【河出書房新社】
『口ひげを剃る男』

エマニュエル・カレール著/田中千春訳 



 私たちが過ごす日常はけっきょくのところ、何かのくり返しの連続であることが圧倒的に多い。朝起きて、食事をして、会社や学校に行って、仕事や勉強をして、夜になったら寝る――私たちはこうした何の変哲もない毎日のくり返しに、ときに物足りなさを覚えることもあるが、その一方で、毎日くり返しているからこそそのリズムを崩してしまうことを怖れてもいる。たとえば、いつも通っている場所に行くのに、私たちはたいてい決まったルートを歩いていくことが多い。べつのその場所にたどり着くためのルートはひとつだけではないはずなのに、ふと気がつくと、いつもの通いなれた道を選んでしまっていたりするものだ。

 私たちが日常だと思い込んでいることは、私たちが毎日同じことをくり返しているからこそ成立するものだが、私たちのそうした継続の意思とは無関係に、あたり前の日常というものは、ときに外からの圧倒的な力によって壊されてしまうことだってある。では、同じように私たちの意思でそのくり返しの一部を意図的に崩した場合、そこから何が生じることになるのか。たとえ、その結果がいっけんして何の変化も起こさなかったとしても、あるいはそれは目に見えないだけであって、じつはそのリズムの変調が見えないところで深刻な影響をおよぼしていることも、ありえるのではないか――本書『口ひげを剃る男』は、そのタイトルにあるように、ふだんはあたり前のものとして、その男の個性のひとつとなっていた口ひげを、ちょっとしたきまぐれから剃ってしまったことによって、思わぬ非日常が口を開いてしまう顛末を描いた物語である。

 それにしても信じられない。こんなに客観的なこと、誰の目にも明々白々のことに、たった一人でいい、公平なジャッジが見つからないなんて!

 男は新進気鋭の建築家で、結婚して五年になる妻のアニエスがいる。子どもはいない。ある日、男はきまぐれにそれまで生やしつづけていた口ひげを剃ってしまうことを思いつく。口ひげのない男の顔をはじめて見ることになる妻の反応が見たかった、という子どもじみた理由だった。そしてそれは実行された。男は口ひげのない男になった。しかし、アニエスは男の顔を見ても、何事もなかったかのようにふるまうではないか。それどころか、食事に招いてくれた友人たちもまた、まるで彼に口ひげなどもともとなかったかのような素振りで彼と接するのだ。

 それまでたしかにあったはずのものがなくなっていれば、それだけ過去とのギャップが広がり、それが人の目には違和感としてとらえられるはずである。だが、男が口ひげを剃ることで当然起こりえる周囲の反応が皆無であるばかりか、逆に彼が口ひげのことを話題にすると、まるで狂人を見るかのような顔をされる、という事実――はじめはアニエスにかつがれているのかと疑っていた男は、しかし彼女がいたって真面目であることを知るにつれ、かぎりない疑心暗鬼に駆られることになる。はたしてアニエスは、自分を狂人扱いにして病院に放り込もうと画策しているのだろうか。それとも彼女の精神が異常をきたしてしまったのか。あるいは彼女の言うとおり、自分にはもともと口ひげなどなく、ただ自分だけが口ひげがあったはずだと思い込んでいるだけなのか。

 本書のなかで、はたして誰が嘘をついているのか、真実は何なのかというのは、さほど重要なファクターではない。それまで生やしていた口ひげを剃るという、ただそれだけの行為が、男の中でそれまでたしかなものとしてあったはずの現実の定義を打ち崩し、何が真実で何が虚構なのか、その境目がどうしようもなく曖昧になっていくという過程こそが、本書の真骨頂なのだ。現実と幻想の境界というテーマについては、過去に多くの作品がとり扱ってきたものであるが、これほどまでに何気ない行為から、ついには男が国を飛び出して香港に、そしてマカオに逃亡するまでに事が大きくなってしまうものは、本書だけである。その話のつなげ方、展開のさせ方も見事なものがあるのだが、それ以上に面白いのは、男が口ひげを剃るという行為を、ただたんに唇の上に生えた毛を剃るというだけでなく、それまでそこに毛が生えていたという事実すらも剃り落とすことと結びつけてしまうという発想だ。

 もし男の口ひげを剃り落とすことによって、そこにひげが生えていたという事実をも消えてしまうのだとするなら、男のなかで口ひげの生えていた頃の自分と、口ひげを剃った後の自分とのあいだに断絶が発生することになる。口ひげがもともと生えていなかったのだとするなら、今の口ひげのない自分こそが真実であり、過去の口ひげのある自分は虚構ということになってしまう。だが、そうすると過去の、口ひげの生えていた頃の自分はいったい何なのか。これまでたしかだと思っていた過去が、じつはことごとく不確かなものへと変貌してしまう瞬間――それは、劇的なまでに読者の心を不安にさせる。むろん、その気になれば過去の自分に口ひげが生えていたかをたしかめる方法はあるはずであるし、それが現実なのだが、何より彼がもっとも信頼していたアニエスの言動が不確かなものとなってしまったことで、彼は結果としてとことん真実を追究することよりも、そこから逃げ出してはてしなく棚上げすることを選択してしまう。

 もし、たしかめるべきことが、たとえば殺人事件の真相とかいったものであれば、まだしも男は真実を求めて行動を起こしていたかもしれない。だが本書の場合、たしかめる内容が口ひげの有無という、ことによればささいな事柄である。本書のなかで、香港に逃亡した男が香港と九龍の間を行き来するフェリーにえんえんと乗り続けるという場面があるが、この印象的な男の行動が、現実と虚構の境目をはっきりさせることに対する男の無気力さをあらわしていると言える。たしかなことのはずなのに、そのたしかなことを証明することの困難さ――そして私たちは、あるいは自分たちの周りにも、似たようなことはいくつもあるのではないか、と思ってしまうのである。

 本書に登場する男には、彼こそがこの物語の主役であるにもかかわらず、じつは固有の名前が与えられていない。妻や友人、仕事の関係者にはきちんとした名前があるにもかかわらず、彼の名前が明かされていないという事実は、あるいは奇妙なことに思えるかもしれないが、口ひげを剃るというなんでもない行為によって、それまであったはずの過去から切り離されてしまった男は、その瞬間からまったくの別人――何者でもない男になってしまったのだと解釈するのであれば、彼がそもそも名無しであるという本書の設定は、じつはこのうえなく本書のテーマとマッチしていることであると納得できるだろう。(2006.10.25)

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