【東京創元社】
『夜の床屋』

澤村浩輔著 

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 私たちはその人生において、ときどき不可解な出来事に遭遇する場合がある。だがその「不可解な出来事」とは、あくまで遭遇した本人の個人的な見解でしかなく、別の側面から見れば不可解でも何でもない、起こるべくして起こったことだったというのが大半である。私たち個人が知りえる情報はごくわずかであり、世界全体を俯瞰するような神の視点をもちあわせているわけではない。また、仮に不可解だと思ったことがあっても、とくに自分にとって致命的なことでなければ、あえて関わらないようにする、ということもありうる。私たちは日々の生活に追われており、奇妙な事柄にいちいち首を突っ込んではいられないし、そうすることで面倒なことになるのを嫌うという心理もある。

 事実はひとつしかないが、真実は人の数だけ存在する、というのは、より正確に言えば、ある事実に対してもっている情報の量や質によって、得られる真実の形が異なってくる、ということである。ミステリーにおける探偵役の人たちが、ふつうの人であれば見逃してしまいがちな、ちょっとした違和感や変化にも鋭く目を走らせるのは、彼らが事件の真相をあきらかにする役目を負っているからであり、そのためには事件につながる情報をすべて押さえておくことが前提となる。もし、その情報がたったひとつでも抜け落ちていたら、真相とはまったく異なる、無数の「真実」のひとつを私たちは見せられることになるかもしれない――今回紹介する本書『夜の床屋』は、まさにそんなことを考えさせられるミステリーだと言うことができる。

 どこか釈然としない気がした。クインの話は一応は筋が通っている。だが、本当に監獄へ逃げ込むしか方法はなかったのだろうか。クイン自身の言葉によれば、彼は殺し屋に狙われていた。しかも彼は一文無しだった。それが事実だとしても、囚人になるよりもっとましな方法があるように思えた。

(『『眠り姫』を売る男』より)

 本書は表題作を含む連作短編集であり、基本的には一人称の語り手として登場する大学生、佐倉亮が遭遇することになるちょっとした謎をとりあげたものだ。山道で迷ったあげく、ようやくたどり着いた無人駅で夜を明かすしかなくなった語り手と、その友人である高瀬が目にした、深夜に店を開ける駅前の理髪店の顛末を書いた『夜の床屋』、海霧の発生する語り手の故郷の友人が語った、部屋から盗まれた絨毯の謎を追うことになる『空飛ぶ絨毯』、とある事情で小学生とともにドッペルゲンガーを捜しに廃工場を探検する『ドッペルゲンガーを捜しにいこう』など、こうして話の要素だけを挙げていくと、いわゆる「日常の謎」に属するミステリーという体裁になっている。そしてこれらの謎には、一応の解決篇が最後に添えられることになるのだが、ここで「一応」という言葉を使ったのは、それなりの理由があってのことだ。

 本書を読み進めていくとわかってくることだが、これらの連作短編集は、たしかにミステリーとしての体裁をとってはいるが、じつのところ重点が置かれているのは「謎を解くこと」ではなく、むしろ「謎」そのもののほうである。『夜の床屋』で深夜にもかかわらず店を開いていた三上氏は、その理由について「とても他愛のないこと」と断るのは、その後に明らかになる真相の意外性を高める演出になっているわけだが、本書では不思議なことに、その真相を語る探偵役が一定していない。表題作では唐突に登場する地方の新聞記者がその役目を担うのだが、『空飛ぶ絨毯』では語り手自身が探偵であり、『ドッペルゲンガーを捜しにいこう』では語り手と同じマンションに入居している蓬莱玲実が、語り手の体験した顛末を聞いたうえでその真相を解き明かしている。

 連作短編という形をとるミステリーにおいて、その謎解き役としての探偵が一定していない――それが意味するのは、役割としての「探偵」が、物語においてさほど重要な要素になっていない、ということである。言うまでもなく探偵の役割は、すべての謎を解明することである。そしてそのためには、探偵役となる人物にそれなりのステータスが要求される。それはたとえば、社会的地位であったり、あるいは明晰な頭脳や洞察力の高さといった要素だったりするのだが、本書においてそれらが強調されることはまったくといってない。私たち読者は、探偵役となった人物の語る真相こそが、事件の正しい真相であることを前提としてミステリーを読む。だが、その探偵が一回限りの登場でしかなく、そのステータスも保証されていないとするなら、そもそも彼らの語る「真相」がどこまで「正しい」ものであるのかを、いったい誰が保証してくれるというのだろう。

 そう、上述の引用にもあるように、それぞれの解決篇は一定して筋が通っていて、伏線も回収されており矛盾もない。だが、それにもかかわらずどこか「釈然としない」部分を残している。それは真の意味での探偵役が不在であるからであり、また真相の「答え合わせ」の部分がまるまる抜けているからでもある。言い換えれば、本書のミステリーはきわどい部分で謎を謎のままに残しておこうという意図があり、だからこそ本書の重点が「謎」そのものにあると言うことができる。

 本書解説によれば、『夜の床屋』は二〇〇七年の第四回ミステリーズ!新人賞を受賞、引用部の『『眠り姫』を売る男』はその前年の同賞で最終候補に残った作品とある。こうした経緯から、本書の短編がはじめからこうした連作短編集を意図したものでないと考えるのがふつうである。にもかかわらず、本書を最後まで読むと、それぞれの短編において「釈然としない」ままで残る謎を通底する、さらなる「謎」の存在が浮かび上がってくる。そしてそれを強く意識して書かれたのが、『葡萄荘のミラージュT』であり、また『『眠り姫』を売る男』へのつなぎとなる『葡萄荘のミラージュU』だ。これは言うなれば、古い別荘である「葡萄荘」に隠された宝探しに挑戦するという内容であるが、『葡萄荘のミラージュT』単体だけをとらえると、その「宝物」の謎は解明され、また語り手たちを別荘に誘っておきながら、なぜか急にヨーロッパに出かけてしまった友人の挙動にも「一応」の説明がつけられる。だが、その次に控える『葡萄荘のミラージュU』で、その「一応」が本当の意味で「一応」のものでしかないことが提示されるのだ。

 つまりこの二作において、はじめて著者はこれらの作品を連作短編集として意識した、ということになるのだが、ここで興味深いのは、それまでの短編で残ってしまった、物語の余韻としての「謎」について、そのすべての収束させるための真の解決篇というべきエピソードを加えることにした点だ。そしてそのキーとなるのが、じつは著者が最初に書いた『『眠り姫』を売る男』であるという点こそが、本書を語るうえでもっとも重要な要素となっている。

 ちなみに本書の語り手である佐倉亮は、きわめてふつうの大学生という立ち位置にある。それはたとえば、怪しいと思われるところには近づかないようにするといった、常識的な判断をする青年という意味である。むろん、大学生というのは基本的に暇であるらしく、彼なりの好奇心がないわけではないのだが、彼にとっての世界とは、真の不可解な出来事など存在しない世界を指している。はたして本書をぜんぶ読み終えたとき、彼の見る「世界」はどのような変化を遂げることになるのだろうか。(2015.03.25)

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