【河出書房新社】
『裸のランチ』

ウィリアム・バロウズ著/鮎川信夫訳 



 およそこの世にあるすべての事物にあてはまることだが、麻薬というものもまた、ひと口に説明できるほど単純なものでないことは、容易に想像がつくことだろうと思う。コカイン、ヘロイン、アヘン、ハシシ、ペヨーテ、LSDなど、その種類も豊富なら、効用もアッパー系、ダウン系、幻覚症状を引き起こすものや五官を鋭敏にするものなど、じつに多彩だ。ちょっとしたサブカルチャー系の本を読めば、そうした麻薬に関する知識はすぐに手に入るだろうし、昨今話題になった、芸能人たちの麻薬がらみの事件を例に挙げるまでもなく、本物の麻薬もまたたやすく手に入るものなのだろう。楡周平の『Cの福音』は、コカインの売買を扱ったバイオレンスな作品であるが、ああした世界とは無関係に生活をつづけている私たちの身近にも、麻薬は存在する。医師たちは痛み止めのためにモルヒネを用いるし、ちょっと周囲を見渡せば、それこそアルコール中毒やニコチン中毒の輩はすぐに見つけることができるだろう。かくいう私もある意味ではアルコールやニコチンに依存した生活をおくっているし、読書中毒という点で言えば、おそらく重症の部類に入ってしまうに違いない。

 そして、本書『裸のランチ』に関しては――はっきりと答えよう。本書は危険だ。とくに読書という、虚構世界の物語に慣れ親しんだ者であればあるほど、その内容に中毒する可能性は高い。ある意味、本書は麻薬そのものだといってもいいだろう。私もまた、本書が見せるとりとめのない断片的イメージの奔流に幻覚を見、世界の基盤そのものが意味を失ってどろどろに溶解していく様子に眩暈を覚え、その意味を追うという、およそ無謀な行為のたびに頭痛にさいなまれ、ともすると現実世界への接点さえ見失いがちになった。そして最終的な結論として、私は皆さんにこう問いかけることになる。

 あとがき……あんたは読まないの?

 本書の著者ウィリアム・バロウズ自身、かつては極度の麻薬中毒者であり、また男色家でもあったと「解説」には書かれている。本書に登場する数多くの麻薬中毒者たち――およ人間の尊厳などかけらも見当たらない、膨張する欲望のままに文字どおり人間であることをやめてしまった者たちが演じる醜悪な乱痴気騒ぎや、執拗に繰り返される生殖器や排泄物のイメージが、そうしたバロウズ自身の実生活から生み出された、脈絡のない幻想の塊であるのは言うまでもないことであるが、それ以上にとてつもないと思わせるのは、麻薬の服用によってもたらされるであろう異常な五官の感覚や、強烈な幻覚作用が、まったくそのまま本書の中におさまって、現実そのものを凌駕してしまっているという脅威的な事実だろう。

 本書の中には、ストーリーの流れといったものはまったく存在しない。それは同時に、その世界における時間の概念を無効にする、ということでもある。また、場所の概念も存在しない。それをわずかに匂わせる、異常に細かい部分部分の描写があるのみで、それもまた次の瞬間には崩壊し、醜い虫に変身してしまったりする。そして、現実の断片ばかりが散乱する混沌とした幻想世界の中で、登場人物たちは何らかの役割を与えられることもなく、また主役や端役といったランクづけをされることもなく、ただおのれの欲望のままに、かって気ままな醜態をさらしつづけていく。

 人間という生き物は、常に物事を論理的に考え、ランクづけを施し、因果関係や法則性を見つけ出してそれを支配してきた。小説という名の虚構世界も、人間の脳の産物である以上、そこには独特の秩序なり主張なりがあるものであり、またそこから逃れることはできない。だが、少なくとも私が読みこんだかぎりにおいて、本書にはそうしたものが極端なまでに希薄になってしまっている。あるいは、あまりに高次元すぎて、見た目は相当にぶっとんだものとしてしか理解できなくなっている。
 人間的な思考経路を介さない、むきだしの神経がとらえたイメージの羅列――まさに裸の、むきだしの感覚が支配する物語、という評価が、本書にはふさわしい。

 それゆえに、本書にストーリー性を求めたり、前後の整合性を考えたりするのは、およそ意味のない行為と化すだろう。下手にそれを続ければ、受け手の脳が発狂しかねまい。本書を支配するのは永遠に「今」という瞬間だけだ。過去とも未来とも断ち切られた刹那の世界で、人間であることを捨てた者たちによって繰り広げられる、いつ果てるとも知れない混沌――文章という名の「秩序」のなかに、まぎれもない混沌を持ちこんだ著者は、たしかに奇才であり、異才である。

「裸のランチ」は青写真で、方法解説書だ――(中略)――方法解説は長い廊下の突当たりのドアを開いて経験の領域を拡大する…… ただ沈黙に通じているにすぎないドア…… 「裸のランチ」は読者に沈黙を要求する。この要求に応じないなら、自殺行為をすることになる……

 たしかにその通りだ。これ以上言葉を重ねることが無意味である以上、あとは沈黙するしかあるまい。21世紀を迎えた現代の、あいも変わらず閉塞した状況を、本書の刹那主義的混沌と結びつけたところで、それがいったい何だというのか。麻薬中毒者たちは麻薬におぼれて糞尿をまきちらし、男色家たちはケツの穴にさしつさされつし、消化主義者たちは相手の原形質に入りこもうとし、分裂主義者たちはひたすら自分のコピーを生み出して殺し合いを演じ、送信者たちは意味のない支配をつづけたあげく、巨大なムカデに変身するだろう。そして読書中毒者たちは、本書の世界をさまよい歩いたあげく、私がそうなりかけたように現実と幻想のはざまにはまり込むことになるだろう。もし、あなたが本書を手に取ることがあるとするなら、その内容に中毒しないことを私は祈るばかりである。

 あるいは、中毒になったほうが、幸せなのかもしれないが……溶暗。(2001.11.28)

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