【角川書店】
『少女七竈と七人の可愛そうな大人』

桜庭一樹著 



 この世に美しいもの、人々が美しいと感じるものはいくらでもあるし、私たちはそうした美しいものを愛でて楽しむ心を持ってもいる。何らかの事柄に「美」を感じるのは人間だからこその感情であり、美しいものに敏感であるということは、そういう意味ではけっして悪いことではない。だがちょっと視点を変えて、美を愛でる側ではなく、美の対象として愛でられる側に立ったときに、どんな感じがするものか考えたことはあるだろうか。

 たとえば、春に満開の花を咲かせる桜は、多くの人の心に美しさを喚起する。だが、その美しさを感じているのはあくまで人間であり、桜自身には何の関係もないことだ。桜は桜でただ自然のサイクルのなかで、自身の種の繁栄のために生きるだけのことである。だが、それが同じ人間となると、話はより複雑になる。きわだった美貌というのは、良くも悪くもその人の個性を特徴づける要素となる。そしてその美貌という個性は、しばしば本人の性格や資質とは無関係なところで定義づけられてしまうのだ。

 世の女性たちは、美しく見られるために化粧をしたり、衣服やアクセサリーで着飾ったりする。だが、ただ在るだけで成立してしまう美しさは、意思を持たない桜とは違ってその人のあらゆることに影響をおよぼさずにはいられない。とくに、本書『少女七竈と七人の可愛そうな大人』に登場する川村七竈にとって、美しさとは「遺憾ながら」という前置きとともに語られる要素となっている。

 旭川の郊外というこの古びた地方都市において、美しいということはけして誉めたたえられるばかりのことではなく、むしろせまくるしい共同体の中ではそれは、ある種の、禍々しき異形の証なのであった。

 町を歩けばかならず男たちからじろじろと顔を眺められる、登下校時におかしな男が後をつけてくる、学校の下駄箱にはラブレターが溢れ、ファンクラブさえできてしまう、都会からは芸能人プロダクションの人が何度もスカウトにやってくる――旭川の公立高校に通う川村七竈は、本物の美少女である。だが、その異形のごとき美貌は、当人の努力の結果として生み出されたものではない。彼女は自分の美貌についてはとことん無頓着であるばかりか、鉄道模型に熱を上げる鉄道オタクだったりする。そして、だからこそ七竈にとって、美しさという自身の要素は、自分の意思とは無関係に定義づけられてしまう忌々しいものとして、意識せずにはいられないものとなっている。

 その美しさゆえに、世の大人たちが放っておいてくれないという業をかかえこんでしまった美少女の顛末を描いた本書を評するにおいて、欠かすことのできない登場人物がふたりいる。ひとりは七竈の母親である川村優奈、そしてもうひとりが七竈の唯一の友人である桂雪風である。

 川村優奈、という姓名からも想像できるように、彼女は結婚していない。それまで小学校の教師というお堅い職業に従事していた彼女は、ある日突然、それまでの自分を変えたいという強い欲求に駆られ、「辻斬りのように」七人の男たちと関係をもち、その結果として七竈を身ごもった。ゆえに、七竈が誰の子種だったのかは、わからないことになっている。

 十二歳の秋ごろから急激に美しい生き物へと変貌していった七竈には、女の友人がひとりもいない。それは、彼女の美貌のせいもあったが、それ以上に未婚の母であり、男関係の爛れた噂を引きずる母親の影響も強かった。そんな彼女の幼馴染として、今もなお親友という立場をたもっているのが桂雪風という少年だが、ふたりを結びつけているのは鉄道オタクという要素である。

 雪風にとって、七竈は急激に美しくなる以前からの友だちだった。そして七竈にとって、雪風は「美しさ」という周囲が勝手に定義づけるものではない要素を共有できる存在だった。だが、雪風もまた、成長とともにおそろしいほどの美貌を身にまとう美少年へと変貌していた。そしてその事実は、どうしても血のつながり――もしかしたら、同じ父親の血を引いているかもしれない、というそれまで想像だにしなかった要素を意識せずにはいられなくなる。

 ふたりの関係を成立させていたもの――幼馴染であることと、鉄道オタクであることの他に、意識せずにはいられないもうひとつの要素が紛れこむことによって、それまで保たれていたものが微妙に変化していく。そんな少年少女の心の変化を描き出すことが本書の大きなテーマであり、その心の揺れ動きをどのように表現し、読者に伝えていくかこそが本書の醍醐味ともなっている。たとえば、七竈の美貌に対して雪風が「母親がいんらんだから」と主張するシーンがある。言葉だけをとらえると、雪風はずいぶんとひどいことを言っているのだが、そこにお互いが血のつながりがあるかもしれないという、非常にデリケートな問題が横たわっていることを考えたとき、雪風の主張の裏には――そして七竈の容認の裏にも――まったく別の意味合いが含まれていることに気がつく。

 美しい容貌をもつことは、七竈にとってたんに美しいというだけではない、より重い要素を背負わされることを意味する。そしてその要素は、個人の力ではどうにもならないものとして、彼女を翻弄するものでもある。そうしたものを抱えながら、それでもそんな自分自身といつかは向き合わなければならない少年少女の、ヒリヒリするような痛みが本書のなかには書かれている。そしてその痛みは、母親である優奈をはじめとして、大人になってもなおそうした関係性にとらわれて生きていかざるを得ない者たちにも向けられていく。

「おかしな人! 大人って、かわいくて、かわいそう! おかしなものですねぇ!」

 この世に変わらないものはない。かつて世間を席巻した美少女アイドル乃木坂れなのように、いずれ七竈の美貌も失われていく運命にある。だがその頃にはおそらく、当時の気持ちもまたほとんどが過去の思い出となってしまっているに違いない。そのとき彼女は何を思い、どのような人生を歩んでいくことになるのだろうか。無駄に美人に育ち、美しすぎるがゆえに地方都市のなかにとどまることを許されなかった七竈の顛末を、ぜひたしかめてほしい。(2012.01.11)

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