【東京創元社】
『湿地』

アーナルデュル・インドリダソン著/柳沢由実子訳 

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 この世に確かなものなど何ひとつない、唯一無二の真実など幻想に過ぎない、ということを、最近とみに感じるようになっている。たとえば、殺人事件が起こったとして、それで被害者が殺されたという事象は「事実」であるが、それは「真実」とは異なる。「真実」とは、そこに「なぜ」という問いかけを発したときにはじめて問題となってくる。殺人事件の犯人がどのような理由でそうした犯行におよんだのか、という問いに対する回答は、おそらく当の本人にしかわからないことだ。犯人に好意的な関係者は、その行為を弁護するための理屈をどこかから見つけ出し、それを「真実」ととらえるかもしれない。犯人を悪人とみなす人たちは、もともと残酷な性格だったからという「真実」で納得してしまうかもしれない。事件とは無関係の人たちは、メディアの報道内容をそのまま「真実」として受け入れてしまうのだろう。

 さらに言うなら、犯人自身にすら、殺人の理由をはっきりとした言葉で説明できないのかもしれない。あとでいろいろと考えをめぐらせたり、警察がもたらす尋問や情報を考慮したりすることで、犯人自身にとっての「真実」を後付けで見つけてくるだけで、それが唯一無二の「真実」だと誰も断言することはできない。けっきょくは、その人が信じる事柄を「真実」として受け入れるしかない――だからこそ、「真実は人の数だけ存在する」という言葉が生きてくる。

 確かなものが何もない、というのは、私たちにとってはこのうえなく不安なことだ。だからこそ私たちは確実な「真実」という虚構を欲してやまないが、仮にそうした「真実」が実在するとして、それを知ることがかならずしも心の平安につながるというわけではない――そんなふうに思わせるものが、今回紹介する本書『湿地』のなかにはある。

「この話はすべてが広大な北の湿地のようなものだ」

 アイスランド南西のレイキャヴィクを舞台に、ある老人の殺人事件を追う犯罪捜査官を書いた本書には、常に灰色の雨雲に覆われた、どんよりとした陰鬱なイメージがつきまとっている。殺された老人の名はホルベルク。自宅のアパートで、招き入れた襲撃者によって、頭部を灰皿で強打されて殺されたと思われる。現場の状況から推測されるのは、いきあたりばったりの、突発的な殺人――今回の事件の担当となったエーレンデュルも認めるところの「不器用なアイスランドの殺人」だった。ただひとつ、現場に残された、三つの単語からなるメッセージを除いては。

 小説、とくにミステリーの世界において、殺人事件は物語の導入部分でよくお目にかかるものだが、リアルにおける殺人事件というのは、できることなら関わりたくない案件だ。ましてやその捜査ということになれば、どうしたって気分の良いものでないことは想像に難くない。本書を読んでいくと、けっして大都会とは言えないレイキャヴィクにおいて、殺人と言えばきわめて単純な動機のもの、たとえば「ついカッとなって」といったものばかりであることが見えてくる。そして、そうした認識はエーレンデュルをはじめとする、警官たちにおいても例外ではない。

 それゆえに、おそらく犯人が残したであろう、意味のよく読み取れないメッセージが何を意味するのか、そしてそれをエーレンデュルたちがどのようにとらえるのかが、本書序盤の読みどころということになる。言い換えるなら、いかにもミステリー小説風なこのアイテムは、およそレイキャヴィクという土地にふさわしくないのだ。しかも彼らがホルベルクについて調べていくうちに、彼が過去にある女性への暴行の罪で訴えられていたこと、しかし証拠不十分で不起訴になったこと、そしてその女性がその後どのような運命をたどることになったのか、といった事柄が、次々と明るみに出てくることになる。

 そう、本書のなかで起こった殺人事件は、けっして単純な動機のもとで行なわれたものではない。そして、今回の事件の「真実」をあきらかにするためには、殺されたホルベルクが過去に撒き散らした、吐き気をもよおすような犯罪行為と、それが引き起こしたこのうえなく深い悲劇を掘り起こさなければならない。それは、事件を捜査する側もされる側も、誰ひとり得することがないばかりか、むしろ不幸しか招かない行為なのだ。だが、犯罪捜査官である以上、事件の犯人はとらえなければならない。

 本書の舞台であるアイスランドのことを「不器用」と称したように、エーレンデュルもまたこのうえなく不器用な捜査官――アイスランド人の典型として書かれている。妻とは離婚し、娘は麻薬中毒、息子のほうは少年更生施設から出たばかりという問題児。家庭と呼べるものはとっくの昔の崩壊しており、警察の仕事についても、同僚との関係は良好とは言えない。そして今回の事件についても、彼はときに三十年も前に死んだ幼児の墓を掘り起こし、あるいはアパートの床に穴をあけ、汚物にまみれた床下を捜索するよう指揮する。まるで鉄の意思をもって犯罪者を追い詰める人物のようであるが、それは不器用なまでに事件の「真実」を求めることしかできないという、いかにもエーレンデュルらしい態度でもあるのだ。そしてそんな彼だからこそ、捜査のあいだじゅう降り続く冷たい雨の雰囲気も相まって、しだいに見えてくる「真相」の沈痛さ、そのどうしようもない重みがより強調されていく。

「――あらゆる悪事や悲惨なものを見ても影響を受けない人間などいはしない。へどがのどまで詰まるんだ。悪霊にとり憑かれたようになってしまう。一瞬たりともそれは離れてくれない。しまいには悪事と悲惨さが当たり前になって、普通の人間がどんな暮らしをしているのかを忘れてしまうんだ。今度の事件はそういうたちのものだ。――」

 不安定な自身の存在を支えてくれるものとして、「真実」を求めずにはいられない人間心理は、以前紹介したエレン・ウルマンの『血の探求』にもあったテーマであるが、「真実」というものが、ときに残酷なまでに人々の幸福を破壊してしまうものでもあることを、本書は雄弁に物語る。アイスランドという、血のつながりがきわめて密接な特殊な環境において、とある「真実」を求めようとした人たちの引き起こした悲劇に、はたしてあなたはどんな感想をもつことになるのだろうか。(2015.02.09)

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