【ブロンズ新社】
『羊に名前をつけてしまった少年』

樋口かおり著 



 以前紹介した鯖田豊之の『肉食の思想』は、欧米における肉食へのこだわりがどのような歴史的、思想的な背景から育まれていったものなのかを考察した本であるが、そこには徹底した人間中心主義――人間は他の動物とは異なる、特別な存在であるという認識がその根底にあると主張している。なるほど、米を中心とする農業を主体としてきた日本とは異なり、かつては(あるいは今でも)各家庭で家畜を飼い、屠畜して料理することがあたり前だったヨーロッパでは、必然的に人間と家畜とのあいだに確実な一線を引くような思想が受け入れられてしかるべきというその主張は、説得力のあるものだが、これは裏を返せば、私をふくめた日本人は、家畜との距離感を置くために、そうした思想の恩恵を受けられないということでもある。

 私たちはふだん、食品として店に並ぶ肉について、それがかつては生きた家畜だったと想像することはあまりない。それは私たちが、そうした肉の加工の現場を知ることなく生活できているからに他ならないのだが、そこにはあるいは、そうした現実にあえて距離を置こうとする心理がはたらいているのかもしれない、という思いがふと頭をよぎることがある。生きた家畜が屠畜によって食肉に加工されるという現実は、人によってはたとえそれが事実であったとしても、なかなか折り合いをつけるのが難しいたぐいのものだというのは、想像に難くはない。とくに、今回紹介する本書『羊に名前をつけてしまった少年』に登場するエイジのような立場であれば、なおさらである。

 心をこめて、ていねいに、大事に家畜を育てる――そのことが、ペットを可愛がる飼い主の気持ちとどうちがうのか、今のエイジにはわからない。

 この物語の主人公であるエイジは、家畜、とくに羊に特別な思い入れをもつ高校生として登場する。少なくとも家が農家や牧場経営者というわけでもないのに、ふつうの高校ではなく農業高校を選択させる程度には、強い影響力をもたらす存在として、羊という動物とつながっていると言うことができる。じっさい、彼は誰よりも高校で飼育されている羊たちに興味をもち、暇さえあれば羊舎に足をはこび、農業教員よりも農業教員らしいとからかわれたりするのだが、そんな彼が二月の朝早くに羊の出産に立ち会うために高校の羊舎にやって来るというその行動力は、本書におけるエイジと羊との関係性を象徴するものだ。

 北海道でも最北に位置する農業高校を舞台とする本書には、羊や牛といった家畜を飼育する現場のシーンが多く盛り込まれており、毎日欠かせない畜舎の掃除や、ある季節にかならず発生する乾草づくりといった農業高校の実習の内容をはじめ、全国規模でおこなわれる実績発表大会の存在など、ある意味で職業小説としての側面ももちあわせているが、基本的に農業高校にとっての羊は、生徒たちの学習のための教材であり、あくまで家畜として飼育しているというスタンスがある。それはあたり前のことではあるのだが、そこにエイジのように羊に対して特別な思い入れのある登場人物が入り込むことで生じるドラマが、物語としての本書の読みどころとなっている。

 そしてそのドラマの内容については、すでにそのタイトルから、ある程度の推察が可能となっている。「羊に名前をつけてしまった少年」――「名前をつける」ではなく、「つけてしまった」という表現は、まさに本書のすべてを表現していると言ってもいいものだ。エイジは本書のなかで、ある羊の出産に立ち会い、生まれた三匹の子羊のうち、とくに未熟児の状態で産まれてしまった一匹をことのほか可愛がるようになる。そこには未成熟ゆえに母乳にありつくことができず、育てるためには他の羊から隔離したうえで、人口乳で育てていくしかないという事情があり、他の羊より人の手を多く介するその子羊が、エイジにとってより特別な存在となるべき下地が用意されていた。このあたりの物語の流れは、畜産の現場をリアルに知っているからこそのものである。

 サフォーク種の羊は基本、肉用として市場に出荷される。それは、あの吹雪の日に生まれた未熟な羊も同様だ。だが、理屈としてはわかっていても、その事実とどうしても折り合いのつけられないエイジの、他ならぬ子羊が大きくなるにつれて募っていく葛藤は、たんに「可哀そうだ」という単純な気持ちだけではない。それはたとえば、彼の親友であるミノルの、すでに自分の将来に目を向けて勉学に励んでいる姿との対比、という形をとっていたりする。本書はたしかの農業高校という、ある種の専門校の生徒の物語ではあるが、自分の将来が漠然としていて、はたしてどこに進めばいいのか、何を目標にすればいいのかわからないという悩みは、エイジのような年の少年少女共通の、普遍的なものである。

 大人だ。ミノルは、大人なんだ。ミノルが飛びこもうとしている、いや、すでに足を踏みいれている世界は、エイジの日常からは想像もできない大人の世界だ。――(中略)――エイジは、心からミノルを尊敬した。そんな気持ちを、「すごいな」としか表現できない自分がうらめしい。

 自分たちの食のために、言ってみれば殺すために動物を飼うことを残酷だと言うのは簡単だ。だが、それを残酷だと言うのであれば、私たちは牛や豚などのあらゆる食肉を断念しなければならなくなる。そしてじっさい、そのためにベジタリアンとなる人も世のなかには多いと聞く。一匹の羊に家畜以上の感情をもってしまったエイジは、ある意味で私たちが無意識に考えないようにしてきた家畜の肉を食べること――それがかつて、私たちと同じ命を宿した生き物であったという事実に、私たちに代わって向き合う役割をはたしてくれたと言うことができる。ものを食べるという、生きるためにはけっして欠かせない行為について、あらためて考えさせられる作品である。(2014.10.31)

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