【徳間書店】
『おもいでエマノン』

梶尾真治著 



 私たち人間を構成している細胞のひとつひとつに存在する遺伝子には、地球上に極めて原始的な生命が誕生してから、何億という年月を経て進化し、人間という種の形となるに到るまでの情報が、すべて保存されていると言われている。また、たった一個の受精卵から、新生児としてこの世に生を受けるまでの十ヶ月間に起こる変化は、それまで人類がたどってきた進化を繰り返しているのだ、とも。
 私たちの体内に封印された、生命の進化の記録――人間の歴史は、その膨大な時間のなかのほんの刹那でしかないのだが、自分という個が、その膨大な時間の積み重ねによって築かれた先端に位置しているのだと考えたとき、私たちはあらためて、この慣れ親しんできた肉体の神秘、生命の神秘に畏敬の念を抱かずにはいられなくなる。

 本書『おもいでエマノン』には、地球上に生命が発生してから現在までの記憶をすべて持っている女性が登場する。いつの時代においても常に「時代の最先端」に居つづけ、無限の世代交代を繰り返しつつも、その記憶だけは受け継ぎつづけてきた意識とでも言うべきものは、本書の世界では、エキセントリックな容姿にわずかなそばかすを浮かべて旅を続ける少女の姿をとって現われる。「エマノン」という奇妙な響きのことばは、そんな彼女の名前であると同時に、たんなる「ノー・ネーム(no name)」の逆さ綴りでしかない。名前を記号としてしか扱わない彼女が見届けることになる人々の、人生のほんの断片――それが本書に書かれていることである。

 実際、エマノンは本書のなかでは明らかに主役級の役割を与えられているにもかかわらず、個々の物語の中ではほとんどと言っていいほどその物語の筋書きに介入しようとしない。もちろん、彼女自身には行動するための意志があり、また事件に巻き込まれることによって仕方なく行動することもあるのだが、その行為が物語の流れを決定づけることはありえない。そういう意味でエマノンは、上遠野浩平の「ブギーポップ」シリーズに登場する、世界が危機に陥ったときのみ存在することを許されるブギーポップと似たところがあると言えるかもしれない。ただ、ブギーポップにはどんな形であれ「世界を救う」という明確な目的が与えられているのに対して、エマノンには、三十億年分の記憶を保持しなければならない理由が明らかにされていない。彼女もまた、自分の存在意義を模索しつづけている、という点では、私たちにより近く、また親しみのあるキャラクターだと言えるのかもしれない。

「何故、私みたいな人間が存在しているのかってことよ。正直な話、もう記憶の重荷にうんざりしているの。三十億年という思い出は人間には荷が重すぎる時間と思わない」

 人間は忘れることができる生物だ。そしてそれは、ひとつの能力でもある。たとえ、脳の中では「無意識」として全記憶を保存しているのだとしても、私たちは普段から無意識の記憶を意識しているわけではないし、そもそも生きていくのに必要でない、ささいな事柄については、憶えていたところで何の役にも立たないことを知っている。忘れる、というのはある意味、とても幸福な能力なのである。

 だが、エマノンにはそれができない。三十億年の記憶とともに生きつづけなければならないエマノン――そこにどこか人間離れしたような、どこか超然とした雰囲気を宿すことになるのは、ごく当然の帰結ではある。そして、それはそれで彼女の魅力のひとつだと言えるのかもしれないが、めったなことでは自分の正体について語ろうとしないエマノンが、たんなる「記憶の保持者」ではなく、私たちと同じ「人間」なのだと思わせる部分があるとすれば、それは彼女の喫煙癖てあろう。いみじくも、彼女と最初に出会った「ぼく」が、煙草は記憶力を減退される(健康に良くないと言わないところがミソ)と指摘する場面があるが、少なくともエマノンについては、その指摘は見当違いだろう。

 おそらくエマノンは、どれだけ両切りのキツい煙草を多量に吸ったところで、自分の記憶がけっして減退しないことを知っているはずである。そして、そのことは彼女にとってけっして幸福なことではない、ということも。だが、それでも本書の中でトレードマークのようにくわえる煙草には、エマノン自身の、自己の存在意義に対するいらだちが紛れ込んでいるのだ。喫煙は、彼女が否応なく背負わなければならない運命への、唯一の抵抗だと言うことができるだろう。そしてそこにこそ、なによりエマノンの人間臭さがにじみ出ているのだ。

 人間は忘れることができる生き物だ、と先に述べた。嫌なことやつらいことを忘れることができない、というのは明らかに不幸なことではある。だが同時に、自分にとって大切な思い出をもし忘れてしまったとしたら、それはとても悲しいことである。そしてもっと悲しいのは、自分がたしかにこの世界に存在した、あるいはしている、という事実を忘れられてしまうことであろう。
 人はいつか、死という忘却によってすべてを失ってしまう。どんなに懸命に生きても、どんなに自分のことを憶えていてほしくても、この究極の忘却から逃れることのできる者はいない。その真実に直面したとき、「けっして忘れない」エマノンの能力は、どんなふうにして受けとめられるのだろうか。

 一番、確かで、誰にも変えようがなく、感動させられるのは、その個体が、自分が生存中、必死になって自分に納得できる生き方を実践できたかどうかということ。自分自身が納得できれば、もう、その個体は、"生きた"ということを誰にも記憶される必要もないのよ。

 三十億年という時間から見れば、ほんの一瞬の出来事でしかない、しかしさまざまな輝きを持つ人間の、個々の人生――旅をつづけながらエマノンは、そんな限られた人生を精一杯生きていこうとする人たちとの出会い、そして彼らがたしかに生きていたという記憶を、生命の歴史として宿しつつ、これからも生きつづけることになるだろう。いつか、すべての意志ある生命が、自分自身の一生を納得できるようになる、その日までは。
 エマノンが憶えている長い長い歴史――それはまさに、人類や生命全体の大切な"おもいで"なのだ。(2001.03.28)

ホームへ