【集英社】
『オリガ・モリソヴナの反語法』

米原万理著 

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 私は小さい頃、何の因果かピアノ教室に通っていたことがある。はっきり言って、家にまともなピアノもないのにピアノを習うこと自体がどうかしているのであって、ご多分に漏れず私のピアノの腕はさっぱり上がらなかったのだが、たとえばそうしたピアノ教室でピアノを教えて生計を立てている先生や、学校の音楽の授業を担当している教師のなかで、そもそものはじめからそうした職業につくことを目標としていた人は、はたしてどれくらいいたのだろうか、ということをふと考えたりする。

 ピアノ教室の先生が、かつて一流のピアニストとして大成したいという大きな夢をもって自身の腕を磨いていた、というのは、いかにも物語の筋書きとしてありがちな展開であるかもしれないが、ピアノに限らず、およそ音楽や絵画、演劇や舞踏といった芸術をまのあたりにしておおいに感動し、自分もああしたことができるようになりたい、という強い思いにとらわれてしまうことは、誰もが一度は体験することでもある。だが、そのなかで本気でその芸術に傾倒し、それを生涯の職業とすべくプロを目指す決意をする者はごく一部にすぎないし、さらにそこからプロとして大成していけるのはほんの一握りの選ばれた者たちだけだ。

 大きな夢をみることは誰にでもできるが、その夢を現実のものとして実現していける者は数えるほどしかいない。人の心は時とともに、環境の変化とともに移り変わっていって、けっしてひとところに落ち着いてはくれない。夢の実現にとらわれるあまり、本来は好きで仕方がなかったはずのその事柄が、いつのまにか自分自身を苦しめる結果になる、ということもけっして珍しいことではない。それは、あるいは若さゆえに自分自身のことがまだよく見えておらず、目指す方向性が間違っていたという場合もあるかもしれないし、時代背景や家庭環境がそれを許さなかったということかもしれないし、あるいは、成長するにつれて突きつけられてくる現実の重さの前に、夢という絵空事を追いつづけることに対するモチベーションが失われてしまうということなのかもしれない。いずれにせよ、あきらめなければ夢は叶うという言葉が真実であるとすれば、重要なのはきっと、「自分はかならず夢を叶える」と信じつづけることができる才能なのだ。そして、その信じる才能を手助けするもののひとつとして、若さというものが挙げられるのもたしかなことである。

 今回紹介する本書『オリガ・モリソヴナの反語法』は、とある舞踏教師にまつわる物語である。彼女の名はオリガ・モリソヴナ。弘世志摩が小さい頃、プラハにあったソビエト大使館付属八年制普通学校に編入したときに出会った名物教師のひとりで、志摩がその後本気でダンサーを目指していくきっかけにもなった女性である。かなりの高齢ではあるが、年齢不詳の女性的美しさをたもつオリガ・モリソヴナは、「オールドファッション」と呼ばれる前時代的な服装に身を包み、古今東西のさまざまな舞踏に精通し、およそその方面の才能に溢れる魅力的でエネルギッシュな女性であったが、何より強いインパクトを残すのは、レッスンのときに彼女の口から発せられる、口汚い罵り言葉の数々だった。とくにオリガ・モリソヴナが得意としていたのが、皮肉たっぷりに賛辞の言葉を投げかけることで、逆に相手を罵倒するという反語法のレトリックで、生徒たちがこぞって彼女の反語法を真似するほど個性的なものだった。

 およそ、学校のなかの主のような存在であり、向かうところ敵なしといったオリガ・モリソヴナだが、同時に彼女には、あきらかに何か重大な過去を隠しているようなところがあり、ときどき不思議に思うような言動を見せたりしていた。物語は、今は東京在住の離婚子持ち女性となった弘世志摩が、ソビエト崩壊と子育てがひと段落着いたことを機に、長年の謎だったオリガ・モリソヴナの秘密をはっきりさせるためにロシアへと赴くところからはじまる。そもそも彼女のような個性の強い女性が、審査の厳しいことで有名なソビエト学校の教職に着くことができたのはなぜなのか。彼女と唯一ウマの合っていたフランス語教師のエレオノーラ・ミハイロヴナと深刻そうに話していた事の内容、そんなふたりのことをともに「ママ」と呼んでいた踊りの天才ジーナのこと、そして、学芸会の来賓としてやってきたミハイロフスキー大佐の転倒事件と、その後のふたりの授業の一時的な休止状態のこと――ひとつ謎が解ける端から、またあらたな、そしてより大きな謎が立ち上がってくるというミステリーとしての要素と、オリガ・モリソヴナをはじめとする強い個性の登場人物の魅力という要素、そしてスターリン時代からソ連崩壊後のロシアの雰囲気を、肌で感じさせるようなエピソードを満載しているという要素を贅沢に取り込んだ本書は、それだけで読者を夢中にさせるのに充分なものをもっているのだが、何より本書が秀逸なのは、踊りというひとつの大きな夢に向かってがむしゃらに突き進んでいく若者たちの無謀で、だからこそ瑞々しい青春時代と、結果として生じたその夢の挫折という意味において、本書を読み進めていくうちに、オリガ・モリソヴナと弘世志摩の人生が見事に呼応していくという点である。

 そのタイトルにもあるように、本書はオリガ・モリソヴナという女性の半生が物語の中心であって、弘世志摩はその謎を追うという、言ってみれば物語の進行役にすぎない。だが、かつてオリガ・モリソヴナという最良の教師に教えを受けた影響でダンサーになることを目指し、しかし帰国後の日本における舞台芸術の厳しい現実や、夫の浮気による結婚生活の破綻といったことに疲れ果て、夢をあきらめるという選択をした過去を持つ弘世志摩の存在がなければ、同じようにダンサーを目指し、一時期はその世界で大成したものの、スターリン時代の想像を絶する粛清の嵐に翻弄され、強制的に踊りの世界を取り上げられてしまったオリガ・モリソヴナの波乱に満ちた人生を生き生きと現出させることは、とうてい叶わなかったに違いないという確信がある。

 踊りをはじめとする芸術活動というのは、人が生物として生きていくのに直接的には必要のない行為ではあり、だからこそそうした芸術をつづけていくには大きなエネルギーと意志の力が必要なのだが、オリガ・モリソヴナの人生は常にエネルギッシュな言動に満ちていたし、弘世志摩は若さゆえの純真さとひたむきさを踊りにぶつけていた。そしてそんな情熱は、異性を愛するという部分にも向けられていた。パワフルさ、不屈さといった要素において、弘世志摩はオリガ・モリソヴナには遠くおよばないものがあるかもしれないが、それでもなお、ひとつのことに夢中になって取り組んだという事実は残る。

 夢を実現できなかったとき、はたしてそのために費やしてきた時間や金銭は、まったくの無駄となってしまうのだろうか。弘世志摩のロシア旅行は、たしかにオリガ・モリソヴナの謎を追うという目的ゆえのものだったかもしれないが、彼女の歩んだ過去を調べていくという行為は、そのままかつての夢だった踊りと向き合うことへとつながっていく。夢をあきらめ、ロシア語の翻訳を仕事に選んだ弘世志摩は、それまでできるだけ舞踊から目をそむけるような日々を過ごしていた。だが、かつてのクラスメイトと再会し、さまざまな人たちの協力を得て少しずつあきらかになっていく、時代に翻弄されたひとりのダンサーの生き様は、彼女にとっての踊りに対する再評価をうながさずにはいられないものである。そんな彼女にとって、多くの人たちにとっての悲劇だった強制収容所の体験そのものは、リアルに想像するのは難しいことかもしれないが、そんな地獄のような生活のなかで、唯一の希望が住む場所でも食べ物でもなく、「寓話」――仮想の物語の力だったというエピソードが、どれほど大きな意味をもつことになるのか、それこそ想像に難くはない。

 オリガ・モリソヴナの人柄を示すエピソードのひとつにすぎないと思っていたことが、じつは謎の核心をつく重要な要素を隠していたりといった、ミステリーとしての醍醐味もあり、何より何かひとつのことに懸命になって打ち込んでいく人たち、絶望のどん底にあってなお希望を失わずに生きていこうとする人たちの力強さにも満ちている本書は、たとえ夢が夢でなくなったとしても、そのため費やした努力はけっして無意味ではないということを教えてくれる。どんな大きな悲劇も乗り越え、権力の暴力にけっして屈しないという生き方を、反語法のなかに込めたオリガ・モリソヴナ――その人生は、弘世志摩だけでなく本書を読む多くの読者にとっても大きな救いとなってくれるに違いない。(2007.10.09)

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