【河出書房新社】
『新世界』

長野まゆみ著 



 たとえば、私たちには男と女という性別があり、その一生を通じて同一の性を背負ったまま生きつづける。そしてこのような性のあり方は、ごく一部の例外を除いて、地球上のほぼすべての生物についてあてはまる事だ。

 男と女という性の違いについて、生物学的な視点で見るならば、自分たちの種の多様性を促すための戦略だと言うことができるだろう。それは、「雄と雌」という区分の仕方となんら変わるところがなく、そのあいだの優劣など、本当は存在しないはずである。しかし、これを私たち人間の世界にあてはめた場合、私たちの暮らすこの社会が、長年のあいだ男を中心にした社会として機能しており、その傾向が今もなお色濃く残っているのは、間違いのない事実だ。フェニミズム論やジェンダーの問題としても取り上げられているとおり、男性中心の社会のなかで、女性たちが服従される側として、その性交渉における立場ばかりでなく、さまざまな点で冷遇されてきた歴史がそこにはある。「男は男らしく、女は女らしく」――そう、こうした認識が私たちの中で半ばあたり前のものと化してしまい、自分たちの立場について疑問に思うことすらないほど、この問題は深く根ざしたものだとも言える。

 本書『新世界』を読み終えたときに私が深く感じたのは、こうしたジェンダーの問題だった。著者の長野まゆみがそのことをどこまで自覚していたかはわからないが、本書の中で展開される独特の世界観を考えたとき、そこに、私たちがそれまで抱いてきた男女間のイメージを打ち崩そうとする力の流れを、確かに感じるのだ。

 本書の舞台となるのは夏星(シアシン)と呼ばれる小さな惑星で、現在はマザーワート植民政府という母性系種族によって支配されていた。夏星では昔から、ラシートという種族が支配階級として君臨していたが、それは彼らのみが生成できるゼルと呼ばれる物体のおかげであり、下位階級のライスーンやアスオンは、そのゼルがなければ、超肥満体であるP.U.Sに罹り、人格のない肉塊である《女》となってしまうからだった。
 だが、そのラシートのゼルに利用価値を見出した母性系種族の侵略により、ラシートはことごとく捕らえられ、ただゼルを生み出す劣等種として一元管理される存在と成り果ててしまった。一方、ライスーンは母性系種族と結託することによって、この星における支配階級の座を手に入れ、同列種であったアスオンをその支配下に置いた。そして母性系種族はゼルを利用して夏星の全種族を商品の対象とし、その体を切り売りすることで、莫大な利益と長寿を手にしていた。

 ある日、母性系種族の支配からラシートたちを解放し、夏星の奪回をもくろんだひとりラシートの女がいた。そして、ある母性系種族の支配階級が、おのれの私欲のために、一元管理化に置いていたはずのラシートの一人を密かに外へ連れ出した。ラシートの女が生成したひとつのゼル、そして自分がラシートだという自覚のないひとりの少年――物語は、このふたつが鍵となって展開していくことになる。

 イオという名の不思議な少年、その兄でアスオンのシュイ、そんな彼らを支配する立場であるライスーンのハル、そして医者であり、マザーワートの構成員でもあるソレンセン――本書のなかでもっとも目を引くのは、物語の展開そのものでも、さまざまな伏線の存在とその謎解きでもなく、あるいは美形の彼らがからむシーンにあるのかもしれない。「哈密」「蒸留塔」「紅瓊」「燐光」「余暇」「恩寵の注入」など、まるで隠語のように出てくる単語について、私たちはどうしたって自分たちの知っている知識にもとづいて想像をめぐらせようとするし、本書のなかでもあえて、その想像力をたくましくするような描写が成されているように思える。それは、ともすると同性愛という、一部の人たちには多大な興味ともに、大多数の人たちには異端的行為として語られがちなものとして結びつけてしまいそうになるのだが、本書の世界においては、そもそも性別そのものが曖昧なものとして位置づけられていることに、むしろ注目すべきだろう。

 私たちとはまったく異なる性別シフトを持ち、私たちと似たような外見をもちながら、男でも女でもない時期を過ごす彼らの存在は、明らかに私たちの想像をくつがえす存在だ。そしてさらに言うなら、上位の種族が下位の種族の自由を奪い、彼らの思いどおりにすることができること、私たちの性交渉にあたる「余暇」によって、彼らが自分たちの身分の上下を確認しあうという構図は、ある意味、これまで男性が女性を支配するという形の社会を築いていった私たちの価値観に対する、一種のアンチテーゼにつながるものがある、と考えられないだろうか。

 男であること、女であること――私たちにとっては圧倒的な差異である性別を、本書では一度完全に無の状態にし、すべてを曖昧なまま再構築することに成功した。そこでは、さまざまなものの境界が明確ではなくなった、ある意味幻想的な世界が広がっている。性別の境界はもちろんのこと、マザーワートの医療局によって、都合の良いように記憶を消去されたり改竄されたりすることで引き起こされる記憶や人格の境界、現実と夢の境界、「余暇」をおこなうときに快楽とともに訪れる、自分と相手の境界、そして、すべての曖昧さの象徴とも言える、少年イオとミンクの自我――もし、本書の世界に惹かれるものがあるとするなら、それは男女という性別さえも曖昧なものにしてしまった、すべての境界を越えたところで展開される世界そのものに対してであろう。

 私たちの世界では、性別そのものは変化することはない。だが、少なくとも、男らしさ、女らしさという認識に対する変化は起こりつつある。なよなよして妙に女っぽい男たち、次々と社会進出していく女たち、ニューハーフやシーメールといった、あらたな性の存在、そして性同一障害の問題――あるいは、私たちは生物学的な雄・雌という区分に、あまりにこだわりすぎてしまい、そこに宿る人間としての精神をないがしろにしすぎていたのかもしれない。
 いつか、私たちも権力のために性別を変え、みずからの体を切り売りしたり改造を加えたりして、エヴァの言うところの人形と化してしまう日が来るのかもしれない。(2000.10.01)

ホームへ