【出版文芸社】
『ネメシスの哄笑』

小森健太朗著 



 小説の中に書かれていることは虚構である――それは、小説が小説として成り立っている以上、けっしてくつがえすことのできない事実である。たとえ、それがノンフィクション小説であると銘打っていたとしても、作中に書かれた出来事が、あくまで作者という一個人の主観にもとづいて記されていることを考えると、それはもはやノンフィクションではなく、作者の主観によって捉えられた作者の世界における、ひとつのフィクションとなるのではないだろうか。まったく同じ事件を題材にしていながら、書かれていることが正反対であったりすることは、客観的報道が第一にあるはずの各社大手新聞のあいだでさえ日常的に起こっていることなのである。

 本書『ネメシスの哄笑』では、本書と同一タイトルの小説「ネメシスの哄笑」が作中に登場する。それは、出版芸術社の編集者である溝畑康史が、コミックマーケットという同人誌即売会で購入した、ミステリに関する創作同人誌のなかに埋もれていたものだ。ミステリ評論家であり、無類の書籍蒐集家でもある鉢塚綴からその同人誌小説の存在を知らされた溝畑は、一読してそれが相当の傑作であることを認めなければならなかった。だが、彼が所有している同人誌には、「ネメシスの哄笑」の後編しか掲載されていない。商業出版物としての刊行も視野に入れながら、溝畑はその前編の行方と、その作者である黄泉路爆運という人物について調べはじめるが、それと時を同じくして、鉢塚綴が自分の蒐集した蔵書の山に押し潰されて死亡した、という知らせが……。
 鉢塚の死は、はたしてたんなる事故なのか、あるいは何者かの手によるものなのか。「ネメシスの哄笑」前編に隠された謎とは? そして、その小説の作者である<黄泉路爆運>とは何者なのか? 身近な人物の不可解な死からはじまって、次々と沸き起こる新たな謎を前に、否応なく事件に巻き込まれていく主人公、そして紆余曲折を得た後の真相解明――ある意味、本書のストーリー展開は、まさにミステリの王道をひた走っていると言えるのだが、もちろんそれだけで終わるほど本書の構造は単純ではない。本書のなかで何よりミステリーなのは、本書の著者である小森健太朗本人が、同姓同名の登場人物として、自分がつくったはずの物語に関わっているという点なのである。そして賢明な読者ならきっと気づいていることと思うが、溝畑が勤める「出版芸術社」という出版社は、現実に本書『ネメシスの哄笑』を刊行している実在の出版社名であり、その社長である原田なる人物も、本書の奥付に明記されているのとまったく同じ実名で本書に登場する。そう、本書の登場人物たちの名前や団体名は、現実と虚構の境界を越えて、統一されてしまっているのである。

 小説が虚構であるという事実――それゆえに小説の世界では、現実の世界には存在しない、架空の人物名や団体名を使うことがほとんどである。これは、逆に言えば実在の名前を使って小説を構築していった場合に、時によってはその影響力が虚構の世界を飛び出して、私たちの住む現実の世界にまでおよんでしまう可能性がある、ということを示唆しているのである。虚構の世界にリアリティを付加する手段のひとつとして、実在の名前(あるいは明らかに特定の個を言い表している偽名)を利用するのは、やり方によっては非常に有効である。だが、明らかに実在する個人名や団体名を使っていると宣言してしまった場合、あくまで虚構であるはずの小説の世界、そして現実の世界の双方に、どのような影響をおよぼすことになるのだろうか。

 叙述トリック、という技術がある。使えるのは一人称の形式のみだ。ようするに、ある個人に視点を固定してしまうことで、真実を隠蔽してしまうのである。たとえば、ある個人が自分の恋人をまのあたりにしたとき、物語のうえではその恋人こそが真犯人であっても、けっして怪しい人物であるとは思わないし、誰かが変装していたとしても、その個人が変装に気づかなければ、その人は変装している人物にはならないわけである。本書はその物語全体が、壮大な叙述トリックによって構築されていると言ってもいいだろう。
 そのことをいちばん象徴しているのが、溝畑と小森がコミケにやってきたときの会話である。

「<大きなお茶屋さん>ですよ。笹原明美さんが来てるはずです」
「あれ?」私はびっくりして声をあげた。「笹原明美って、あの『コミケ殺人事件』に出てくる――」
「ええ、あの明美さんです」
「だって、あれは架空の人物じゃ――」
「いやだなあ、溝畑さん、前にちゃんと説明したことがあるでしょう。赤坂郁子とかは架空ですが、明美さんは実在してますよ」
「あれ? そうでしたっけ?」
 私はよくわからなかった。
 小森と話していると、どこまでが虚構でどこから現実なのかよくわからなくなるところがある。

 虚構と現実が複雑にからみあい、謎のうえにさらに大きな謎をかぶせてしまう本書『ネメシスの哄笑』をどのように読み解いていくのか――あるいは最初から謎など存在しなかったのか、「せいぜい眉に唾をつけながら」読んでみてほしい。(1999.10.19)

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