【岩波書店】
『小さい牛追い』

マリー・ハムズン著/石井桃子訳 



 いたずらをした罰として科せられたペンキ塗りを、まるで新しい遊びでも発見したかのように風潮して、まんまと大勢の子どもたちにペンキ塗りを肩代わりしてもらうことに成功した、というのは、マーク・トウェインの『トム・ソーヤーの冒険』に出てくる有名なエピソードのひとつであるが、このエピソードの面白いところは、たんにトム・ソーヤーの機転が冴えわたっているというだけでなく、子どもたちにとってペンキ塗りという「仕事」が、ちょっとものの見方を変えてやることで、容易に「遊び」として受け入れられてしまうという、子ども独自の柔軟な想像力にこそある。同じようなことを大人に対して試しても、おそらく通用することがないのは、それだけ大人というものが人生経験に長けている、ということでもあるが、逆にそれゆえに、「ペンキ塗り=仕事」という固定観念から抜け出すことができずにいる、という見方もできるのだ。

 私もまた、もういい歳をした大人のひとりであるが、自分の生きるこの世界への見方がある程度固まってしまい、新しい視点でとらえなおすということが難しくなってきている。じっさいのところ、変わりばえのしない日常生活の繰り返しだと思い込んでいるのは、他ならぬ私の思考であって、生まれたばかりの子どもにしてみれば、この世界は多くの謎と不思議で満ちているに違いないし、またそれはまぎれもない事実でもある。児童書というものは、子どものために書かれた読み物であるが、それを大人が読むことで、忘れてしまっていた自身の子どものころの考え、子どもの頃にたしかにもっていた視点を思い出すことにもつながっていく。それは私たちにとって、あるいは何よりも新鮮な体験だと言えないだろうか。

 それでも、牧場は、そんな高いところにあるために――まい日、夕方、お日さまがしずむのとおなじくらい、そんな高い高いところにあるために、ほかの世界とはまったくちがった、何かふしぎな、すばらしい王国のような気がするのです。

 本書『小さい牛追い』の舞台となるのは、ノルウェーの牧場。ランドリュード農場に暮らす一家は、山のずっと上の方に立派な牧場をもっており、毎年多くの人たちから牛やヤギをあずかって、その高原の牧場で放牧させる「牛追い」を生業としているが、今年はその一家のうち、長男のオーラと次男のエイナールが、はじめて牛追いの仕事をまかされることになった。オーラは十歳、エイナールは八歳。まだまだ遊びたいざかりの子どもでしかない年齢であり、そんな子どもたちの手も借りなければならない、という点を考えると、彼らの生活環境はけっして甘くはないことが想像できるのだが、そんな読者の想像をよそに、一家の子どもたちは、その山の上にある牧場に行くこと、他ならぬ牛追いの仕事をまかされることを、心から楽しみにしている。

 読書家で空想好き、何事にも要領のいいオーラ、勉強が苦手で無鉄砲なところがあるが、ときどき誰も思いつかないような突飛なことをしでかすエイナール、そしてふたりの下の姉妹となるインゲリドとマルタ――この四人の子どもたちにその父親と母親を入れた六人による、高原の牧場での牛追いの日々を中心に描く本書は、それゆえに、言ってみればただそれだけの物語であるのだが、にもかかわらず本書が面白いのは、登場する子どもたちが、ノルウェーの自然を相手にじつに生き生きと暮らしている様子が、このうえなく微笑ましいからに他ならない。しかも、子どもたちはただ遊び呆けているというだけでなく、金銭的にけっこうちゃっかりしているところもあって、オーラとエイナールにいたっては、しょっちゅう自分の担当している牛を交換しては、そのたびのその条件としていろいろな物品を要求するし、川から流れてくる無印の材木を手に入れて、小遣いを稼ごうとしたりと、ともすると涙ぐましいまでの努力をする。

 ただ、子どもたちにしてみれば、そうした事柄をすべてひっくるめて、半分遊びのようなものがあると言える。それゆえに、たとえばせっかく苦労して手に入れてきた巨大なハリモミの木も、エイナールなどはラルスじいさんに気前よくあげちゃったりしてしまうのだ。

 オーラは、友だちのことを考えました。その子たちは、だれも牛追いをしたことがありません。だから、こういう火が、どんなに美しく、すばらしいものか、ほんとにわかりはしないのです。かわいそうなものです。

 ノルウェーの美しい自然のひとつひとつに感嘆の視線を投げかける本書の筆致は非常に新鮮で、コールタールを塗った壁にとまるハエさえも「きれい」だと描写するほどであるが、そこには子ども特有の視点、世界がまだまだ神秘と不思議で溢れていた子どもだからこその視点を強く意識しているのが感じられる。だが、そのいっぽうで、子どもであるがゆえに、毎日はそんな自然の脅威にさらされているとも言える。じっさい、本書のなかで子どもたちは、川に流されそうになったり、沼のなかにはまりこんだり、コケモモやキイチゴを採るのに夢中になって帰り道がわからなくなったり、ともすると森のなかで野宿しなければならなかったりと、かなり危ない目にも遭っているのだ。

 そしてもうひとつ、本書を語るうえで欠かせないのが、父親と母親の存在だ。彼らは基本的に、子どもたちの好きなようにさせている。子どもたちはしょっちゅうけんかはするし、上述のような危なっかしい遊びをしていたりもするのだが、ふたりは辛抱強く彼らを見守っている。だが、いよいよというときにはしっかりと手を貸して彼らを包み込んでくれる。こうした大人たちの、子どもたちに対する絶妙な距離感が、じつに心地よく読者の胸にせまってくる。

 本書には人間以外にも、牛やヤギ、それに「イノシシ」と呼ばれるようになるブタといった動物たちも登場するのだが、彼らにはそれぞれ固有の名前があり、物語のなかではまるで彼らも人間のひとりであるかのような書かれ方がされているのだが、それも、あくまで子ども目線という本書の基本を考えれば当然のものだと言える。広大で美しい、しかしそれゆえに厳しい一面もある大自然のなかで、たくましく生きていく子どもたちの姿が、これほどまでに微笑ましいものとして感じられるのは、間違いなく本書の大きな魅力だと言っていいだろう。(2008.12.20)

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