【文藝春秋】
『介護入門』

モブ・ノリオ著 
第131回芥川賞受賞作 



 今では逆にあの時祖母が怪我をしなかったらどうなっていたかとすら俺は考える。俺は相変わらず祖母と向き合わず、母とも向き合わず、己独りで生きてきたようなツラをして、エゴイスティックに《音楽》のことだけを考え、もっと祖母を孤独にしていただろう。

 そのものズバリなタイトルである本書『介護入門』であるが、もちろん、そこに描かれているのは純粋な意味での「介護の入門書」というわけではない。というのも、本書の一人称の語り手である「俺」も言っているとおり、彼が80歳を越えている祖母の介護を行なうようになったのは、被介護者がまさに自分を育ててくれた祖母であったからであり、たとえば今の日本の介護制度に対して物申すとか、老人介護の心得みたいなものを教授するとかいった一般論を目的として書かれた作品ではないからだ。

 以前から痴呆の傾向があった祖母が、玄関先で転倒、頭蓋骨の陥没骨折で入院したとき、仕事をやめ、行き当たりばったりの旅行に出ていた「俺」は、とにもかくにもそのどうでもいいひとり旅をとりやめ、祖母の入院先へと直行した。ドラッグをきめ、音楽にのめりこみ、自身もまた自由なミュージシャンであることを気取っていた「俺」のそれまでの行為が、現実から目をそむけるための逃避でしかなかったのだとすれば、祖母の入院、そしてその後の自宅介護の必要性は、彼を否応なく現実へと向き合わせるための、ひとつの契機であったと言うことができる。いや、たんに現実と向き合うことを決意しただけでなく、彼は祖母の介護という行為を通じて、自分を取り巻く、けっして自分に対して好意的ではないこの社会、この何かと不誠実なところの多い現実に対して、激烈な反撃を行なう手段を手に入れたことになる。当人が意識しているかどうかはともかくとして、彼は本書を書くことで、ノイズ・ロック以上の過激な表現方法を、祖母の介護と結びつけることに成功したのだ。

 文章そのものは、全体的に雑然とした印象がある。それも、意図してそうした文章になったというよりも、とにかく自分の介護の体験、そしてそこから自分が思ったり感じたりしたことを書き綴った結果として、本書が生まれたのだ、という感じである。それゆえに本書にはいかにもな人間ドラマはないし、そもそもそうしたものを盛り上げていくための物語構成そのものが存在しない。それどころか地の文や会話、あるいは描写や心の中で思っていることなどが、とくに文法や構成などを無視してつなげたような文章が切れ目なくつづいていく。作品の紹介によっては、ヒップホップ調の文章などと呼びあらわしているようであるが、私が感じるのは、さまざまな雑念がノイズのように入り混じるその底に部分に、けっして何ものにも影響されることのない、確固とした信念が鋼鉄の骨のように一本とおっている、というものである。そしてだからこそ、そのノイズの海から垣間見える著者の真摯な言葉に重みが生まれてくる。

 私は誰かの介護を経験しているわけではないが、もし「介護小説」なるものがあるとしたら、それはやはり本書をおいて他にはないだろうと考える。「介護を題材にした小説」なら、いくらでもあるだろう。そこには人間ドラマや介護者の重い負担、あるいは国の介護制度の問題点など、いかにも小説の題材になりそうなものがいくらでも見つかるし、小説家であれば、あるいは本書よりもうまく物語としてまとめることもできるだろう。だが、そうした虚構としての物語の力に訴えることを、著者ははなから放棄しているように思える。『踊る大捜査線』を「無残なまでに頭の悪い奴向けに作られた国辱映画」と評する「俺」が、しかし自身の体験した介護のことを小説にしたいと考えたとき、そこにどのような物語を構築しても、あるいはノンフィクションとして構築しても、著者の体験をストレートに表現することができないのは、むしろ当然のことだ。介護する者の揺れ動く心のありようを、もしできるだけ現実に即して描くとすれば、それは心の動きをそのまま言葉の羅列で表現するしかないのだ。

 そういう意味では、本書はじっさいに介護の経験のある読者と、そうでない読者によって、その評価が大きく分かれるだろう作品でもある。それは、介護が否応なく人と人とのつながりを意識させる行為であること、そしてそもそも人は、自分ひとりだけで生きているのではなく、人と人とのつながりのなかで、はじめて存在することを許されていることを、どれだけ本質として理解しているかの違いでもある。ゆえに、私が本書の本質を理解できると言うつもりはまったくない。だが、人が人であるための、もっとも基本的な、そしてもっとも大切な要素が、本書になかにあることくらいはわかるつもりだ。

 本書が著者の体験をもとにした私小説であろうことは疑いないが、たとえば、誰がいつ何をした、といった情報についてははっきりしていない。にもかかわらず、介護の実際についてのリアリティだけが怖ろしいほど濃密に浮かび上がっている。そこにはけっして、私のような頭でっかちの人間がけっして届かないある種の境地がたしかにある。そして著者にとって、その境地を表現することは、そのまま祖母を介護することの心境を描くことであり、同時にそれが著者の、生ぬるい社会全体への反乱にもなっていくのだ。(2004.10.04)

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