【東京創元社】
『墓標なき墓場』
−高城高全集1−

高城高著 

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 今回紹介する本書『墓標なき墓場−高城高全集1−』に載せられた新保博久の解説には、「高城高について語るのは、日本ハードボイルド史を語ることだ」というサブタイトルがつけられている。そこには、日本のハードボイルドは大藪春彦の『野獣死すべし』以前に、すでに高城高が先鞭をつけていたジャンルであり、したがって著者こそが日本におけるハードボイルドの原点であるという姿勢がうかがえるわけだが、そこから垣間見えてくるのは、大藪春彦に代表されるようなタフで非情な主人公が派手に活躍する作品こそが、「ハードボイルド」の王道であるという認識が今も根強く残っている、という事実である。

 ところで、ハードボイルドとはどういうジャンルの作品のことを指すのか、ということを考えたときに、たとえば暴力をふるったり、あるいは命そのもののやりとりをするような危険な場面において、けっして自身の個人的感情に流されることなく、あくまで目的のため、自身のこだわりのために行動できるような登場人物の姿を思い浮かべる。どんなハードな場面においても感情の揺らぎを見せない、精神的強さをもつ主人公というのはたしかにひとつの魅力ではあるのだが、それは「感情を排する」というハードボイルドの持ち味を、ことさら登場人物の性格に付与した結果であって、そういうタフで非情な登場人物が出てくるからその作品がハードボイルドというわけではない。

 本書の解説において、大藪春彦の前に高城高がいた、と書くことは、大藪春彦型ハードボイルド――タフで非情な主人公が活躍する作品がハードボイルドであるという認識へのアンチテーゼを意味する。そしてそれは、そもそもハードボイルドとは何なのか、という原点回帰を目指すものであり、その「原点」というべきものを、高城高の作品はたしかにもっているということでもある。

 物語の中心にあるのは、「天陵丸沈没事件」と呼ばれる海難事故である。当時、新聞社「不二新報」の釧路支局長だった江上武也は、殿村水産所属の運搬船である天陵丸の沈没が、たんなる事故ではなく、他の船に追突されて沈んだという情報を入手し、独自の調査をつづけていた。結果として、不二新報はきわめて事件性の高いものとして「天陵丸沈没事件」をあつかい、沈んだ船もサルベージされ、本格的な調査がなされるという流れになったものの、江上本人は身に覚えのない脅迫を取材先に対して行なったという訴えを受け、網走支局に転属となっていた。通信員がひとりしかいない網走支局への転属は、事実上の左遷と同じであった。

 昭和三十年前半の北海道を舞台にした本書の冒頭で、江上は網走支局長という立場にあり、「天陵丸沈没事件」はすでに三年前の出来事となっている。天陵丸はサルベージの途中で海底をひきずられてボロボロになり、当時天陵丸に追突したとされるサンマ船「住吉丸」の乗組員は、供述をひるがえして無罪を言い渡されたものの、裁判は三年経った今もまだ決着していない状態にある。だが、こうした情報は物語の冒頭ですべて明らかにされているわけではない。それまで、ずっと触れないようにしていた「天陵丸沈没事件」――だが、その事件に関係のあるふたりの人物の死が、江上をふたたび三年前の事件へと向かわせることになる。読者は彼の回想をつうじて、少しずつ過去に何があったのかを知ることになるのだが、その過程において私たちが思い知るのは、江上の心情を極端なまでに排したうえで、あくまで「天陵丸沈没事件」の真相を追っていくという、きわめてドライなその文体だ。

 本書の主役というべき江上武也は新聞記者であり、言ってみれば新聞社という組織に属する者でもある。それは、あくまで自身のこだわりを押し通そうとする――そしてそれゆえに、「私立探偵」という職業にあることが多いハードボイルドのタフな主役というには、いささかインパクトに欠ける向きがあることは事実だが、それは著者の考えるハードボイルドが、感情を排した「主役」ではなく、感情を排した「文体」にこそあるというひとつの信念ゆえのものだと言うことができる。じっさい、本書を読んでいくとわかってくることであるが、江上が今回の事件についてどのように考えているのか、そもそも網走支局に左遷されたことをどのように思っているのか、その心情が文章の形で表現されることはない。だが、天陵丸をめぐる一連の事件のあらましを理解することができれば、じつは江上の心情などは容易に想像できることに気づく。三年前の彼の取材態度は精力的で、まぎれもなく物事の真実を見極めたいからこそのものであるし、その努力に水を差すような横槍が入ったあげく網走に飛ばされれば、当然悔しいに決まっている。

 それは、著者にしてみれば言うまでもないことなのだ。なぜなら、江上の行動がすべてを物語っているのだから。「天陵丸沈没事件」には、たしかにただの海難事故として片づけるには、いくつか腑に落ちない部分があった。そしてその腑に落ちない部分は、解決されないままに彼の心にくすぶりつづけることになった。そして、かつてその事件に関係していたふたりの男の死が、ふたたび江上を動かすことになる。はたして、「天陵丸沈没事件」の裏に、どのような秘密が隠されているというのか?

 本書は北海道の釧路や根室など、とくに霧の深い土地を舞台としているせいか、常に霧で景色が煙っているという描写が多いのだが、そうした、なかなか晴れることのない霧が、そのまま真相のなかなか見えてこない今回の事件を象徴するものとして利用されている。感情を排した文体というのが本書の特長だと前述したが、それは叙情がまったく書かれていないということではなく、むしろ周囲の情景やちょっとした態度といった要素でもって、心情を代弁させようというひとつの試みだと言うことができる。

 霧が風で切れた時、トド島が見えた。しかしその向こうにあるはずのモユルリ島とユルリ島は見えなかった。江上は本郷にいこいの袋を渡し、自分でも一本くわえて火をつけた。
「ひどくわびしくなる風景だなア」

 霧はときどき晴れることがあるものの、一瞬見えた景色は、しかし次の瞬間にはふたたび霧のなかにまぎれこんでしまう。その一瞬に垣間見える事件の真相を追う江上のなかにも、あるいは真実とはそういうものなのかもしれない、という思いがあるように見えるが、それはけっきょくのところ、彼の行動から察するべきものであろう。まるで、別の国の話のようにさえ思える独自の世界のなかで、感情を排する文章とは、そしてハードボイルドの原点とはどういうものなのか、ぜひともたしかめてもらいたい。(2009.08.01)

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