【ポプラ社】
『宇宙にいちばん近い人』

浜口倫太郎著 



 私が最近注目しているもののひとつに「直感」がある。ここでいう「直感」とは、理屈はよくわからないけれど、ある事象と対峙したときにとっさに浮かんでくる感情や考え、といった意味で、たとえばAとBのどちらかを選ぶようなさいに、どちらが良いとか悪いとかいった情報もなく、そのあたりを合理的に分析したわけでもないが、「なんとなく」「ふと」といった感覚で選んでしまう、あの感覚のことを指している。

 ふたつあるうちのどちらかを選択しなければならないようなときに、私たちはまずそのふたつを客観的に比較して、どちらがより価値があるか、どちらがより自分にとって有益かといった情報を検討することになる。だが、そういった情報はかならずしも必要な分をすべて集められるというわけではないし、ある情報が意図的に隠されている場合もある。ときによっては、じっくり検討するだけの時間がないという場合もないとは言い切れない。そんなときに、理由や理屈はわからないけど「こっちのほうがいい」というとっさの判断の根拠となるものが「直感」なのだが、不思議なことにこの直感という感覚はなかなかあなどれないものがあると思うようになっている。なぜなら直感というものは、個人の「良い経験」によって積み重ねられてきた経験値を基にした判断であり、それゆえにときに合理的判断よりもはるかに早く、はるかに正確に物事の本質をとらえてしまうことがあるからだ。

 ここで重要になってくるのは、個人の「良い経験」が直感を鍛えるという点である。これは逆に言えば、悪い経験ばかり重ねていると、個人の直感の力はどんどん弱くなってしまうということでもある。そして、だからこそ「良い経験」を重ねること、人として正しく生きるという姿勢が重要になってくる。今回紹介する本書『宇宙にいちばん近い人』を読み終えて、文字どおり「ふと」思い浮かんだのは、そうしたことである。

 つい、というのが大切なのですよ。頭ではなく、心が反応したというのが重要なのです。それは魂が求める証拠ですよ。

 本書の語り手たる水谷幸子は、母亡き後の水谷家の家事全般をこなしつつ、自身も地方銀行の行員として働いているという多忙な十九歳の女性であるが、そんなある日、家の前で行き倒れている男性をなりゆきで助けることになる。透きとおるような白い肌に、映画俳優のような整った容貌と高い身長という、間違いなく美形の部類に入る彼はバシャリと名乗り、自分はアナバシタリ星からやってきた宇宙人だと自称する。

 見た目人間そっくりな男が、自分で自分のことを「宇宙人」と自己紹介するという、なんとも怪しいバシャリの言葉をそのまま信じるはずもなく、幸子は即座に彼を変人だと確定する。宇宙船が壊れて帰るに帰れなくなったと語るバシャリに対して、できることならこのまま引き取ってもらいたいと願う幸子だが、もともと苦しい家計事情の足しとするため、家の空き部屋を下宿先として開放しようと考えていたこと、そしてなにより、極端に無口で人見知りの激しい五歳になる弟の健吉が、なぜかバシャリに懐いてしまっていることなどから、なし崩し的にバシャリの同居が決定してしまう。

 宇宙人とかUFOとかいった、いかにもSF的な要素がちりばめられた本書であるが、その物語構造を分析してみると、本書の根幹をなしているのは、かならずしもSFとしてのセンスオブワンダーというわけではないことが見えてくる。センスオブワンダーとは、未知のものと遭遇したときに感じる驚異の感覚であるが、未知のものというのは、ときに容易に「脅威」へと変わるものでもある。本書に「宇宙人」として登場するバシャリは、宇宙人を自称する割には多分に人間臭さを持ち合わせた、どこか愛嬌さえ漂わせるキャラクターとして書かれている。物語の舞台が昭和三十一年という、ある世代の読み手にとってはレトロ感溢れる時代に設定されているのも、本来的な意味でのSF色を抑えるための配慮だと言える。

 言葉を変えるなら、本書での、おもに幸子との関係性におけるバシャリの役割は、かならずしも「宇宙人」である必要性はない。重要なのは、彼が水谷幸子の置かれている「日常」の外からやってきた異邦人であるという要素である。それは同時に、彼がその世界において暗黙の了解となっているさまざまな事柄に対して、空気も読まずに切り込んでいくことを許されたキャラクターであるということでもある。

 本書を読んでいくとわかってくることであるが、幸子の現状にはいろいろな問題が山積している。いや、厳密には「問題」という表現は適切ではないかもしれないのだが、少なくとも自分が今就いている行員という仕事について、そしてシベリアでの捕虜生活を経てようやく帰ってきた父親との関係について、どこか鬱屈した思いをかかえている。幸子自身、そのことについてもやもやとした思いはあるものの、日常生活の忙しさ、何より家族の生活を支えなければという思いが、そうした心のもやもやをなかば無視してしまっているところがある。だが、「異邦人」たるバシャリの存在は、幸子が無視しつづけてきた問題について意識させずにはいられない。

「幸子――自分の選択を家族のせいにしてはいけません。それは幸子自身が選んだことなのです」

 腹巻に異常なこだわりを見せたり、恋人同士の男女に「恋愛とは何か」と問いかけたり、ささいな事柄に大袈裟なボディランゲージを示したりと、とかく他人から見れば破天荒な言動ばかりが目立つ、下手にハンサムであるぶん残念度も大きいバシャリと、そんな彼の言動に振り回されつつも突っ込みを入れずにはいられない幸子の漫才のようなやりとりが面白おかしい本書であるが、「異邦人」であるがゆえにその世界の常識や権威にとらわれないバシャリの言動は、ときに物事の本質を鋭く突いてくる。そしてその本質は、幸子にとって今の日常を維持する以上に、ひとりの人間として大切なことだったりする。

 自分は今、何を感じているのか、自分が本当にやりたいこと、欲しいものはなんなのか――ほかならぬ自分自身のことであるにもかかわらず、あまりにその感情を表に出さないようにしつづけてきたがゆえに、本心に自信がもてなくなっている幸子とは対極に位置するバシャリが、自分たちの星の文明を「科学」ではなく「感情」を軸としたものだと語るのは、非常に象徴的である。

 繰り返しになるが、バシャリが「宇宙人」であることの必然性は、少なくとも幸子との関係性においては存在しない。その設定が大きな意味をもつのは、彼と「空飛ぶ円盤研究会」との関係、より具体的には、その会員のひとりである星野親一との絡みにおいてである。この研究会の主要メンバーは、バシャリと同じくらい変わった人たちの集まりであり、バシャリの「宇宙人」だという自己紹介もとりあえずはそのまま受け入れてしまう、妙に懐の深いところがある集団なのだが、星野親一が物語のなかで最終的に選ぶことになるある職業が、宇宙人と称するバシャリの影響を受けてのものだという流れは、それこそ「わかる人」にとっては思わずニヤリとさせられてしまうものがあるのだ。

 はたして、バシャリは「ラングシャック」なるものを見つけて故郷に帰ることができるのか、そして、当初こそただの変人だと思っていたバシャリの存在が、しだいに大きな位置を占めていることに幸子はいつ気づくのか――どこかレトロで心温まる人間模様をぜひ楽しんでもらいたい。(2013.07.21)

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