2003.08.18)

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