【飛鳥新社】
『作家の値うち』

福田和也著 



 本書『作家の値うち』について、いったいどれだけの説明が必要だろうか? 帯の言葉を借りるなら「ミステリー&エンターテイメントと純文学の現役作家100人の、最新作を含む主要作品574点を「厳正」かつ「徹底的」にテイスティングし、100点満点で採点した、前代未聞、究極のブック・ガイド」であるという本書では、小説という、人間が持つさまざまな審美的基準によっていかようにも読まれ、価値判断がされていくものに対して、点数という、けっして妥協を許さない絶対的価値基準によって優劣を決定しようという、暴挙とも言うべきことが行なわれている。

 言うまでもないことだが、「八方美人な書評ページ」では「すべての本を褒める」という、これまた暴挙と言うべきことを行なっている。そういう意味で、本書は私の価値基準とはまったく正反対ものだと言うことができるだろう。「どう見ても活字にする価値のない作品が高名な賞をとる一方で、きわめて優れた作品が注目されることもなく消えていく」――本書のような点数評価をあえてやらざるを得なかった背景に、文学という芸術を担う文壇の世界に対する、脅迫的なまでの危機感があった、と著者は述べている。私たちがそれまでおぼろげにしか把握することのできなかった、いわゆる「なかよしこよし」状態である文壇の問題、そして文学そのものの衰退の原因についてあらためて掘り起こし、ひとつの問題として提示した、という点で本書は大きな役割を果たしたと言うことはできるだろう。
 だが、正直に言うと、著者がつけた点数が、いったいどういう基準に基づいて採点されたものなのか、本書には明確には示されていないし、私にももうひとつ飲み込めないものがある。奇抜な発想をした作品に高い得点がつけられているのか? あらゆる意味で「人間」が書けているものに対してか? 何をもって「面白い作品」と判断しているのか? 著者の考える「文学」とは、どういうものを指しているのか? おそらく、本書に紹介された本をすべて読んでも、それがわかることはないのではないか、という気さえする。

 そこで、暴挙は覚悟で、本書に紹介された全作品の点数を利用して、ある種の統計をとることにした。作家ごとに、そしてエンターテイメントと純文学というジャンルごとに、その合計や平均点などを算出し、最終的には作家ごとにあるランクづけをするのである。点数評価ですべてを物語っている本に対しては、こちらもまた数値によって得られた事実をもって物語るのが筋であろう。

 最終的なランクづけの基準は、以下のとおりである。

【AA】60点以下の作品がなく、かつ一度でも90点以上の作品を出している作家
【 A 】60点以下の作品がなく、かつ一度でも80点以上の作品を出している作家
【BB】60点以下の作品がない作家
【 B 】一度でも80点以上の作品を出している作家
【 C 】すべての作品が、30点以上、80点未満に収まっている作家
【 D 】一度でも29点以下の作品を出してはいるが、60点以上の作品もある作家
【 E 】60点以上の作品を出したことがない作家

 60点という基準は、本書の続編とも言える『「作家の値うち」の使い方』において、著者が「私としては60点つけた作品はお薦めできる自信がある」という言葉による。また、「作家の値うち」というタイトルを考慮して、作品そのものの価値の高さよりも、作家が長いスパンにおいて良い作品を生み出しつづけている、という点をより高く評価することにした。その結果、エンターテイメント部門、純文学部門における各ランクの集計は、以下のようになった。

●エンターテイメント部門
AA BB
14 16 13

総合計=17,075点  平均=56.03点

●純文学部門
AA BB
15 12

総合計=16,626点  平均=61.71点
(平均は少数第3位以下四捨五入)

 私は点数評価をする書評は基本的に嫌いであるが、すべてを数字に置きかえることで、逆にいろいろなことがわかってくるのも事実であるし、その点は評価すべきだろうと思う(補足資料「『作家の値うち』作家別統計資料」を参照のこと)。

 まずパッと見て顕著なのは、純文学部門とエンターテイメント部門におけるAAおよびAランクの極端な差である。エンターテイメントにおける2点(山口雅也のAAランク、綾辻行人のAランク)に比べ、純文学部門では村上春樹や古井由吉を筆頭に、ふたつ合わせると11点という高得点をマークしており、この点だけを言うなら、著者が言うほど純文学は衰退していないのではないか、と思われる。

 だが、同時に最低のEランクに目を向けたときに、じつは両方の差はAAおよびAランクの差ほど顕著ではない、ということも考慮しなければならないだろう。両者の間に優劣をつけるつもりはないが、これが著者の言うところの「どう見ても活字にする価値のない作品」を生み出す作家を育てている文壇の現実を如実に表わしていると考えるならば、事態はエンターテイメント・純文学の区別に関係なく広がっている現象――新人賞や文学賞の増設による弊害、大手作家の囲い込みによる質の低下――であり、こうした事態を改善するべく、著者が本書を書かなければならなかった理由もはっきりとしてくる。特に、Dランクの作家のなかには、最初は60点70点の作品を出しているにもかかわらず、時が経つにつれて極端に点数が低くなる、という現象も確認されており、作家と批評家との、お互いを高めていくというかつての関係が崩れつつあることを示唆しているとも言えるだろう。

 そして、両者の平均点で言えば純文学のほうが水準は高いものの、総合計ではエンターテイメントのほうが勝っている、というこの結果を考慮すると、やはり現在、勢いがあるのはエンターテイメント作家、ということになるのだろう(ちなみに、紹介された本のアイテム数で言うと、純文学の268点に対して、エンターテイメントは304点で、作品数から見ても、後者のほうが充実している)。極端にハイレベルな作品を出す作家もいない代わりに、一部の作家を除いてはひどく悪い作品を書いてしまうこともない。これは、エンターテイメント部門のBB、B、およびCランクの比率が純文学に比べると肥大していることから見てもわかることと思う。

 だが、やはりこのような点数評価などよりも、本書について評価すべきなのは、私たちがほとんど作家として注目していなかったり、その存在すら知らなかったような作家を多く取り上げているという一点に尽きるのではないだろうか。本書の中でも述べている石原慎太郎をはじめ、横森理香といった人も取り上げられているし、また田中芳樹については、彼の書いた中国歴史小説をきわめて正当に評価しており、今現在、小説家としてどんな人が注目されているのか、そしてどんなタイプの小説を書いているのか、ということを知るうえで、貴重な一冊となることは間違いない。

 点数評価というのは一種の毒だ。自分の中に読書についてのしっかりとした価値判断があれば別だが、そうでなければこの点数評価に安易に流されてしまう可能性がある。今のところ、こうした統計でわかってきたのは、著者が素晴らしいと考えている作家として、村上春樹と古井由吉、山口雅也の三人がいる、ということくらいである。この三人は、三人とも六つ以上の作品が取り上げられているにもかかわらず、そのどれもがハイレベルな点数を維持しているのである(山口雅也の平均点=74.13点、古井由吉の平均点=77.29点、村上春樹にいたっては平均点82.2点という高点数を叩き出している)。もし、この著者の価値判断が知りたいと言うのであれば、上に取り上げた三人の作品を徹底的に読みこめば、おそらく何かが見えてくることだろう。だが、読書はあくまで自分のためにするものであり、他人のためにするのではない。実際、本書は読者に向けて、というよりも作家に向けて書かれたようなところがあるし、著者もある程度はそれを意図していたような節もある。本書が今の文壇に対して大きな衝撃をあたえ、それが読者にとってより良い作品を生み出すきっかけになればいいと、一読者としては願わずにはいられない。(2001.02.12)

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