【集英社】
『ニューヨーク』

ベヴァリー・スワーリング著/村上博基訳 



 朝のニュースや新聞などを見ていると、必ずといっていいほどその日の「NYダウ」の平均株価の情報が流れ、ときにはニューヨーク証券取引所で活発なやりとりをしている映像を目にすることもある。また、どのテレビ放送局もたいていはニューヨークに支社を持っていて、しばしばニューヨークの新聞やニュースを記事としてとりあげたりもしている。私はアメリカはもちろん、海外旅行自体したことのない身ではあるが、おそらくニューヨークほど頻繁にその情報が注目される都市は、他にないと言っていいだろう。

 これほどまでにメディアが大々的に取りあげ、日本にとっても身近な存在と化しているニューヨークではあるが、ではニューヨークとはどんな都市なのか、と聞かれると、どうにも漠然としたイメージしか浮かんでこないというのが、正直なところである。世界経済の中心、犯罪の巣窟、人種の坩堝、アメリカン・ドリーム――さまざまな断片的要素ならいくつでも思い浮かぶが、それどれもけっしてニューヨークという場そのものを定義づけるには弱いような気がしてならないのだ。そして、そのあいまいさこそが、まさしくニューヨークなのだろうとも思う。常に新しいものを創造し、けっして既成の何かに固定されることのない街、宗教や人種に関係なく金儲けのチャンスがあり、良くも悪くも金という価値基準がものをいう街、そして、境ケイキの『ニューヨーク底辺物語』のように、一介の日本人がホームレスとして生きていくことさえ可能な、どんな異質なものであっても貪欲に受け入れ、吸収してしまう自由の街――それがニューヨークなのだと。

 本書『ニューヨーク』という作品について語るべきことは数多くあるが、ごく簡潔に述べるなら、まさにニューヨークという街がかかえる特徴をそっくりそのまま、まるごとひとつの物語として収めることに成功した、壮大な都市物語だということである。具体的には、1664年9月にオランダからイギリスの植民地になり、ニューアムステルダムから「ニューヨーク」へと名前が代わってから、アメリカ独立戦争を経て、1783年に晴れてアメリカ合衆国としてイギリスの支配から独立をはたすまでの、100年以上にもおよぶニューヨークの歴史が描かれている。そして本書は同時に、そんな未開の土地へと移住してきた、とある治療者一族がつむぎ出す歴史の物語でもある。

 物語は一組の兄妹が、オランダからの長い航海を経て、開港まもないニューアムステルダム港にやってくるところからはじまる。兄の名はルーカス、床屋であると同時に腕の良い外科医でもあり、妹のサリーは知識豊富な調薬師である。彼らはその腕の良さゆえにオランダの職人組合の嫉妬を招き、国を追放されることになったのだが、到着早々におこなった総督の胆石除去手術を成功させ、町の片隅に仕事場とささやかな土地を与えられることになった。何もかもが新しく野心あふれる開拓地で、ふたりはお互いに協力し合いながら、治療者としてのひとかどの地位を確保していくのだが……。

 当時の外科医が床屋の技能のひとつとして扱われていたことからもわかるように、外科医という職業は基本的に内科医の下と見なされ、けっして高い地位にあるわけではなかった。にもかかわらず、ルーカスが外科医としての道を選んだのは、瀉血や下剤、あるいは吸い玉による発疱療法といった旧態依然とした治療法しか施せない内科医よりも、人体のしくみや病気のメカニズムといった知識欲に旺盛で、より的確な治療が可能な外科医のほうが、より多くの人を病や怪我から救ってやることができると信じていたからに他ならない。そういう意味では、外科医という当時は斬新な――場合によっては邪悪とさえされた職業は、いかにもアメリカという新しい土地を舞台とする物語にふさわしい。

 じっさいルーカスは、後に町に乗り込んできた内科医ジェイコブとさまざまな意味で対立することになるし、現代の医術について多少なりとも知っている私たちは、外科医のルーカスに多分に感情移入して読みすすめていくことになるのだが、本書はただたんに、当時は未熟な部分も多かった外科に携わる者たちの飽くなき奮闘を描いただけでなく、そこに人間としての愛憎の感情、名誉欲、金銭欲といったさまざまな欲望が複雑に絡み合い、それが誤解や勘違いを生み、登場人物たちの人生をどうしようもなく翻弄していく様子を巧みに描き出しており、それこそが本書の大きな特長のひとつとして、読者を惹きつけてやまないのである。

 たとえば、同じ町の肉屋の妻であるマリットに恋してしまったルーカスは、その愛情ゆえに自分の妹を宿敵ともいえる内科医ジェイコブの妻とする書類に著名してしまう。当時の女性の地位が、あくまで男性の所有物であり、男性によって結婚などのさまざまな事柄が決定され、そこに女性の意思の入り込む余地がない、という社会情勢が生み出した悲劇であるが、だからといって、兄に金で売り飛ばされたと思い込んだサリーを責めることは誰にもできない。ここからターナー家とデヴリー家という、親戚どうしでありながらもお互いに憎みあう敵どおしの関係が長くつづいていくことになるのだ。ふたつの家に分かれた治療者一族は、その子孫に次々と外科医、内科医、調薬師を輩出することになるが、輸血や腫瘍の切除といった外科手術への誤解、蛮族の血への嫌悪感、尋常でない復讐心が引き起こす歪んだ感情、力で押さえつけようとするさまざまなものへの反感など、じつにさまざまな要素が化学反応を引き起こすのかように、その憎しみの遺産もまた綿々と受け継がれていくことになる。

 それは、けっしてどちらが悪いということではないのだ。誰もがアメリカ大陸という新天地で生きていくために、また医師としての本分をまっとうしようと必死だったがゆえのことであるのがわかるだけに、その反目や誤解はつらいものがあるのだが、ただひとつだけたしかなのは、ふたつの治療者一族をはじめ、本書に登場する人たちは、すべてひとつの行動原理を有していた、ということである。それは言うまでもなく、当時も、そして今もなおニューヨークの象徴ともいうべき「自由」という行動原理である。

 自分の意思に自由であらんとするために人を裏切り、あるいは殺人さえも犯し、無謀ともいうべき外科手術をおこない、そして叛乱や暴動をおこしていくニューヨークの人たち――アメリカがまだ植民地だったことの奴隷制や女性史、あるいは当時盛んだった海運業や、フランスなどの敵国への海賊行為を国王認可のもとにおこなっていた私掠船の存在など、17世紀から18世紀にかけてのニューヨークのおもだった歴史をたくみに物語のなかに組み入れ、当時の黒人奴隷や女性たち、さらには当時社会的地位の低い外科医たちの、劣悪な状況下のなかにあって、それでもなお懸命に生きていこうとする姿を描きつつ、最後にはアメリカ独立という「自由のための戦い」へとすべての要素を収束させていくそのストーリー構成は、見事のひと言に尽きる。そして、そんな彼らの織り成すさまざまな人間模様は、まさに「ニューヨーク」という自由の都市そのものを象徴していることに、読者は最後には気がつくことになるだろう。

 これだけは覚えておけ。ニューヨークというところは、金持ちになった者が勝ちということだ。昔からそうだった。これからもきっとそうだ。

 今、この書評を読んでいる人に、この引用文はけっして良い印象を与えないだろう。だが、本書を読み終えたあとに、あらためてこの引用文を思い出したとき、その裏に隠された真の意味に気がつくだろうと思う。金がすべての価値基準である、ということは、自由が金で買えるということ――どんな宗教も、どんな権力も、どんな常識もけっして人を束縛する鎖とはなりえない、真に自由たる空気に満ちているニューヨークという都市は、たしかに厳しい社会ではあるが、だからこそ世界中のいろいろな人たちを引き寄せる魅力のひとつにもなっていることを。(2005.03.06)

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