【河出書房新社】
『二匹』

鹿島田真希著 
第35回文藝賞受賞作 



 まずは、おそらく本書のすべてを凝縮しているであろう、本文の一部を引用する。

 一度狂犬病に蝕まれたヒトは、その印のために心が死ぬ。彼らは印の奴隷とな り、怒らずに従う準備が出来ている。しかしヒトの印はヒトの心の死と共に消滅す る。
 心の死んだヒトの肉体に狂犬が宿る。印は狂犬専用のものに生まれ変わる。

 ここに書かれている「狂犬病」とは、もちろん一般的な意味での狂犬病を指すものではない。それは、ヒトがヒトとしてヒトが暮らす社会に適応できなくなる、という「病気」なのだ。「狂犬」となった者に、人間としてのプライドはもう必要ない。「狂犬」として生きるには、むしろ邪魔なだけだ。それは逆に言えば、人間のプライドが残っていては生きていけない、ということでもある。

 本書『二匹』のなかに出てくる妻城明が通う高校には、藤田純一というクラスメイトがいる。教室の真ん中の席に位置する純一は、普通の高校生なら当然できるはずのいろいろな事――たとえば簡単な計算や読み書き、箸を使って食事をする、といったこと――ができない。そしていつもクラスのみんなにからかわれている。そんな純一と明は幼なじみであったが、ふたりの間にある決定的な違いが、「狂犬病」であるかないと、ということだった。

 純一は「狂犬」として、常にひとりで完結した存在だった。周りにどれだけ多くのヒトがいようと、彼らと「狂犬」はけっしてつながらない。もちろん、それは幼なじみの明とて同じことだ。純一と明はよく馬鹿なことばかりやって笑っているが、ふたりの心がつながることはない。そう、明が純一に噛みつかれるまでは。

 純一に噛みつかれた明は、日が経つにつれて日常の何気ない言動が困難になっていくことに気づく。純一の「狂犬病」に感染した明は、それまで常に主導権を握っていた立場から、逆に純一に主導権を握られる立場へと転落していく。だが、ここで不思議なのは、明がその状況に何の違和感も感じておらず、純一もまた同じように感じている、ということである。そして物語が進むにつれて、二人の立場は頻繁に入れ替わったり、複雑にからみあったりしていく。
 そんな奇妙な状況を、常に一歩ひいた冷静な視点で語りつづける三人称の文体。それは、純一と明の言動が突拍子もないものであるにもかかわらず、いや、むしろ突拍子もないものであるがゆえに、妙な存在感を持って読者に迫ってくる。その視点は、何でもお見通しである神をあえて演技しているようにも思えてくる。そう、生きとし生けるものすべてに印をつけることができる神を。

 人と人、あるいは人と何かとの出会い、そしてそこから芽生える何らかの感情。小説が人間を表現するものである以上、上述の要素は必ず小説のなかに入ってくるはずだと私は思っていた。だが、本書の明と純一の関係は、いったいどう説明すればいいのだろう。「心の死んだヒトの肉体」に宿った「狂犬」どうしの関係――支離滅裂で、その場の思いつきや感情だけでただ言葉を放り投げているだけのその関係は、しかしながら恐ろしいことに、今の私達が住む世界にも、実は浸透しつつあるのではないか、という疑問にふとたどり着く。

 今の若い人たちにとって、もはや自分探しなどまるっきり無意味なのかもしれない。であれば、むしろヒトであるよりも「狂犬」でいるほうが幸せなのかもしれない。私達の周りに、どれくらいの「狂犬」がいるのだろうか。(1999.03.24)

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