【人文書院】
『呪われたナターシャ』
−現代ロシアにおける呪術の民族史−

藤原潤子著 

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 私はふだんから、占いや風水といったものを信じないと公言している人間であるが、その背景に、そうしたものを迂闊に信じてしまったせいで――あるいは、その結果を自分の都合の良い方向に解釈してしまった結果、手痛いしっぺ返しをくらってしまったという過去が大きく影響していることは否めない。そもそも「信じない」と思うこと自体、占いや風水について強く意識していることの裏返しでもある。意識していなければ、そもそも信じるも信じないもないはずなのだ。

 占いや風水にかぎらず、科学的根拠がまったくないにもかかわらず、その社会において人々に広く信じられている迷信めいた事柄は多い。家相や姓名判断、ジンクスや大安吉日などの縁起ものをはじめ、それこそ神社が執り行う地鎮祭のようなものから、低級な霊と交信するとされる「コックリさん」といったたぐいのものまで、ある種のオカルトめいた事柄は、じつは私たちの生活のなかに溢れていたりする。たとえば朝のニュース番組には、だいたいどこも「今日の運勢」といったコーナーがあるのだが、たとえそうしたものをまったく信じていなかったとしても、自分の今日の運勢が最悪だとわかれば、やはりいい気はしない。

 この世には神も悪魔もいないし、人は死ねばただ消滅するだけだ、という割りきりがある一方で、死んだ後に地獄に堕ちるようなことがあったら怖いと感じる自分がいる。占いには何の信憑性もないと思っている一方で、一度占いの内容を見てしまったが最後、それを後々まで引きずらずにはいられない――人はなぜ迷信めいたものを信じてしまうのか、というのは、個人的にもけっして無関係ではない命題であるが、今回紹介する本書『呪われたナターシャ』は、そのサブタイトルに「現代ロシアにおける呪術の民族誌」とあるように、ソ連時代末期以降に生じた、呪術や宗教、オカルトへの民衆の傾倒を題材に、人々がどのようにして呪術のリアリティーを信じるようになっていくのかを、ロシア民族というくくりから浮き彫りにしていこうとする学術論文である。

 学術論文と書いたが、不特定多数の読者が手にすることを前提とした読み物を意識しているためか、けっして難解ではないし、全体の構成もきちんとまとまっていて読みやすい。もともと社会主義革命以前の民俗学や口頭伝承、とくに呪術関係に興味をいだいていた著者が、ソ連時代の無神論政策の影響が少ないとにらんだ北ロシアのひとつ、カレリア共和国でのフィールドワークの調査報告という側面がある本書であるが、著者の興味はしだいに現代ロシアの呪術調査という方向へと移っていく。その背景には、フィールドワークの過程において現代ロシア社会での呪術の位置づけが、たんなる伝承のたぐいを超えて、生々しいリアリティーとして息づいていることを、文字どおり肌で感じ取ったという経緯がある。そしてそうした視点は、たんなる資料の読み込みや机上の研究だけでは見えてこない部分であり、そういう意味でも非常に貴重で興味深い読み物となっている。

 ナターシャという名の女性を中心に、呪術をかけられた、あるいは呪術によって病や不幸から逃れられたと語る人々、つまり呪術のリアリティーを信じる人たちの言説紹介からはじまって、じっさいに呪術を操る力を持つとされる呪術師――先祖代々伝えられていく伝統的呪術師から、超能力や世界各地のオカルト的呪術と融合した現代の呪術師、さらには新聞や書籍といったメディアと結びつくことで広がっていった呪術ネットワークや、学術研究の対象としていながら、いつしか呪術のリアリティーに絡みとられてしまった人々などを、章立てしたうえで紹介していく本書であるが、読み進めていくことでまず驚くのは、まるで呪術をあたり前のものとして受け入れているかのようにさえ見える、どこか非現実的な現代ロシア社会の姿である。自身の体調不良が誰か嫉妬深い親戚のかけた呪いだと平然と言い切る人や、自身の受け継いだ呪術で人を助けていると語る人――私たち読者からすれば、あきらかに世迷いごとにすぎないと思われる呪術が、言ってみれば共通認識、ある種の常識であるかのような錯覚にとらわれてしまう社会というのは、それはそれで興味深いものがあるのだが、本書が現代ロシアの呪術をテーマとしている以上、その調査内容は必然的に呪術やオカルトといった方面に限定されていることを念頭に置く必要がある。

 たとえば現代日本において、オカルトや呪術を信じている人はそれこそ全人口のほんの数パーセントにすぎないと思われるのだが、その数パーセントの情報だけを故意に収集したうえで、「日本は呪術の生きる国だ」と語ったところで、読者には何らリアリティーを与えられない。その点は本書のあとがきにおいても明記されており、本書はけっしてロシアの現実を歪めることを目的としているわけではない。つまり、本書のような事柄は、ロシアにかぎらず世界中の社会で起こりえることだと言える。もしロシアという社会に注目すべき点があるとすれば、そこがかつての社会主義国家であり、呪術はもちろんのこと、宗教(ロシア正教)でさえ迷信として切り捨てて、結果として極端な無神論主義が推し進められていったという独自性であるが、マルクス=レーニン主義の権威崩壊と呪術の過度な復興との結びつきは、あくまで要因の一端でしかない、と著者は考える。

 むしろ、著者が本書を書くきっかけとなったのは、現地における調査協力者であり、民俗学者でもあるイリイチの存在が大きい。彼は学者という、あくまで客観的な考察を必要とする立場でありながら、そのいっぽうで自身にも呪術師としての力があることを信じている者のひとりであり、言ってみれば矛盾するふたつのものを両立させているのである。学者さえも取り込んでしまう現代ロシアの呪術――迷信がリアリティーあるものとして社会に浸透していくプロセスとはどのようなものであるのかについて、本書は考察を進めていくことになる。

 外国人である私が調査をおこなうという行為そのものが、呪術の「リアリティ」に大いに同意していることを意味してしまう。そして私自身が、呪術を増大させる社会的プロセスの一部となってしまうのである。

 ロシアの呪術は、ロシア正教の影響が色濃く残っているものがあり、宗教と呪術とが渾然一体となっている事実があるが、たとえ聖職者たちがどれだけ呪術を否定しようとも、そうした行為そのものが呪術のリアリティを補強してしまうという状況は、一度占いの内容を聞いたが最後、その影響から逃れられないというのとよく似ている。社会主義が崩壊し、失われたロシアの伝統を取り戻すという熱狂が呪術と結びついたとき、本書もまた呪術の信憑性を補完する一要素として機能することになったと著者は語る。となれば、その本を紹介しているこの書評も、あるいはロシア呪術のプロセスのなかに組み込まれてしまう日が、あるいは来るのかもしれない。そういう点において、このうえないリアリティを感じずにはいられないのだ。(2010.07.24)

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