【新潮社】
『君たちに明日はない』

垣根涼介著 



 自分がどういう人間なのかという認識は、えてして自分自身の認識と、自分以外の誰かの認識とで多少なりとも差異が生じるものである。たとえば、私がどれだけ自分のことを真面目な人間だと思っていたとしても、他の人から見ればちゃらんぽらんな人間のように映っているかもしれない。そしてそれは、私の自分に対する評価が間違っているのかもしれないし、あるいは相手のものの見方が歪んでいるということもありえる。ただ、ひとつたしかに言えることがあるとすれば、自分自身のことは自分が一番良くわかっているはずだというのは、意外とアテにならないということである。自分のことというのは、当人が思っている以上に不可解な部分が多いものなのだ。

 私は今勤めている会社のなかで社内SEとして働いている身であるが、大学でも文学部だったこともあって、今の会社に入社するまでは、自分がまさかシステム開発の仕事をすることになろうとは想定さえしていなかった。結果として、会社の思惑は的を射たものだったと言えるのだが、ある組織と、その組織に属している個人とのあいだにも、なんらかの差異が生まれてくるというのは、人と人との関係以上に起こりえることである。

 こと会社の社員として毎月の給料をもらって働くということを考えたときに、たんにサラリーをもらえればいいという人間はどの程度いるだろうか。もちろん賃金を得るというのは大切なことであるし、その金額は多ければ多いほど嬉しいものでもある。だがどうせ仕事をするのであれば、その仕事に誇りをもちたいし、個人的にやりたいと思っていることと仕事内容が一致していれば、それだけ仕事のしがいもあるというものだ。だが、企業として個人に期待することと、個人の思惑というのは、かならずしも一致するとはかぎらないものだ。

「大変申し上げにくいことではありますが、これを機会に外の世界で、新たな可能性を試されてみるのも、ひとつの方法かとは思います」

 上述のこのセリフは、今回紹介する本書『君たちに明日はない』に登場する村上真介が、仕事を行なううえでの常套句である。というのも、彼が現在勤めている会社「日本ヒューマンリアクト(株)」は、企業の人事に代わってリストラ要員となった社員に早期退職をうながすことを業務内容としているからだ。言ってみれば、クビ切りのプロ集団であり、ある意味非常にエグい仕事ではあるのだが、不思議なことに本書には、「リストラ」「クビ切り」といった言葉がもつ陰湿さ、暗さというのは、思った以上に感じられない。もちろん、人の未来を握り、ときにはその人の人生を狂わせてしまう仕事であることは間違いないし、村上自身も、その手の才能が自分にあるという自覚はあるものの、なぜこんな仕事を続けているのかについて常に疑問をもちつづけている。

 全部で五つの作品を収めた連作短編集である本書において、村上がかかわることになる会社は短編ごとに異なっているが、彼の仕事内容は変わらない。そして指名解雇が労働基準法違反である以上、相手を説得して自主的に退職するように仕向けなければならない。そのために「日本ヒューマンリアクト(株)」は、リストラ要員にかんするさまざまな情報を集め、あの手この手で自分の存続が会社の不利益となっているという証拠を突きつけていくという方法をとる。会社の経費を使いまくる、部下の手柄を横取りする、そのくせ給料だけは妙に高い。あげく若い女性社員に手をつけたりするような人であれば、むしろリストラされても自業自得だと思うわけだが、それはあくまで会社の一員として、会社にどれだけ貢献しているかということを、ごまかしようのない数値に置き換えていくというある意味で冷徹な対応だと言える。

 本書のなかで村上が面接することになるリストラ要員は、そうしたケースとは異なる部分がある。いや、会社への貢献度という意味では同じことなのだが、たとえば会社同士の合併や統廃合といった事情で、本来発揮されるべき才能を生かしきれない立場に置かれていたり、逆にその才能が勝ちすぎて会社経営そのものに影響をおよぼしているケース、あるいはたんに人員削減のノルマゆえにリストラ候補になってしまっていたり、上司に恵まれていないといった理由がその背後にある。村上の面接相手への視点は、会社の利益というベクトルではなく、逆に社員をまぎれもない個人ととらえたときに、その会社が彼らにとって本当に有益でありえるのか、というベクトルをもっている。

 言うなれば、彼らは世渡りがうまくない、不器用な一面をもつ人間なのだ。そしてその典型的な人物が、のちに村上と恋人関係になる芹沢陽子である。会社の社員としての立場よりも、ともすると自分自身の考えや感情を優先してしまう人――彼女の場合、自分が今進めているプロジェクトへのこだわりが、ともすると会社内の摩擦の要因となっているところもあるのだが、彼女はそのプロジェクトの成功が、結果的に自身の実績の向上にも、そして業界全体の改善にもつながると信じているからこそ、その成否に並々ならぬ情熱をかけることができている。会社の社員という立場にどうしても甘んじることができないがゆえに、にじみ出てくるその人の人間性が書かれている本書は、それゆえにリストラというマイナス要素をもつ言葉を、べつの意味へと転換させるだけの魅力を備えている。

 村上の仕事は社員のクビ切りであり、それは会社側から見たときには間違いない事実なのだが、その個人の側からしてみれば、自身の置かれた立場を見直すきっかけともなっている。今勤めている会社の社員としてとどまることが、本当に自分の今後のためなのか――そういう意味で、彼の仕事はその人に現状への打破の第一歩を進ませる後押しをしているところがあるのだ。だからこそ、人から恨まれて当然の仕事でありながら、どこか温かささえ感じさせる作品として成り立っている。これほど言葉のもつ一般的なイメージを覆す作品も珍しい。

 会社の社員として働くということは、会社の歯車として、会社の利益のために貢献するということだ。歯車ということは、取り替え可能ということ――むしろ、そうでなければ会社として成り立たないということでもあるのだが、仕事というのはそれほど単純なものではない。ひとりのまぎれもない人間として仕事をするということ、自分と会社との関係について、あらためて問い直させるだけのものが、本書のなかにはたしかにある。(2010.04.25)

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