【東京創元社】
『アルバトロスは羽ばたかない』

七河迦南著 

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 私たち人間のものの考え方は、複雑なようでいてじつは単純なパターンを後追いしていたり、あるいは紋切り型のものを採用していたりすることが意外と多い。これはある意味であたり前のことであって、私たちをとりまく複雑な環境を前に、そのいちいちに熟考を重ねていてはあっという間に神経が疲弊し、まともな生活を営むこともままならなくなる。思い込みとは、類型的な思考パターンの一種であり、明記されていない曖昧な部分をとりあえず埋めていくことで、物事をスムーズに進ませるという意味では必要な作用ではある。

 だが、ときに人間の強い思い込みは、目の前にあるはずの事実を大きく歪めてしまうことがある。探し物はここにはないと思い込んでいると、たとえその探し物がすぐそばにあったとしても気がつかないものだし、家のなかに隠れているだけの子どもを見つけ出せない親の脳裏は、子どもの身に何か良くないことが起きたのではないか、という思い込みに支配されていることが多かったりする。たしかに自分の目でとらえ、耳で聞いたはずの事柄は、年月の経過とともにその詳細が曖昧になり、私たちはその曖昧な部分をしばしば思い込みによって補おうとするが、その結果、真実とは異なった過去を知らないうちに捏造していたりすることさえある。

 今回紹介する本書『アルバトロスは羽ばたかない』は、そんな人間の「思い込み」がテーマの根幹にあるのだが、このテーマをより深く理解するためには、本書が同著者の『七つの海を照らす星』の続編だという知識が最低限でも必要となってくる。語り手である保育士、北沢春菜が勤める児童養護施設「七海学園」を舞台に、心に大きな傷を負った子どもたちが引き起こすさまざまな問題行動を「日常の謎」と定義づけ、探偵役を担う児童福祉師「海王さん」の助けを借りつつその真相を突き止めるというこのシリーズは、そもそも子どもたちに真相を突きつけることが必ずしも正しい行為だとはかぎらない、という立場を一貫してとっている。

 親の愛情を充分に受けられずに育ってしまった七海学園の子どもたちは、他ならぬ自分自身への価値観に対して強い思い込みをいだいている。そしてその思い込みは大抵、自分の価値を不当に低く貶める方向に傾いている。自分は両親から愛されていない、自分には生きる意味がない、自分はここにいてはいけない――春菜にしろ海王さんにしろ、彼らが子どもたちに望んでいるのは、その健やかな成長に他ならず、物事の真相、たとえば子どもたちが抱えこむことになった強い「思い込み」の発端となった過去が、本当はどのようなものであったのか、といった事柄は、あくまで副次的な成果物にすぎない。そしてその姿勢は、本書においても踏襲されている。

「でもわたしたちが出遭う子どもたちの中には本当に、親に殺されかけた子もいます。解釈しようのない事実から逃れることのできない子たちがいるのです。――(中略)――まぎれもなく親のエゴや怒りから行われたとしかいいようのない行為までも、皆親が自分を愛するが故にしたことだったのだ、自分は傷ついてなどいない、と思い込めばどこかに無理が生じ、ひいてはパーソナリティーの歪みを生むことになります」

 学園の七不思議を題材に、七つの連作短編集という形式をとっていた前作では、その謎の真相を明らかにすれば事態は収束すると考えていた春菜であり、それゆえに探偵役となる海王さんの引き立て役に甘んじていた部分があるが、本書で彼女が奔走することになる四つの事件では、七海学園をはじめとする、心に傷を負って苦しんでいる子どもたちのために自分ができることは何なのか、という点がより強調されている。その行動はときに、保育士としての領分を超えたものとなっており、そのせいで身の危険にさらされるような事態を招いたりもするが、その真摯な態度は、まるで前作における海王さんを手本としているかのようである。

 そして、そんな春菜がことのほか気にかけていた少女として本書に登場するのが、高校二年になる鷺宮瞭だ。もともと成績優秀で品行方正、偏差値の高い私立高校に通っていたはずの彼女が七海学園の預かりになったのは、母親への暴力沙汰が警察の取り調べで明らかになったから、という経緯があるが、学園内でもけっして周りに心を許そうとしない態度は、ともすれば反抗的な言動を繰り返す子よりも難物であり、彼女の担当も対応に苦慮していた。瞭は春菜が担当する寮の子どもではないものの、先の四つの事件において、しばしば瞭が真相解明のヒントを教えてくれたり、春菜の苦境を乗り越えるのにこっそり一役買っていたりしていたことがあり、物語のなかで多くの接点をもつような関係となっている。

 じつのところ、春、夏、初秋、そして晩秋と銘打たれた、春菜のかかわった四つの事件を扱った短編は、他ならぬ瞭の心境の変化をとらえるという隠された目的を担っていた。そしてそれは、本書のもっともメインとなる冬の事件――七海学園の子どもたちが通う高校の文化祭で起こった、校舎屋上からの転落事件と深く関係することでもあった。

 崩壊の予兆は、冬に先立つ三つの季節のうちに見えていたのかもしれない。わたしたちはそれを見逃してしまったのだろうか。――(中略)――いずれにしても、真実に近づくためには瞭についてもっと知らなければならなかった。

 そう、本書をすでにお読みの方々であればすぐに気がつくことであるが、本書はこの転落事件――警察はあくまで「不慮の事故」として扱っているが――の謎解きというひとつの大きな物語が中心となった作品であり、先に紹介した四つの連作短編は、この大きな物語に付随するものにすぎない。であるなら、この書評もまずはメインである転落事件のことを中心に評するべきなのだが、下手にその事件に触れてしまうことで、未読の読者に無用の先入観を持たれてしまうことを考えたとき、こうした回りくどい書評の書き方をするしかなかった、とだけ言っておく。

 ところで、私が前作を読んだのは2009年のはじめ頃だが、そのときの正直な感想としてあったのは、いわゆる「日常の謎」を軸とした連作ミステリーとしての押しの弱さだった。子どもたちの過去のつらい出来事が謎の根幹になっているがゆえに、それにかかわる春菜や海王さんといった登場人物の個性が良くも悪くも抑え気味になっていて、私のなかでは、よくある連作ミステリーのひとつという印象におさまってしまっていた。だが六年越しに続編としての本書を手にとり、そこに仕掛けられたトリックを目の前にしたときに思ったのは、本書のテーマはたしかに「思い込み」ではあるが、そこには前作に対する読者たる私の「思い込み」すら、うまく利用されてしまったという、ある種の清々しさである。

 本書のタイトルにあるアルバトロスとは、海鳥のアホウドリのことを指している。アホウドリは一度飛び立つと、グライダーのように滑空する鳥であり、基本的に空中でその羽をはばたかせることはない。だがそれゆえに、飛び立つためには並々ならぬ助走が必要とされている。本書のトリックの秀逸さは、まさに前作という「助走」があったからこそより効果的なものとし完成したのであり、そういう意味ではぜひ前作と合わせて読んでもらいたいミステリーである。(2015.05.19)

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