【講談社】
『戦中派不戦日記』

山田風太郎著 



 本書『戦中派不戦日記』は、作家である山田風太郎がまだ医学生だった頃につけていたという日記から、昭和20年の一年間を抜き出し、その内容を本にしてまとめたものである。以上。

 自分でもあまりにそっけない文章だと思うが、まさにこれが本書のすべてだと言っていいいだろう。ある人間が、過去に書いた日記――もちろん、今でこそ『魔界転生』をはじめとする忍法帖シリーズや明治もの、ミステリーやエッセイなど、数多くの著作を世に送り出してきた著者が、まだ作家になるなどと思ってもみなかった若かりし頃につけていた日記、という意味で、著者本人でさえ意識していなかったかもしれない、諸作品に共通する思考や観念の原型を読み取ることができる興味深い記録であることはたしかだが、もうひとつ、本書を読むうえで重要なのは、当然のことながら「昭和20年」という年代である。

 あらためて言うまでもないかと思うが、昭和20年といえば、日本が第二次世界大戦に敗北した年である。そして当時、満23歳という青年だった著者は、医学生であったため徴兵されることなく、日本で生きて終戦を迎えている。つまり、あらゆる物資が極端なまでに不足し、若者たちの大半が徴兵されたり、勤労動員で駆り出されたりしていたあの時代において、著者はほぼ唯一といっていい「分別ある若者」「学生」としての視点をもつ機会を与えられていた。それは、やたらと精神論をふりかざし、とにかく日本は戦争に勝つのだとなんの根拠もなく鼓舞してきた純粋な軍国主義者たちとも、戦争というだけで無理やり戦場に送り込まれ、血なまぐさい生を体験しなければならなかった兵士たちとも、あるいは日々の生活をやりくりするのに疲弊し、毎日のように飛来してきては町を蹂躙するB29の姿に、心のどこかで「日本は負ける」と冷たい意識をもっていた一般大衆とも違った、より「傍観者」に近い立場と言っていいかもしれない。

 もちろん、「傍観者」などと書き、また著者自身も「あとがき」でそんなふうに表現してはいるものの、日記中の著者が完全にその身を傍観者の立場に置いて、戦争というものを眺めていられたわけではない。日記の前半部では、ほぼ毎日のように何時に敵機が何機やってきて、どこを爆撃していったのか、ということが書かれており、じっさい5月24日の大空襲では、著者もまた家を焼き出され、疎開を余儀なくされている。そもそも本書は、著者が自身のためだけに記した、ある医学生の純然たる日記であって、けっして何か目的があって書かれたものではない。たとえば磯田道史の『武士の家計簿』のように、どこから収入を得て、どんな目的で何にいくら支出したのかが詳細にわたって記録されているわけではなく、ゆえに当時の人々の生活ぶりが手にとるように見えてくる、といったたぐいのものではないのだ。

 ところで、人はなぜ日記をつけようと思い立つのだろう。もちろん、日々無常にも過ぎ去っていく時間のなかで、忘れるべきでない出来事を記録しておく、という意図もあるだろう。だが、日記というものが多分に個人的なものであり、基本的に自分ひとりのためだけに書かれるものであることを考えれば、それはたんに過去の出来事を記録する、ということだけにとどまらず、その日、その時、自分が見たもの、聞いたもの、体験したこと、そしてそのとき自分が何を考え、どのように思ったのか、という自分の生そのものを記録する意味合いのほうが、はるかに大きいと言わなければならない。

 今日という日は、二度とふたたび戻ってくることはない――そのかけがえのない時間をかけがえのない時間であると感じ、自分という人間がたしかにその時間を生きた、という証を残したいと思ったとき、人はみずから進んで日記をつけるようになる。そういう意味で、日記というのは自分ひとりと向かい合う行為なのだ。その孤独な作業を、ともするとペンもノートも不足しがちな戦争中において、一日も欠かすことなく、ときにはかなりの量の文章を日記に書き続けていった著者の、その並々ならぬ意思の強さは、いったいどこから生まれてくるのだろうか、と考えずにはいられない。

 ……今、僕には信念がないのだ。信念がないというより誠意がないのかも知れないが、何が何だかさっぱりわからないというのが正直だろう。――(中略)――実は、心の根元に、人間というものは無意味にこの世に生を受けて来るもので、もし意味があるとすれば、それは――(中略)――とにもかくにも子孫を絶やさぬために生まれて来るに過ぎない。

 ときには苦手だった数学の試験が空襲によって中止となり、全員無条件に合格となったと大喜びしたり、どれだけ切羽詰っても、バルザックやジイド、チェーホフ、カフカ、フローベールといった文学作品を読むのをやめなかったり、死体解剖の実習をしているさいに、「皮膚はスルメのごとく、筋肉は乾燥芋のごとく」とつぶやいてみたり、なかなか滑稽なところも多いのだが、いざ著者が自身のことを語るときに見えてくるのは、まるで定まることのない、常にゆらゆらと揺れ動いていく、きわめて不安定なその心である。

 著者は自分でも「骨の髄まで軍国主義的教育を叩き込まれた」青年であると語っている。ゆえに、どれだけ日本が勝ち目のない戦争を続けているか、ということをこのうえなく洞察してしまっているにもかかわらず、ときどき発作的に「日本は勝つ、勝たなければならない」などと根拠もなく宣言してしまったりする。そして次の瞬間には、その自身の言葉がまるで嘘であるように感じてしまう。そもそも、本来なら兵士として戦場で戦い、そして死んでしかるべきであるにもかかわらず、そこに参加することもなくおめおめと生き延びている、という事実が、著者にますます不安定な、居心地の悪さのようなものを感じさせている。彼にとって日記を書く、書き続けるというのは、「無意識的な芝居をして」いるかのような自分の生を――自分はたしかにこの時間を生きたのだということを再確認するための、唯一の手段だったのではないだろうか。

 かのセリーヌの自伝的小説『夜の果てへの旅』では、リアルな戦争体験によって主人公があらゆるものに虚無と幻滅を感じ、またカート・ヴォネガット・ジュニアの『スローターハウス5』では、著者が体験したドレスデンの無差別爆撃を描くために、それまで自身が生み出した荒唐無稽な物語をつなぎあわせるという方法をとるしかなかった。著者にとっての戦争、敗戦、そしてその後の価値観の大きな転換は、何より彼に人間のどうしようもない愚かさや不信感を抱かせるには充分なものであったことは想像できる。だが、それでもなお自分は生きているし、生きている以上、死なないための努力をしていかなければならない。たとえ、その生がどれだけ馬鹿馬鹿しいものであったとしても。

 本書は昭和20年という「ドラマチックな一年間」を生きた――そしてある意味では死にそこねたひとりの青年の生が描かれた日記である。あなたはこの日記を通して、いったい何を見、何を感じることになるのだろうか。(2004.06.18)

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