【講談社】
『柳生忍法帖』

山田風太郎著 



 2003年3月にアメリカがイラクに対して仕掛けた武力行使を例にあげるまでもなく、私たちは力=正義という等号がけっして成立しえないことを知っている。なぜなら、重要なのは力を手に入れることそれ自体ではなく、手に入れた力をいかに使いこなし、何のためにその力を振るうか、ということであるからだ。極端なことを言えば、力が欲しいのであれば銃を手に入れればいい。銃は、ほんのわずかな力で、ごく普通の人間にも簡単に人を殺す力を与える武器である。だが、銃を手に入れれば、かならず一度は撃ってみたくなるのが人間の心理だ。そうした衝動を抑えつづけるには、それなりに精神的な鍛錬が必要であるし、ましてやその銃を自分の手足のごとく使いこなし、正確な射撃ができるようになるには、日頃の訓練も欠かせないだろう。力=正義という等号を成り立たせるのは、力を手に入れることよりも何倍も困難なことなのだ。

 手に入れた力を何のために使うのか――本書『柳生忍法帖』は、その後の『魔界転生』、そして小説としては最期の作品となった『柳生十兵衛死す』へとつづく、著者の「十兵衛三部作」とも言うべきシリーズの第一弾にあたる作品であるが、主人公である隻眼の剣豪、柳生十兵衛と、彼の敵となって立ちはだかってくる者たちとの関係を、「力の使い方」という点でとらえたとき、そこに浮かび上がってくる明確な相違に、著者の柳生十兵衛への思い入れの強さというものがあらためて見えてくる。

 物語は「会津七本槍」と呼ばれる、会津四十万石の藩主加藤明成に仕える一騎当千の武芸の達人たちが、男子禁制の尼寺の門をぶち破り、そこにかくまわれていた堀主水一族の女たちを虐殺するところからはじまる。国の美女美男子をあさり、荒淫と残虐のかぎりを尽くす悦楽の世界に魅入られた魔王加藤明成に対し、ただひとり屈することなく、最後には袂を分かつことになった堀主水一族への、壮絶な報復の結果であったのだが、こうした物語の背景はほとんど重要ではなく、ここでは会津藩主とその親衛隊とも言うべき「会津七本槍」の面々が、これ以上はないというほどの悪人ぶりを発揮している点にこそ注目すべきである。「会津七本槍」のおそるべき武術は、弱き者たちを踏み潰し、恐怖と絶望に陥れるために振るわれ、加藤明成はその巨大な権力を、おのれの淫虐な欲望を満たすためにのみ行使する。まさに一片の非のうちどころのない、完璧な悪人ぶりであり、そこには良心の呵責の入りこむ隙などまったくないと言っていいほどだ。

 家光の姉である千姫のはからいにより、からくもその虐殺を逃れた七人の女たちは、自分たちの父や夫、同僚たちを死に至らしめた「会津七本槍」への復讐を決意する。だが、ただでさえその道の達人であるうえに、その上には彼らの頭領である芦名銅伯、さらには公儀のとがめすらものともしない会津四十万石が控えている。武家の娘とはいえ、か弱い女でしかない彼女たちの恨みがどれほど深かろうと、敵討ちなどどう考えても不可能だ。

 その不可能を可能へと変える男として、柳生十兵衛が登場することになる。

 父但馬守の嫡男であり、父を超える剣術の天才児であると評判の柳生十兵衛は、剣客としては超一流の腕を持つ。彼であれば、たとえ「会津七本槍」が相手でもけっしてひけをとるものではない。だが、彼の役割は堀の七人の女の代わりに「会津七本槍」を討ち果たすことではなく、女たちが敵討ちをするための手助けをする、というところがポイントだろう。つまり、柳生十兵衛は自分の持つ剣の力を、女たちの敵討ちのために行使するのである。

 ここに、加藤明成と柳生十兵衛、「会津七本槍」と堀の七人の女(さらに言えば芦名銅伯と沢庵)、という対立の構図ができあがる。これだけを見るぶんには、敵味方のグループに分かれてお互いが対決しあうという、著者の忍法帖シリーズにおけるお得意のパターンであるが、個人個人では何の力もない堀の女たちが、柳生十兵衛という軍師を後ろ盾にすることで思いもかけない強さを発揮し、ときには十兵衛自身、女たちのはたらきによって窮地を脱することさえあるのに対して、「会津七本槍」のほうは、個々の剣技は超絶ながら、その上に立つ加藤明成が無能であるばかりに、無用な危機に陥ったり、屈辱的な思いを味わわされたりする。敵側が圧倒的に有利なように見えて、じつはこうした意想外な要素によって、勝負の趨勢がころころと変化していき、けっして読者に先の展開を予想させない――読み手としては、これほど痛快な展開はおそらくあるまいし、それこそ本書のもっとも大きな特長だとも言える。

 裸の美女美男子たちを何百人ももちいてひとつの部屋をつくってしまったり、切っても突いてもけっして死ぬことのないトンデモ忍法が登場したりといった、妄想力大爆発でありながらもけっしてそのリアリティーを失わない設定も健在であり、またか弱き女たちの敵討ち、という健気な心の一片に、ふと十兵衛への淡い恋慕の情が生まれたりといった展開も、スリルと緊張感溢れる剣客どおしの対決シーンも満載である。そして何より、どんなピンチのときもけっしてユーモアを忘れない奔放さと強さを備えた柳生十兵衛というキャラクターの魅力がある。どんな権力にも縛られず、何者にも屈せず、自らの信じる人の道のためなら徳川家を滅ぼすことさえためらわない剛毅さと、その裏にある子どものような無頼性をあわせもつ彼のキャラクターに、読者はきっと心惹かれてしまうに違いない。

 はたして芦名一族と会津四十万石という巨大な敵に対して、しかも力なき女ばかり七人もかかえて、十兵衛はいったいどんな手をもちいて立ち向かっていくつもりなのか。まさに胸のすくような彼の活躍を、ぜひ一度楽しんでもらいたいものである。(2003.05.01)

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