【早川書房】
『森の死神』

ブリジット・オベール著/香川由利子訳 



 以前、霧舎巧の『ドッペルゲンガー宮』を読んだときに、そのなかの登場人物のひとりが、いわゆるホームズとワトスン博士のコンビに代表されるようなタイプの探偵と、ハードボイルドによく出てくる私立探偵タイプの探偵との違いについて、言及していたのが印象に残っている。前者のタイプは、ワトスン役の登場人物が間違った推理をしてみせることで、探偵は数ある可能性のなかから真相にいたる道を迷わず進んでいくことができるのに対して、一匹狼のスタイルが多い私立探偵は、それゆえにあらゆる可能性について、ひとつひとつ自分の足でたしかめていかなければならない、という指摘は、なるほど言いえて妙だと思わせるものがあり、またそうしたスタイルの違いが、それぞれの探偵像のイメージの一部を形づくっているのだと納得もしたのだが、いずれのタイプの探偵も、自身の推理にもとづいて現場を調査したり、人々に話を聞いたり、あるいは提示された物品を調べたりすることができる、つまり、自分が思っていることや考えていることを、そのまま行動に移すことができるという意味では、その立ち位置は変わらないと言える。

 一方で「安楽椅子探偵」というタイプの探偵もいる。これは、手元にある証拠や人々の証言だけをもとにして事件を推理し、解決していくというものであるが、今回紹介する『森の死神』に登場するエリーズ・アンドリオリもまた、大きな枠でくくっていくのであれば、この「安楽椅子探偵」のタイプに属すると言ってもいいのだろう。ただ、エリーズが他の「安楽椅子探偵」と大きく異なっているところがあるとすれば、それは彼女の意思や思考がまったくと言っていいほど行動へと結びつけられない状態にある、という点である。

 恋人のブノアとともに北アイルランドを旅行していたエリーズは、そこで起きた爆弾テロに巻き込まれ、ブノアを失ったばかりか、自身もそのときの怪我のせいで全身麻痺の寝たきり状態になっていた。視力は失われ、喋ることもできず、わずかに動かすことができるのは左手の人差し指のみ。かろうじて聴覚と触覚は無事で、人が話すことを聞いて理解することはできるが、そのことを相手に伝える手段がなく、周りの人々はエリーズがちゃんとした意識をもっているのかどうかさえ疑わしい植物人間だと思っているところがある。

 そんなある日のこと、看護人のイヴェットとともに買い物に出かけたエリーズは、そこで出会ったヴィルジニーという女の子から奇妙な話を一方的に聞かされることになる。それは、「森の死神」という名の殺人鬼が、少年たちを次々と殺害しており、自分はその殺人鬼が誰なのかを知っている、というものだった。ただの作り話だとばかり思っていたエリーズだったが、その後のイヴェットたちのうわさ話から、じっさいにヴィルジニーが口にした名前の少年が絞殺されたというニュースを知るにいたって、彼女の話が本当のことであるという確信をもつにいたるが、彼女はそのことを誰にも伝えることができない。

 はたして、ヴィルジニーは何を知っているというのか。もし殺人事件の現場を目撃したのであれば、彼女の身も危険にさらされていることは間違いないのだが、いったいそのことを誰に、どのように伝えればいいのか。本書の設定として何より秀逸なのは、全身麻痺の女性が探偵役となり、彼女の一人称で物語が進められていくという点であるが、そのことによって私たち読者もまた、エリーズと同様、非常に制限された状態のなかで本書を読み進めていかざるをえなくなる。私たちにわかることといえば、あくまでエリーズに受け取ることができること――つまり、彼女が耳にした情報と、彼女が何を考えているか、その思考の過程だけであり、その完全に受動的な状態は、私たちにとっても非常にもどかしいものを感じさせられるのだ。同じ全身麻痺の安楽椅子探偵としては、ジェフリー・ディーヴァーの『ボーン・コレクター』に登場するリンカーン・ライムが有名であるが、彼の場合、彼の意思を伝え、彼の手足となって動いてくれる相棒というべき人物がいたが、エリーズの場合、本書の冒頭においては自分がちゃんと相手の話すことを理解しているのだ、という事実さえ誰にも伝わっておらず、まずはそこから出発しなければならないのである。

 鳥の糞が落ちてきても自分で拭き取ることもできない。飲みたくもないハーブティーを飲まされるのを拒否することもできない。自分の姿を鏡に映して、身だしなみをととのえることもできないばかりか、気に入らない髪形にされても文句ひとつ言うこともできない。そして、何人もの少年を殺害してきたサイコキラーが音もなく忍び寄り、自分に危害をくわえてもそれに耐えることしかできない。そんなエリーズの置かれた状況は、よくよく考えてみれば、いやよく考えるまでもなく、相当に悲惨なものであり、それだけで物語自体が暗くなってもおかしくないのだが、エリーズ自身のあくまで前向きな姿勢――それは置かれた状況に絶望する前に、自分の体を元通り動かせるようにしてみせるという意思と、たとえどんなに最悪の状況におちいっても、なおそんな自分を茶化してしまう性格ゆえに、ときにユーモアさえ感じさせるものが、本書のなかにはあるのだ。そして、そんな彼女の意思に呼応するかのように、少しずつ自身の状況を改善していく彼女を、私たちは応援せずにはいられないし、その息づまるような展開に、きっと引き込まれてしまうに違いない。

 自分からはほとんど意思表示をすることができない、というエリーズの設定は、ふつうに考えれば探偵役など担えるはずもないのだが、本書の、おそらく最大の特長は、まさに彼女が意思表示をすることができない、という状況ゆえに、エリーズに対してだけは警察や他の人には話さないような秘密を打ち明けてしまうという流れを、ごく自然に組みあげていったことだ。事件に大きくかかわっていると思われるヴィルジニーも、エリーズだからこそ荒唐無稽に思えるような話をしたし、それを見抜いた警視のイサールも、エリーズとの対話を重要視した。はたして犯人は誰なのか、そして彼女はその殺人鬼から自分の身を守りきることができるのか。ぜひその結末をたしかめてもらいたい。(2005.11.06)

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