【小学館】
『華族家の女性たち』

小田部雄次著 



 第二次世界大戦における日本の降伏後に公布、施行された日本国憲法の「法の下の平等」により、その存立の根拠を失うまで、日本には「華族」なる階級が存在していた。華族とは明治維新後、それまであった士農工商といった身分制度を解体するさいに、かつての公卿や諸侯などの支配階級について、平民とは一線を画す目的で統一して与えられた身分のことであり、後に五爵制(公・候・伯・子・男)を取り入れたことからも、日本における貴族制度に相当するものである。

 けっきょくのところこの階級は、近代日本のはじめから第二次世界大戦の敗戦までの七十年程度存続したものであるが、その期間が歴史的に長いのか短いのかは、個人的にその制度にどれだけなじんでいたかにも左右されると思われる。正直、戦後生まれの私などは、古い小説のなかにそんな単語が出てくるといった認識しかなく、それがかつての日本で制度として認められていたと言われても、実感としては乏しいものがある。それはあるいは、戦後教育の賜物でもあるのだろうが、それゆえに「華族」という言葉に勝手に付随する、「何かよくわからないけどすごいご身分の人」「とにかくきらびやかで、西洋風の豪華な屋敷に住んでいる」といった、きわめて曖昧なイメージしかない、というのが実状である。

 私が今回紹介する本書『華族家の女性たち』を手にとったのは、この「華族」というものの実態がどういうものだったのかを知りたいという好奇心があったからであるが、本書そのものは何かの入門書というよりは、文献的資料という側面の強い内容となっている。網羅されている華族の資料としては力作ではあるものの、全体的にはエピソードの羅列をテーマごとにまとめたものにすぎず、一般的な読み物としての魅力には欠けるものがあるが、それでも華族と呼ばれた人たち、とくにそのタイトルにもある華族の女性たちが、じっさいにどんな人物で、どのような生活をおくり、どんな人生を歩んでいったのかを覗き見たいという好奇心は満たしてくれる。

 当然といえば当然のことだが、華族といえども人間である以上、その性格はさまざまであり、たどった人生についても千差万別だ。たんに身分の上にあぐらをかくのではなく、教育者や研究者として名を成した人、女優や実業家に転身した人、華族としての身分を捨てて一般市民と結婚した人、共産党の活動に走って逮捕された人などなど、その生き様はじつに多彩である。なかには「冒険家」なる肩書きのついた華族がいたり、戦後に慈善活動家として社会に貢献する元華族がいたりして、ひとつひとつ取り上げれば興味深い物語が含まれていそうなのだが、本書を読み進めていくと、華族は特権階級である以上に、近代日本における社会の牽引役として大きく期待されていたことがうかがえる。

 ここでいう「社会の牽引役」とは、近代以降の日本が国際社会において目指すべき方向を、率先して後押しする見本という意味だ。それはたとえば近代であれば富国強兵であり、西欧列強への仲間入りという国の方向性であり、また戦時中であれば戦争に勝つためのあらゆる努力を惜しまないという方向性でもある。本書はおもに女性の立場から、社会が彼女たちに何を求めていたのかをまとめているが、それは大きくふたつの要素から成り立っている。

 ひとつは、「近代美人」としての役割である。ただの美人ではなく「近代美人」と定義しているところが独特で、そこにはただ容貌が美しいということよりも、豊かな資産によって醸し出される心のゆとりも大きく関係している。言うなれば、貧富の差が美醜の差であり、華族が美人と見なされるのは当然の成り行きではあるのだが、それゆえに華族の女性は、庶民女子の憧れの的であり、また規範となるべく努めることを求められていた。そして日本の近代とは、西欧の文化が急速に社会に浸透していった時代であり、その西欧化をいち早く身につけていくこともまた、華族の役目となっていた。今で言うところのファッション界の先駆けを担っていたのが、華族の女性だったことが、本書からうかがうことができる。

 もうひとつの役割――というか、これは特色と考えてもいいのだが、それは家系の支えという点だ。これは、自身の属する一族が華族でありつづけるための努力を受け入れるといった意味合いのことで、たとえば第三者が所有権・質権・抵当権を主張できない、華族独自の世襲財産を設定できるという特権があったことを考えると、第一の「近代美人」としての役割(それはそのまま資産を守るという役割にもなる)にもつながっていくことであるが、華族の場合はその他に、華族を相続するのは男系でなけれけばならないという規定も大きく関係している。

 これは言い換えると、華族の令嬢たちが、かならずしも全員が華族を世襲できるわけではない、ということになる。何しろ華族を名乗れるのは、男系の華族の血筋だけなのだ。それゆえに華族の女性たちが華族であり続けるためには、同じ華族の親戚と婚姻しなければならない。これはある意味で、彼女たちが身分の維持のための道具であることを受け入れるものであり、資産目当ての政略結婚や同族結婚といった、今の価値観からすればかなり歪んだ結びつきを強要するものであったことは想像に難くない。それゆえに、華族として生まれ育ちながらそうした華族のしきたりを嫌い、華族であることを捨てて生きることを決意したり、また不倫などに心の安らぎを求めて醜聞をかこったりする女性もいたと本書は指摘している。

 ひと口に「華族」と言っても、上は公家や将軍家、下は維新で活躍した下級武士や幕臣たちまで含まれており、なかには与えられた身分を維持できずに返還してしまった例も多い。戦後。そのほとんどが大衆社会のなかに溶け込んでいき、そもそも「華族」なる身分の存在すら忘れられつつある現代において、近代日本の象徴としてあった華族の女性のありようを知ることは、ひとつの時代の趨勢を知ることにつながる。けっして万人向きではないが、華族という身分にあってなお魅力的な個性を発揮した女性たちの姿は、あるいは物語創作やキャラクター作りの資料のひとつとして、その本領を発揮することになるのかもしれない。(2015.04.23)

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